10月

今さら追記"京のいけず"

 人とのお喋りについて考えていて、また「腹黒といわれる京都弁」についても考えたので、少し書きます。


 私は恥ずかしながら、つい余計な一言を言ってしまいがちなたちで、後で「言わなきゃよかった」となることが多々あります。私が言うと、険があったり、不遜に見える一言。ご存知だったり、誤解を招いたりするような余計な一言。

 嫌な想いをさせたんじゃないかと反省するくせに、また別の場所で後悔する自分を情けなく思うこの頃です。

 それでも、ついつい余計な言葉を発してしまうのは、自分の中から出た"言いたい気持ち"が相手をおもんぱかる気持ちを上回ってしまったときに思います。それは例えば、何かで感情がたかぶっているときや、相手に対する心理的な距離が近いとき。そういうときに、私はつい余計な一言を発してしまうことが多いです。……なんて、嫌な想いをした相手にとっては何の言い訳にもならないと思うんですけど。


 悶々と考えているうちに、京都弁の『いけず』もそういう風にして育っていたのではないかと、ふと思いつきました。

 前回、書いたように相手を尊重して明確に言わないながらも、つい自分の気持ちが溢れてしまう。すると、少し意地悪になる。でも、明確には言わないことで、「相手を尊重する」という状態は保った気持ちでいる。むしろ、明確に言わないことで自分の立場を守った気になり、ハッキリ言わなければ、酷いことを言ってもいいように思えてしまい……。という悪循環が、現代の「陰湿な京都弁」を生んだ要因のひとつのように私は思いました。


 だから、「京都弁」を許して欲しいとかそういうお話ではないです。ただ、私はお喋りのときに、このことを心のどこかに置いておきたいなぁと思っています。相手に不快な想いをさせないために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る