第六拾話 ーダークエルフ・アイ その参ー
――長い逃亡に疲れ荒んでいたアイを救った若いホブの夫婦は、『ケン』と『メリー』という名前だった。赤ん坊の名前は『スカイライン』。
ケンは村長宅へ通い給金をもらって、年寄りの多く住む村で
必然、村内で顔が広く、村民からの信頼も厚い。家庭内の相談事も、彼の元へ多く寄せられる。
「裏のおばあちゃんが腰を痛めちゃったらしくてね? 小松菜の収穫に人手が足りなくなっちゃったんだって。チョッとこれから手伝ってくるよ」
「あら、ご苦労様。おばあちゃんの具合、そんなにヒドイの?」
「もう2日も寝込んでるって。これから色々な収穫が重なるだろ? あそこは娘さんもお嫁に行っちゃって、タダでさえ人手が足りなかったのに」
「腰痛か? いい薬が有るぞ」
ケンとメリーの会話に何気なく挟まれた、アイの一言が発端だった。
「ホレこれだ。飲み薬と湿布薬。朝晩一錠。湿布の方は辛い痛みが出たら貼るといい」
「え? エルフのお薬って高級品なんじゃ?」
「いや、これは旅の途中で作った常備品だ。材料費は掛かってない。気にしないで使ってくれ。世話になってるお礼だ」
軽い気持ちで手渡したクスリが、狭い村内で評判になってしまった。
「――ねぇアイ? 子供の熱さましって何かお勧めの薬草ってあるかしら? いつもは『白いネギをお尻に刺す』んだけど……」
「そ、それは解熱作用は有るが、おしりが痛……こ、この薬が
「――アイさん。下痢には何がイイか知ってる?」
「ああ、すり下ろしたリンゴだな。食べやすいし、二日ぐらい続けると好いぞ」
このような相談事がケンやメリーの元へ度々寄せられるようになり、隠れ住んでいたアイは次第に村医者的な存在として、村民の多くに知られる事となってしまった。
「――少し、まずいね」
「ええ。こんな田舎じゃ、エルフの薬師なんて珍しいし、アイの事がスグに悪者にばれちゃうわ」
ケンとメリーが額を寄せて顔を曇らせる。
アイは最近やっと嫌がらなくなったスカイラインを抱いて、しぼんでいた。
「すまない。少し迂闊だった。迷惑が掛かるようなら、すぐに出て行くから、早めに教えてもらえると助かる」
「そんな! 俺たちこそ、アイさんのクスリの知識に頼る様な事しちゃって、申し訳ない!」
「そうよ! 謝ったりしないで。私たちはアイに、ずっとココに住んで貰いたいって思ってるんだから」
「ケン、メリー……ありがとう……うっ、ぐしゅ」
「……でも、いつ悪人たちがアイさんを連れに来るかもしれない。十分気を付けるように、しとかないとね」
「ええ。わかったわ、ケン」
「アイさん? この村の『ハザードマップ』を渡しておく。避難経路も描いてあるんだ」
ケンは食器棚の奥から一枚の羊皮紙を抜き取ると、アイへ手渡した。
「この家は物置の床下に、地下通路へ繋がる入り口が有る。村で作った緊急脱出用の通路だ。それを進めば襲撃者に気付かれず、村の外へ逃げられる筈だ」
ケンから渡された羊皮紙へ目を落とす。スカイラインが紙端を引いて、口へ運び入れようと、ウンウンもがく。
赤ん坊は苦手だったが、この子は最近懐いてくれてる。
一人で生きてきたアイも、この家族と親しく付き合ううちに、家庭って悪く無いな、と思うようになり、目を細めた。
片手で広げられるほどの小さな紙片に村の地図と、目立つ朱色の実線で東西南北に、避難通路が村の外まで書き記してあった。各家庭から延びる接続路も細かく見える。
「すごいね、この村」
「俺たちは戦闘力はほとんど無いから、男たちが足止めしてる間に、女子供を安全な場所へ逃がすんだ。避難路の出口は偽装してあるから、まず侵略者達には分からない。ホブ族の全滅は、これで避けられる。そうやって、この村を守ってきたんだ」
暴力に対抗できない者たちの知恵。団結のチカラ。尊いものだと感じ入った。
「ありがとう、ケン」
「アイさんを狙う悪者たちが、今どこで捜索しているのか分からない状況だ。下手に出て行ったりしないで、この村で『ホブアラート』が鳴るまで待ち、裏をかいて脱出するのが得策だと思う。だから、いつでも逃げられる準備だけはしておいて。アイさん」
「わかった」
「――そんな日、二度と来なけりゃ好いのに……泣きながら、逃げ回る毎日だなんて……」
「メリー……ぐしゅん……」
「メリー、アイさん。用心に越した事はない。いつかは襲撃されるものだと……思った方がイイ」
ケンの言う通り、親切なホブ家族に守られて、アイが暖かな気持ちでいられた時間は、その話し合いから、たった三日しか続かなかった。
「――アラートだ、アイさん! 東の森から、大きな魔力を持った集団が近付いてくる!」
