第六拾壱話 ーダークエルフ・アイ その四ー
「な……なんで、アラクネが……」
自身の目を疑う。幻影か? 私は狂ったか?
彼女たちが、こんな田舎にいていい筈がない。
読者諸氏のために地球の常識で説明すれば、遊園地のワンコイン広場に『F1マシン』。ふれあい動物園に『マウンテンゴリラ』がいるようなものだ。学校給食で『マグロの兜焼き』が出されて見たまへ! アイは銀色の髪の隙間から覗く、現実に恐怖した。
鋼鉄の爪を持つ蜘蛛の魔獣の体に、美しい女性の白い上体が立ち上がる。
細い彫像のように輝く腕で、天を突き刺すハルバート。
月明かりに漆黒の髪が鉄兜の裾から零れ落ち、長く豊かな胸に揺れる。
帝都陸軍機動部隊の主力。
身動きの取れないままアイは、三騎の大きなクモの化け物に囲まれてしまう。
「な……なん……」
「――意外と早かったじゃないか? アイ」
「!!」
それは聞き覚えのある声だった。
帝都の下町で、軍関係の下請け調剤師として働いた頃に、何度も聞いた声だった。
「か……カール……」
岩に貼り付くアイを囲む、三騎のアラクネが道をあけ、巨体の鎧武者がゆっくりと姿を現す。
燃えるようにまっ赤な全身鎧の、額に輝く銀の『月猫』は、帝国皇帝
陸軍参謀本部次長も兼任する、アークデーモン『カール』……アイの幼なじみだ。
「逃げ回って、足腰が鍛えられたか? 何よりだ」
「お、お前、どうして」
「皇帝陛下の勅命だ……アイ……お前は陛下の『寵姫』になる」
「!!」
――帝国皇帝が動いた。
今までは地方の有力魔族が主流だったアイをめぐる『花嫁争奪戦』に、魔界有数の勢力を誇る帝国皇帝『
規模が違う。戦力が違い過ぎる。これは到底逃げ
「ば、馬鹿言うな。皇帝が……バカな」
「それほどお前の製剤が、優秀だったって事だ」
カールは冷たく続ける。
「地方豪族相手なら、救ってやらん事も無かったが、陛下の勅命なら是非は無い。残念だが、これは絶対決定事項だ」
暴力絶対主義の世界で最高戦力を持つ皇帝勅命は、アイデンティティの死と等しい。
物理的な攻撃で命を奪われない魔族だとしても、この命令の下で自己など、存在はしない。
「うっ……くそっ!」
アイは動かない腕を振り上げようと、アラクネの
「無駄だぞ。知っているだろう? その糸は魔素を吸収し、身体を縛る。お前の『まあっぷ』の力でも解くことは出来ない」
「お前は、皇帝に私を、突き出す積もりかッ!」
アイは叫ぶ。
「幼なじみの私をっ!」
「皇帝の命令に、近衛の俺が逆らえる訳なかろう? 言ったはずだ。絶対決定事項の勅命だ」
カールはぶわりと陣羽織の広い背を見せた。見下ろすアラクネたちも後に従う。
「後宮に着任すれば、二度と月の夜空など見上げる事は出来なくなる。明日の朝まで名残りを惜しんで、覚悟を決めておけ」
月下の岩の大地に貼り付くアイを残し、この場を立ち去るつもりらしい。
赤い瞳で夜風に揺れる背中を睨み付けながら、アイは思った。
(……まだ……まだだ。希望はある)
背負った大荷物の中から、愛用のハンドナイフを取り出せたなら。
(メリーは『村が襲われる様なら、後を追う』と、言っていた。彼女にミスリル鋼のナイフで岩を削ってもらい、繭を剥がせば……)
「――助けを待っても、無駄だぞ?」
立ち止まり振り向く冷たい瞳と視線が合った。
「あんな小さなゴブリンの村など、我々は襲わない。誘導部隊は村の東の森で待機。怯えてるホブゴブどもを見ながら、夜宴でもしている頃だろう」
そう言って一枚の紙切れを背中越しに振ってみせた。
「!!」
――ケンに貰ったモノと同じ、ホブ村のハザードマップ!
「お前は『ホブゴブ』なんていう卑劣な種族を、信用し過ぎだ」
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
月の光に銀の髪が、夜風に揺れて反射している。
ピクリとも動かせない首で、アイはただぼうっと呆けて眺めるだけだ。
(――ホブ族の村に売られた? まさか……ケン……メリー……)
ありえない。あり得ない事だが、考えてしまう。
(なぜだ……何故……)
つぎに脳裏に、幼い頃の孤児院の、腹を空かせたカールの泣き顔が思い浮かんだ。
食うために軍学校に入り、しごきの毎日に音を上げるカールに、朝晩掛け続けた肉体強化魔法。
入営後グングン頭角を現し、出世していきながらも、ひょっこり下宿に顔を見せては、互いの未来を語り合い飲み明かした、貧しい研究者時代。
(考えたくない)
もう、だんだんと、どうでも良くなってきた。
(くっく……寵姫、だって? この私が? くっくっく……)
魔族の自然寿命が600年。
残り550年ほど。
後宮の奥で陽の光も浴びず、ベッドに寝転がって、天井のシミを数えて暮らしていくのか……。
――ぽす。
(ああぁ……
――ぽす、ぽす。
(あああぁ……やだな~、臭そうで、ヤダな~)
ぽすっ! ぱしぱしっ! ぱしっ!!
