第7話 練習終了と、とある誘い

 熊子にとって、衝撃の練習が終わった。


 柔道部員は道場中央に設えられたマリア像の前に3列横隊で正座。主将の「もくそーーーーーう!」の声で、全員が瞼を閉じる。

「やめー!」 

主将の黙想終了の合図とともに、マリア像の直下に端座するシスターが訓辞を垂れた。


「みなさん、3年生最後の大会となる金鷲旗までもうすぐです。

 金鷲旗は地方予選がない大会であるがゆえ、各学校の強さが、ナマの状態で発露されます。

 そのうえ、高校総体予選で負けた学校が、『最後の一矢を!』といった気概で臨んでくる大会でもあります。

 この制覇を目指す私たちは、瞬時も気を緩めてはなりません。

 これからは日々の生活…たとえば飲むもの、食べるものはもちろん、クーラーの温度やそれ以外の細かなことにも配慮をしなければ、到底ライバル校に比肩することはできないでしょう。

 みなさん、稽古以外のことにもしっかり気を配るように!」

 「ハイ!」


 ビシっとそろった部員のあいさつ…で終わるかと思いきや、シスターはさらに続ける。

「金光さん。部の中で一番強いであろうあなたが、勝ちにこだわって稽古に臨んでいる姿勢は大いに賛と致します。

 しかし、練習のメニューは監督たる私が部員全員に対して最良と思われるものを決め、それを執行しているのです。

 その執行を妨げるのは、短い時間の中ほ強化に勤しむ、他部員を妨げるものであるということを、もっと認識しなさい。いいですか!」

 全国レベルの強さを誇るヤーソー女学院柔道部員の中で、寝ても立っても間違いなく最強と思われる弥生は、二年生列の最末尾にあってその説教を聞いていた。

「…はい。」

 弥生は地獄の底から湧き上がるような低い声で、返事を発した。


 清掃に残る1年生部員を残し、2・3年生は逃げるように道場を去るが、弥生はひとり道場に残り、1年生部員に声をかけ、ひとしきり道場を見回る。

 やがて弥生が踵を返し、道場入口に立っている熊子のほうへ、スタスタと歩を進める。

 いや、「スタスタ」という表現は正しくない。弥生は凡百の柔道家がよしとする「すり足」をしない。見たこともない不思議な歩法。足音を全く立てない。そのため距離感がつかめない。でも、まっすぐまっすぐ、熊子のほうへ歩を進める。 

 

 「このあとすぐ、総長室で会いましょう。善美さんに案内して頂いて。」


 鈴を鳴らすような明瞭な声、そして鼻腔をフワリとなでる芳香が、熊子の横を交差し…熊子が振り向いたとき、道着を着た弥生が、目測で20m以上は離れたところを、スタスタと歩いていた。


 …これは何が何でも、総長室に行かにゃーいけんじゃろうのう…


「…浅野さん、総長室っちゃー、どこですかいの?」

 弥生の退出を最敬礼で見送っていた善美が、熊子の問いかけに頭を起こす。

「野上さん、お姉さまから何か言われたの?」

「へえ、『総長室に来い』って。」

「…そうちょう…しつ?????」

「へえ。そうです。」

「…もう一回聴くわよ…お姉さまはあなたに、『総長室に来い』って、おっしゃられたのよね…???????」

「へえ。間違いありゃしません。うちゃあ頭はともかく、耳目は人並みはずれちょりますけえ…って!!!!!!浅野さん!!!!」

  

 熊子の眼前には炎を背にしたメガネの「不動明王」が佇立していた。

「…アナタ、お姉さまから総長室へのお呼び出しって!!!!それって何ですの!

 ワタクシですら、保健室への出入りをようやく許してもらったくらいないのに!

 なんでそんなに!なんで!お姉さまが優遇するの!!!!!!!」

 

 小さな拳で、熊子の肩のあたりをポカポカと殴る熊子。

 しかしこれは、幼いころから船員の父親に「バッカーン!」というレベルで制裁を受けていた熊子には、児戯程度のもの。

 ポカポカを受けつつ「ここは総長室に行かにゃーいけんじゃろうのう。」とひとりごちる熊子であった。

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