犠牲に見合わない

 俺が担任をしてるクラスにもいるよ。

 <善意を押し付けることが正しい行い>

 だと思ってる奴がな。内向的で積極性に欠ける生徒がいて、その生徒に対してお節介を焼いて、でもその生徒が上手くやれないとキレるんだ。

 で、俺はそれに対して、

「ありがとうな。気を遣ってくれて。でも、こういうのは先生の役目なんだ。だから任せておいてほしい」

 と告げるようにしてる。本人は善意のつもりだから頭ごなしに叱っても反発するだけだし、意図は酌みつつもやんわりと断る。

『子供のせっかくの気持ちを踏みにじるのか!?』

 とか言うのもいるだろうが、あのなあ、それがイジメに繋がってたら誰も幸せにならないっての。

 ごくまれにその<善意の押し売り>が実を結ぶこともあるだろう。                                                                                                                                科学や技術が進歩するためにはトライ&エラーが大事だろう。

 百件のうちの一件は良好な結果をもたらすかもしれない。けどな、そんな些細な成功例のために九十九人の犠牲者を出してたんじゃ、犠牲に見合わないっての。しかもその犠牲が次の不幸の連鎖を生むことだってある。そして、<善意の押し売りをする奴ら>は、絶対にその責任を取ろうとはしない。

 だってそうだろう? 善意の押し売りをするような奴らは、自分のやったことが上手くいかなかった時には相手の所為にするんだしな。

 なにしろ、災害の時の支援なんかでも、先方が送られて困るものを送りつけてそれで『困ります』って言われたら、

『せっかく支援してやったのに!』

 とか言って被災者を攻撃するだろう?

 助けようとしてるはずの被災者をさらに困らせておいて、<自分の気持ち>ばかりを優先するんだ。

『相手に原因がある!』

 とか言って攻撃的になるんだよ。

 <イジメの一例の構図>

 そのものだよな。

 善意の押し売りを是認するというのは、結局、こういうことを無数に生み出すだけだろ?

 とにかく、見返りを期待して持ちかけるのはただの<取引>だ。取引は双方の合意がなければ成立しない。そんなこと、<まっとうな社会人><まっとうな勤め人>なら知っていて当然のことだろう?

『知らない』って言うなら、『なぜ知らないのか』『誰から教わってないのか』考えてみることだ。

 生徒にそれを教えるのは俺の役目じゃないが、もののついでとしてなら語っておいてやる。

 それを実際に役立てるかどうかは当人の問題で、理解してくれなくても役立ててくれなくても俺は別に構わないよ。

 あくまで俺が一方的に言ってることだ。だから取引は成立していない。取引が成立していないんだから見返りを期待するのは当然ながら筋違いだしな。


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