「! っ、誰だよ、サッキっからっ! あたまポンポン叩くヤツは、よっ!」
「――あぁ、ヨカッタ……死んじゃった、かと思ったよ」
「だれッ!?」
動かせない頭の後ろから聞こえてきた、あどけない子供のような声に、幻聴かと声を荒げる。
「大きな声出さないでよ。あの、おっかなそうな悪魔に聞こえちゃうよ?」
「だ。だ、だ……だれよ? あんた」
少しずつ声色を押さえたアイの言葉には応えず、子供の喋りは、のん気な口調でユルユル続く。
「おっきなクモがいたね~。女の人が乗ってた。なに、あれ?」
「え、あ、アレは、アラク……」
「ねえ? アイは捕まっちゃったの? 逃げないの?」
「お、おまえ、なんでアタシの名前を……」
「これ、取れないの? 破けないの? 動けないの?」
そう言って再び、アイの頭を押さえ付けるアラクネの繭を、ポンポンと叩く。ぽす、ぽし。
――その弾力を、少し楽しんでいるらしい。
「……あのな、おい」
「アイ、逃げたい?」
「え?」
子供の言葉に、思わず訊ね返した。
「私を、助ける……ってことか?」
「あの、お母さん、アイに『逃げて』って、言ったよね?」
子供が逆に訪ねてきた。お母さん? メリーの事か? え?
「ボクのおかあさんも、言ったんだ。ボクに『逃げて』ってね」
「おかあさん?」
「だから、ボクはココにいる……アイ? 逃げる?」
(なんだ? この子供は何を言ってる? 私を助けてくれると言うのか? アラクネの繭を外してくれるつもりか?)
「ボクと『けいやく』、する?」
「契約?」
「この世界から逃げるの」
「は?」
「ボクと一緒に『ボクの生まれた世界』へ行くの」
「は?」
「ボクと一緒に旅をするの」
「は?」
「ボクが『行きたい』って言った処へ、ボクと一緒に旅をするの」
「は?」
「ううぅ~ん……」
子供は少し悩み始めた。いや、困っているのは私の方だし。理解してあげたいが、なに言ってるかサッパリだし。
「じゃぁさ! このブヨブヨを外してもらう。からだ動かせるようになってから考えて。そのまま一人で逃げてもイイし、ボクと一緒に旅してもイイ。アイが決めてくれてイイよ!」
子供が明るい声で提案した。なに? ブヨブヨ?
「からだ動かせないと苦しいでしょ? どう?」
「あ、ああ。身体を動かせるように、できる? それは、助かる、よ?」
半信半疑にアイが答えた途端。
『〇〇〇・〇〇〇(ナギ)!』
「え? なんて?」
――ぼ。
「わっ」
子供の軽く驚く声と同時に、アラクネの繭が一瞬で青い炎に包まれ、消えた。それは、あっと言う間の出来事。
束縛から逃れたアイが、驚きの表情でゆっくりと上体を起こし辺りを見ると、すぐそばに小さく動く影が有る。
「少し、ヒゲが焦げたよ……もぉ……」
全身黒地にオレンジの飛び火。額の中央にひとつ星。
小さな仔猫が一生懸命前足で、顔を整え洗っている。
「お、お……おまえ、か?」
「どう? からだ、動く? アイ」
サビ毛の仔猫は、アイを見上げて聞いた。
「ボクと逃げる?」
「――この世界から逃げるって?」
「うん。ボクの生まれた世界へ行くの」
仔猫は「へん?」と、首をかしげる。薄オレンジの瞳が可愛い。
「よく分からないが、どうせこの世界で私が生きて行く場所は、もう何処にも無い。地獄でもなんでも行ってやるぞ」
「……ボク、幽霊じゃ、ないよ?」
「そうなのか?」
「そうだよ!」
近づいてきた仔猫が、少し怒った風に、アイの膝へ前足を、ぽんと乗せた。
「あ! あのね、アイにイイ事、教えてあげるよ。へへっ」
「うん?」
仔猫と会話をしている、何ともヘンテコな状態だが、不思議と違和感は感じられなかった。
「あの家族は元気だったって。アイの事すごい心配していたって。『無事なのか? 逃げれるのか? 任せていいのか?』って、聞いてきたって」
「――え?」
「悪魔に地図を渡したのは、村長だったって。村を救いたかったんだね。怒らないであげて」
「そ……そうなのか? それは、いったい誰が……」
「ともだち」
そう言ってアイの細い膝へ、今度は両前足を乗せて、ぬっと小さな顔を突き上げる。
「――どうする、アイ?」
「うん?」
「ボクと、けいやく、する?」
「え?」
「ボクと一緒に、行く?」
「……うん」
ぴょん、と仔猫が膝に乗る。
アイが縛り付けられていた岩の大地に、輝く魔法陣が浮かび上がった。
「アイ? ボクの名前はね、マコト……」
「……マコト……」
マコトを膝に乗せたアイの小さな身体は、光の中にすっと溶けていった。
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