アイとマコト
第五拾五話 ー羽キャット・マコト その壱ー
全身黒地にオレンジの毛が飛び火して所どころ燃えていた。額の真ん中には三つ目の瞳のように、一等目立つ赤い星が妖しく輝く。
――サビ猫のオス。
よく知られている『三毛』と同じく、染色体の関係上オスが生まれてくる確率が非常に
しかし、この世界の住人たちは『染色体遺伝子』の概念などは持ち合わせていない。
この『希少性』だけなら、初めてのお産だった若い母ネコはもちろん、本
――小さな両肩に『一対の翼』を持って、生まれてしまった……それが、彼の不幸。
母ネコにとっても唯一の存在である彼は、この家の主人から、たったの大金貨二枚(現在の感覚では二千万円ほど)で売られようとしている。
貧しい獣人族の飼い主は、すでにホクホク顔だ。
「――確かに羽キャットですね。肩にふた筋、地の模様とは異なる毛色がさしてある。この毛が翼へと変化します。シッポの先も、すでに二股に分かれているようです」
警戒の唸りを上げる母ネコの白い腹へ深く埋まって眠る仔猫を、おっかなびっくり指差す獣医の言葉を聞いたイッキュウは、薄い色素の銀の瞳を満足そうに細めた。
「そうか……ご主人、この子が翼を広げた姿は? もう飛び上がったりするのかね?」
「いえ、法王様。翼を出したのがつい先日の事ですよ。まだパタリとも動かせませんや」
「そうなんだ……このまま連れて帰っても?」
「ええ、どうぞ……おいトト、仔猫を法王様にお渡ししろ! フクの奴が爪を出しそうだ」
犬耳の獣人としては小柄な主人が、十歳ほどの娘に対し、少々乱暴な口調で指示を出す。
先ほどから見慣れない法王国のエルフ達に囲まれて
「とうさん……この子、本当に売っちゃうの?」
「なんだ今更? うちなんかに居るより神殿で飼ってもらった方が、コイツにとって幸せだって、きのう話したじゃねぇか」
父親が少女をジロリと睨み、続ける。
「お前だって学校ぐらいは行きたいだろ? 法王様が高いお金で買い取って、大切に育てて下さるって言うんだ。お断りなんか出来ないだろ?」
「……うん」
「……すまないね、お嬢さん。きっと大事に育てるから、渡してくれるかい?」
「……はい、法王さま……」
きっとこの『トト』と呼ばれた獣人少女が、ネコの家族を世話しているのだろう。仔猫と別れる寂しさに、黒い瞳を赤くしている。
「……ゴメンね、フクちゃん……坊やをちょうだい」
『……』
警戒の姿勢を崩さない母ネコも、少女に対しては唸り声を出さない。じいっと睨み付けながらも大人しく、されるがままにしている。
トトは母親の腹から仔猫を抜き取ると、そっと鼻へ近づけ、すすり上げるようにして深く匂いを嗅いでいた。
寝ていた仔猫も目が覚めたようで少女を見上げ、柔らかな頬へ力無く手を伸ばす。
「――ぼうや……新しい、お父さんだよ……」
そう言ってゆっくりと歩み寄り、震えるイッキュウの白く細長い両手へ仔猫を差し出した。
「――おおお……なんて小さい……」
イッキュウの冷えた指先が、独特の熱い綿毛の様な感触と重さを感じ取り、興奮する。
「この子が……夢にまで見た羽キャット……」
端正なイッキュウの吐息と視線が降り注ぎ、長い銀髪が一筋、額へスッとこぼれ落ちると、仔猫が急に体をよじって、自分を包み込む大きな手のひらから逃れようと暴れだした。
「あっ! こらっ、大人しく」
『ニャ~ッ(坊や)!』
母が心配の声を上げる。
「こらっ! っ
小さなツメが束縛を外し、彼はタンっと土間の床へ着地すると、二メートル近い長身のイッキュウを見上げ、背を逆立てた。
「あつつ……まったく、ワンパクだね……」
「ほ、法王さま、大丈夫ですか! おケガは!」
「ああ、だいじょうぶだヨ。ちょっとビックリしただけさ……」
隣で控えていた獣医が慌てて訊ねるが、イッキュウは手を擦りながら明るく答えた。
「元気が有ってイイじゃないか……ねぇキミ、仲良くしようよ? ね」
法王服の広い袖口から、一本の『猫じゃらし』を取り出すと、腰をかがめて仔猫の目の前で振りだす。
「ほ~ら、ほら……おいで~、ネコちゃん……」
手にした猫じゃらしを左右に細かく振り……血走る銀の瞳に、必死の作り笑い……異常に背が高い、真っ白な『ハイエルフ』が仔猫にゆっくりと近付く。
『ニャ~オッ(坊や)!』
母がふたたび鳴いた。
「!! フぎゃ~ッ!!」
危険を感じた仔猫が鳴き声と共に飛び退き、玄関へ向かってタッと駆け逃げた。
「あっ! 捕まえろ!」
