流行りモノについて
先日、流行についてのいろんな意見を見ました。流行しているということはたくさんの人の目に触れているということであり、多様な意見が存在するのは正常で、よい社会になったなぁと感じます。
さて、とりあえず。私は流行りモノが好きというわけではありません。「流行」という要素そのものはポジティブな意味合いが少し低く、ネガティブな印象がやや高い。という感じ方をしています。
昔は、「流行りモノならば良いモノ」というある程度の信頼をおいていました。一定以上の人が評価をしているのは品質が良いからだと思っていたのです。
ただ、実際は流行っていなくても高品質のものはあります。流行っているモノよりも高品質なモノや、より自分向きなモノもあります。
なぜそれらが流行らないのか。それは多くの人の目に触れていないことが大きいと私は思います。流行っているか否かを分ける要因のひとつ、企業やインフルエンサーによる広告。もしくは、運。才能だけではなく、人の目に触れる機会を得た運。そういった要因の有無はちょっとしたものかもしれないのですが、流行したかどうかの結果は金銭面で見るとあまりにも大きく、少しやるせない気持ちになります。しょうがないとも思うのですけど。
金銭面といえば、人気者に飛びつく企業にも好感を持てません。「金のなる木」であることはわかるのですが、もう少し愛を持って接して欲しい。悪い例でいうと、人気作品の映像化には何度も哀しい想いをしました。ただ、最近は素敵な映像化も増えてきて、とてもありがたく思っています。
また、映像化はより多くの人の目に触れるきっかけにもなり、ファンとしては仲間が増える嬉しい機会です。ただ、多くの人が見ることで、私にはデメリットもあります。
なぜか興奮している感想を見て冷めてしまうことがあるのです。これは「他の人が泣いていると冷めてしまう」もしくは「怒っていると冷静になる」といったことの派生的な感情の動き方に思います。友だちとキャーキャー騒いで観るのは楽しいと思うのですけど、たまにネットの感想を観て、熱が冷めることがあります。余計に燃えるもとい、萌えることもあるのですけど。
自分の苦手な面で盛り上がっていることもたまにあります。これは私の思想的な話になるのですが、「多くの人向け」の要素に対して「私向け」ではないと感じることがよくあります。「多数向け」に焦点をあてることで「少数」側のことを認めていないように感じてしまって……。
ただ自分がお話を書くようになって、創作は大変なので、しょうがないのだろうとも思うようになりました。
とにかく、「人気」ということはやっぱり母数が大きいということなのだと実感します。いろんな人、たくさんの人が触れているということなのですよね。
これからも創作をつづけるにあたって、心の何処かにおいておくべきテーマな気がしました。
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