第五拾七話 ー羽キャット・マコト その参ー
――成長するにつれオレンジ掛かってきた瞳が、身体を包む光の眩しさから解放されると、仔猫は空の上にいる自分に気が付いた。
――違う。
瞳は何も映さないし、空にいる訳でもない。
――彼は今、
(――観えるか?)
耳の奥にナギの声がした。
ナギがすぐ隣にいる? いや、耳の中……頭のなかにいる?
――いや、ナギの中にいる。
これは、ナギが視ている世界だ。
(……あれだな)
ナギの視点が地上へ移る。
一頭のロバに引かせた荷車が、夜の荒野を、何頭もの馬の群れに追い立てられていた。
必死の形相で手綱を握る獣人男性と、荷台には見知った顔の獣人女性。
彼女に包み込まれる様に、泣きながら荷車で大きく揺らされている少女は……。
(……トトっ!)
トトは、ひと抱えは有る大きな
追い詰める馬の群れの
(間違いない様だな。あぶなく手遅れになる所だった)
天の視点から見守る中、ついに三頭の馬が荷車を追い越し、行く手をふさいだ。
ロバが、よろめく様に駆け足を止め、
すかさず囲んだ十頭ほどの馬から、武器を手にした男たちが次々飛び降り、声を荒げる。
「おらぁっ! 手間掛けさせるんじゃねぇっ!」
御者席の主人を引きずり下ろし、荒野へ転がす。
「金持ってるんだろ! 出せよっ!」
主人の太腿を蹴り上げて、大きめの刃物を月明かりにギラ付かせた。
主人は
(おい、お前。どうする? 今ならあの男を助けられるが、見殺しにしてもイイ。どうせ金を出せば、すぐ殺されるだろう)
ナギが極めて平坦な声で聞いてきた。
(お前を売ろうとしたのは、あの一家なんだろう?)
「早くしろよ!」
盗賊がしびれを切らし、腿を押さえる主人の手を、
「あうっ! っぎゃぁっ!」
「とうさんっ!」
荷台の上で震えながら、母親に抱かれて見ていたトトが泣き声を上げた。
(……助けてあげて)
(……分かった)
――ナギが冷たい呟き声をこぼした瞬間、視界はうずくまる主人を見下ろす位置へ移動した。
突然目の前に浮き出てきた魔族に、主人を痛めつけていた盗賊が驚きの悲鳴を上げる。
「! なっ! なんだ、てめぇっ!」
「お前らは消えろ……」
ぶつん。
――糸の切れる音が聞こえた。
ハサミで糸を切られた操り人形のように、荷車を囲む十人近くいた盗賊たちが、一斉に白目をむいてクシャっと関節を折り、崩れ落ちる。
――そして。
ポっと軽く空気を揺らす青白い炎に、全身を瞬く間に包み込まれ、一人残らず燃え始めた。
暗闇の荒野の真ん中に、そこだけが昼間のような色彩になる。
――盗賊たちは、停車した荷車を明るく照らす灯かりになり、燃え続ける事となった。
「おい、おまえ」
太腿を押さえ目を開いてわなわなと震える主人を見下ろし、冷めた口調でつぶやく。
「かね、をもってるな?」
主人が懐から金袋を引きずり出すが、力が入らず地面に落としてしまう。
静寂の荒野に、重たくボトリと鳴り響いた。
「だ、大金貨がさ、三枚ある。それで、な、何とか命だけは……」
「かねは、いらん」
冷たい声は続ける。
「だが、どういうかねか、おしえろ……このかねは、どうやって手に入れたものだ? しょうじきに言えよ?」
「……こ、仔猫を売った……法王国の法王に、羽の生えた仔猫を売った金だ。わ、悪い金じゃない」
「売った? 仔猫を渡したのか?」
「い、いや、仔猫は逃げた。奴らが逃がしたんだ! 俺の責任じゃない……だから金はそのまま貰った」
「ふん……法王は仔猫を探さなかったのか?」
「探そうとしたが俺が追い返した。奴らが家にいたら仔猫はもう帰ってこない。うちには母ネコが居るから戻ったら伝える……そう言って、国へ帰ってもらった」
「見張りの兵士も断って? 全員? それは逃げるのに不都合だからか?」
ナギは冷たく言い放った。
「こっ! 仔猫は生まれて、まだ二か月だ! あんなモン、もう獣に食われちまってる! ま、待っていたって無駄さ!」