アイはスカイラインを抱きながら、夕食の支度をするメリーを手伝いテーブルの準備をしていた。玄関から飛び込んできた、ケンの声に跳ね上がる。
玄関脇に立て掛けてあったスコップを握り、
「アイさんはすぐに逃げた方がイイ。西の荒野の出口へ向かって。荒野の先の山岳地帯まで行ければ、たぶん安全だと思う」と、まくし立てた。
「西だな! わかった!」
「俺は村の東口で侵入者を食い止める。メリーはアラートに十分注意して、あぶないと思ったらスカイラインを連れて逃げるんだ!」
「ケン! 今までありがとう! 気を付けて!」
「アイさんもお元気で。無事を祈ってます!」
そう言ってケンはアイの元へ寄り、グッと拳を握ってみせる。
アイのこしらえた小さな拳が、熱く重なった。
「あなた。気を付けて」
メリーがケンの首へ手を回し、頬に口づける。
「戦ったりはしない。危なくなったら逃げるさ。でも、精一杯、時間稼ぎはして見せる。スカイラインを頼んだよ。アラートを聞いていて! いいね、メリー」
そう言い残し、スコップを構えたケンは、東口へ走った。
スカイラインをメリーへ手渡し、客間から自分の大きな荷物を引っぱりだしたアイは、物置の扉を開けて待つメリーを前に、改めて感謝の言葉を口にする。
「メリー、メリー。本当にありがとう。親切は決して忘れない。お礼に何か置いて行きたいけど、私がここに居たことが知れると……」
「いいの、そんな物はいらない。アイ、無事に逃げてね。キッと、きっと逃げ切ってみせてね」
涙を浮かべた二人が抱き合う。ゴブリンよりも少し大柄な、ホブゴブリンの女性。小柄なダークエルフのアイと身長は、ほぼ変わらない。
別れを惜しむ二人の姿は、仲の良い姉妹のようにも見えた。
「メリー、さようなら。お元気で。スカイラインもイイ子に育ってね。元気でね」
メリーの胸に丸い瞳で見上げるスカイラインの、小さく柔らかい額へくちづける。
「村が襲われる様なら、私たちもすぐに後を追うわ。でも、私たちの事は気にしないで、真っ直ぐ逃げてね。きっとよ」
心配顔のメリーを見つめるアイの赤い瞳が、みるみる涙で盛り上がる。
「わかった……わがっだ……ありがちょ……」
言い終わらないうちに、アイはぐるりと背を向け、大きな荷物と共に、物置の地下へと消えて行った。
「……アイ……必ず、逃げて……」祈るメリー。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
なだらかな丘陵地のてっぺんに作られたホブゴブの村。
東から攻められれば西へ逃げる。攻め手側からは見通せないで、距離を稼げる。
手に持つ松明の灯かりに、なるほど良く出来ていた。
歴史は有るが広く頑丈に造られ、朽ちた土留め板には修繕の跡が残る。整備が行き届いている地下通路は、緩い下り坂で東西南北へ延びていた。
水はけがよく、速足の大荷物にも苦労は無い。
(――劣等と云われる種族の見方が変わった)
暴力主義、魔力至上主義のまかり通る魔界だ。
選民意識の高い魔族は
自身、種族差別を持ったことは無いが、アイも魔力の高い『ダークエルフ』の端くれだ。魔法に乏しいゴブリンやホブゴブなどとは、あまり接点の無い人生を歩いてきた。
(まさか、あんなに情が深く、種の団結力が有って、こんなに優れた土木技術も持ち合わせていたとは……私もまだまだ、世の中が分かって無かったな)
ケンとメリーの家庭に暮らし、絶望していた魔界に希望の光を見出したアイが、黙々とホブゴブ族の祖先が残した避難道を進む。
あまり感じたことがない熱い感謝の気持ちを、アイは一歩々々、踏みしめていた。
――やがて。
「あ」
松明の届かない前方の暗闇に、月明かりの出口が見えてきた。
複雑な岩に隠された、細いほそい明かりの隙間から、大きな背荷物をズルズルと引きずり、表へ抜け出る。
大小の岩と枯れ木が点在する月の荒野。
見渡す地平の向こうに、岩山だろう山岳地の影が見えた。
(あそこまで、逃げれば……!)
――ビシュッ!
突然、アイの体に生暖かい液体の様な物が飛ばされ、重くのしかかった。
「ぐっ!」
びしゅっ! ジュッ!
四方から身体中に浴びせられ、身動きが取れなくなり、たちまちうつ伏せに潰されてしまった。
粘液が固まり、しなやかな白い毛皮のようになって体を覆い隠し、岩肌の地面に縛られる。
――ごそり。
がつ、ごつごっ! がり。
網で押さえた蝶のようになりながら、べっとり岩に貼り付く自分の髪の隙間から、赤い瞳だけを動かし、鈍い金属音を覗き見た。
地下通路出口を隠していた大岩の向こうから、大きく黒い月影が、地面を削り姿を現す。
「――!!」。
高位魔族。
アラクネ。
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