玄関前で待機していた法王庁の兵士が二名、立ちはだかる。ビクリと立ち止まった仔猫は、今度は居間へつながる入り口に立つ、この家の主人の方へ駆けだす。
「このヤロっ!」
主人はしゃがみ込む様に、上から両腕で仔猫を押し潰し抑えつけた。
「へへっ! つかまえた!」
「やめて! とうさん、つぶれちゃうっ!」
トトが悲鳴を上げて父親の腕にしがみ付く。
「うるさいっ! どけっ!」
主人が腕を荒っぽく振ると、トトの小さな身体が、立ちつくすイッキュウの元へ飛ばされた。
「あっ!」
「おっと、大丈夫かい? お嬢さん」
「あイタっ!」
押さえ付ける主人の腕に、子猫が強く爪を喰い込ませる。思わず払い除ける主人。
地面を二、三回ころがった後、すかさず立ち上がった仔猫は、しゃがむ主人の脇をすり抜け、居間へと飛び込んだ。
『にゃ~っ(ぼうやっ、逃げてっ)!』
――逃げる子猫の小さな耳に、母親の最後の叫びが聞こえた。
「ご主人、この先は?」
「窓は閉まってます。行き止まりで……」
仔猫の後を追い、居間へ入るイッキュウと主人の目に、真白な翼を大きく広げ、高く飛びあがった後ろ姿が映った。
「と、飛んだぁ!?」
主人の間の抜けた声が響く。
天井近くまで飛び上がった仔猫は、南部獣人族の家屋に特徴的な、通風のために造られた壁の開口部へ真っ直ぐに向かい、そのまま足を掛けスルリと、小さな身体を屋外へ潜り出した。
「い、いかん! おい! オモテだ! 外へ逃げたぞ!」
イッキュウが土間へ振り返り、玄関先の兵士へ叫ぶ。
「はいっ!」
玄関をあわてて駆けだす、二人の兵士の返事が聞こえた。
「うっ、うう~っ……ひっ!」
トトの泣きじゃくりが止まらない。
「お、お嬢さん……もう泣かないで……今、ウチの兵士たちが、森の中を捜しているから……ね?」
神殿育ちのイッキュウは、子供に泣かれた経験など一度も無い。どう対処すればいいのか皆目、見当もつかないでいる。
軽くパニック状態に陥っている彼へ、この家の主人が、ある企みを持ちかけてきた。
彼は先ほどの騒ぎのショックで、ボロボロと涙をこぼすトトを包み込むように抱き寄せ、伏せた耳の黒髪を優しく梳かしながら言う。
「あ~法王さま? あまり騒いで、おっかない兵隊さん達に探されても、かえって逆効果ですよ。怯えちまった仔猫は隠れたまんま、出てきやしませんぜ……」
「え? そ、そうかな……」
「……ここは兵隊さん達を連れて、いったん法王国へ戻られたらいかがです? 悪いが、あなた方エルフが家ん中に居たら、もう戻ってこないと思いますよ?」
「そ、そんなに嫌われちゃったかな?」
不安そうに銀の瞳を揺らすイッキュウへ、さらに追い打ちをかける。
「大丈夫ですって! うちには母ネコがいますから。しばらく逃げて落ち着いたら腹も減らすし、寂しくなって帰ってきます! もちろんその間にも、この子に森の中を探させますし……今は、仔猫を逃がされちゃって泣いてますが……この子が一番あの猫を可愛がっていたんだ。きっと見つけてくれますよ!」
「そ、そうかい!?」
主人は愛想のイイ顔つきで、トトの頭をポンポンと叩き、
「トトも仔猫ちゃん見つけたいよな~?」と、娘に問いただす。
「……見つけたい……」
「よ、よろしく頼むよ、お嬢さん。なんとか……何とか見つけ出しておくれ!」
痛切な声で、トトに懇願をするイッキュウ。
「お約束しますよ……もちろん、少々『手間賃』を上乗せしていただきますがね……」
「あ、ああ。もちろんだとも……秘書官、ご主人に金貨をもう一枚、お渡ししてくれたまえ」
――法王のそばで、一部始終を見ていた秘書官『マイティー・スピリット 5号』は、無表情に無言で肩をすくめ、背広の内ポケットから金貨入れを取り出した。
「……きっとだよ! ご主人。きっと見つけて、私の元へ知らせてくれ! その時は、さらに上乗せしてもイイから!」
「はい。必ず法王さまのご期待に応えられるように努力します……連絡をお待ちください……」
まだしゃくり上げているトトを横へ除け、マイティーから追加の大金貨一枚を受け取った主人は、うやうやしく法王へ頭を下げた。
(……ぼうや……にげなさい……)
――残る三匹の兄弟たちを引きつれ、玄関先で森を見つめる母ネコの願いは通じ……仔猫が、彼女の元へ帰ってくることは、二度となかった。
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