主人は泣き声で叫ぶ。
「……今回は、その
そう言うとナギは、荷車のトトへ視線を移す。
「仔猫の母親がいるな? そこか?」
荷車へ進み、抱き合う母娘に話しかける。
視線はトトが座る、ひざ元の
(――悪いが、お前を母親の元へは、返してやれなくなった……この一家に、契約者のお前を預ける訳には行かない)
(……うん……)
(これが『おっ母』との、
(……はい……)
「……母ネコを見せて貰ってもイイか?」
ナギの声にトトの黒い瞳が揺れる。
「……はい」
両手をいっぱいに広げたトトが、ゆっくりと
盗賊たちが焼ける炎に照らされ、蓋の隙間から三匹の兄弟をお腹に守る、母ネコの白い毛皮が見上げている。
(……おかあさん……)
「……触っても、いいかい?」
先ほどまでの冷たい声とは違い、優しい口調のナギが、トトへ訊ねた。
「……はい」
見上げたまま、おびえる様子もない母ネコへ、ナギの太くゴツゴツとした指が伸ばされた。
(おかあさん! おかあさんっ!)
(! ぼうや!)
頭を撫でるナギの指を伝わり、母と会話が出来る!
(おかあさん、ごめんなさい。ボクはもう、おかあさんと……いっしょにいることは、できません)
(ぼうや!)
指を通して、母の感触、ぬくもり、匂いを感じとる。
(おかあさん。ボクにやさしくしてくれて、ありがとう。ボクを、うんでくれて、ありがとう)
(ぼうやっ)
(にげろと、いってくれて、ありがとう。いままで、かわいがってくれて、ありがとう!)
(ぼうや!)
(おかあさん! だいすきです! ほんとうに、ほんとうに、ありがとう!)
(ぼうや……)
(……げんきで、いてください……だいすきです……おかあさん……)
(ぼ……や)
(さようなら……おかあさん……)
(あぁ……)
(……もう……いいのか?)
(はい……ありがとう……ナギ……)
母ネコから名残り惜しそうに離された手をしばらく見つめ、ナギは主人のところへ戻り見下ろす。
主人は地面へ倒れ込んだままだ。
骨も、手にした武器も、地面に焼けた跡も残さず、燃え尽きようとしている盗賊たちを、グルリと見渡してから主人に言った。
「――盗賊たちの馬は、お前にやる。餞別だ」
そして再び、冷たい声で突き放す。
「だがな、派手な暮らしはするなよ? バカな虚栄を張って、家族をあぶない目に合わせるような事は二度とするな。家族で金儲けをしようだなんて、二度と企むな。お前の命を救ったのは、お前が売ろうとした『家族』なんだぞ。しっかり覚えておけ」
そう言い残したナギは、現れた時と同じように、獣人家族の前からスッと闇へと姿を消した。
再び空の視界へ戻ったナギは、
(――そういえば、今更だが……お前、名前は有るのか?)
(……なまえ……?)
(ああ。『おっ母』は、お前をいつも何て呼ぶ?)
(……ぼうや?)
(いやいやいや! そうで無くてよ!)
(……分からない)
(ふん……そうか……)
(……ごめん)
(いや、謝る事じゃない)
(そう?)
(そうだな……『マコト』はどうだ? え?)
(まこと?)
(ああ『言葉を成す』という文字を書く。ウソの無い『真心』という意味だ。どうだ?)
(マコト……いいね)
(だろ? そもそも、この文字にはな、神に誓いをたてるという意味合いもあって……)
(ナギ)
(うん?)
(いろいろ、ありがとう)
(よ、よせよ! バカヤロ……契約者なんだから、当然なんだよ!)
(そう? うふふ)
(そうなんだよ! 契約したんだからな! この先、お前には色々、役に立ってもらうんだからな! 覚悟しとけよ!)
(わかった! ナギ!)
(ふんっ!)
そんなことを言い合いながら、マコトとナギは、天を見つめる母を、しばらくのあいだ見守っていた。
(……ぼうや)
マコトの耳に、母の祈る言葉は、届いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます