自身が嫌いな人はSNSをしないと思う

 厳密にいえば、「自分自身が好きじゃなくて、嫌いな人はSNSをしないと思う」です。数値で言うなら、己への好意ゼロ、憎悪MAXくらいの「嫌い」です。

 自分が嫌いだと言う人は、私も含めたくさんいると思うのですが、実際のところ、根っこのところでは自分のことが好きなのではないかと私は思っています。だって、SNSを利用するということは、自分から出た言葉を発信するということで、それはつまり、嫌いな人の言葉に触れるということです。もうそれだけで不快だと思います。というか、不快です。私は自己嫌悪が激しいときはSNSを使いません。

 敢えて、不快な自分と向き合うというのもあるかとは思います。何かの壁を乗り越えるためにとか……。そういう場合、自問自答や備忘録、日記の代わりにもなるのが利点だと思います。

 また、不快になるためにするという考えもあるかもしれません。ただ、こちらは少し理解に苦しみます。不快になりたいなら、SNS以上に適した手段がごまんとあります。そもそも他人に見えるべきところでやるべきではないと思います。

 ただ自分を痛めつけるには他人の視線は必要ありません。というか、周りの視線が気になるくらいの苦痛ということなら、余裕があるというわけで、気にするよりももっと負荷をかけるべきだと思います。

 ……なんて、酷いことを書き並べていますが、私も自虐を吐き出したい気持ちになることはよくあります。もう毎日です。ただ、それは「嫌い」というより、「情けない」の方が適切ではないかと、ふと考えました。

 自分を認めて欲しい気持ちとか、愛されたい気持ちとか、もっと上手くできるという自信とか……。自分の理想と現状が合わないときに、「こんな自分は嫌い」となるように思います。

 つまり、「嫌い」な理由は自分が理想に辿り着けないからであり、嫌いの前には「情けない」とか「不甲斐ない」とかそういう感情があるのではないでしょうか。それはある程度、自分に自信や関心があるから生まれる感情のはずで、それならやはり「自分が嫌い」というのは適切な言語表現ではないように、私は考えます。

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