決して無駄じゃない

 こうして特別養護学校に通い始めた敦輝だったが、残念ながら彼にはあまり合わなかったようだ。

 次の日にはもう行くのを嫌がって、シッターさんを手こずらせたらしい。しかし、シッターさんの方もさすがに手馴れたもので、ぐずる敦輝をなだめなだめて学校に連れて行ってくれた。

「ありがとうございます」

 俺は仕事から帰ると、引き継ぎの際に深々と頭を下げて、シッターさんを労う。仕事でやっているのは事実だが、そこで相手をきちんと労う姿勢を見せることは決して無駄じゃない。

 実際、敦輝も俺と同じようにシッターさんに対して、

「あ~」

 と言いながら頭を下げるようになってくれたしな。

 加えて、敦輝のこともしっかりと労う。

「今日もちゃんと学校に行ってくれたんだな。ありがとう。えらいぞ」

 包み込むように抱きしめつつ、穏やかに話しかける。すると敦輝も落ち着いてくれる。

 これがただの上辺だけのだったらおそらくこうは上手くいかないだろう。相手の言葉や態度が、上辺だけのものか、それとも本気でそう思っているか、なんとなく分かったりもするだろう? 敦輝だってそれくらい察することはできたりもするんだよ。

 上辺を取り繕うのが特に上手い奴が相手だったりするとダメかもしれないけどな。

 でも、それはそれだ。『そういうこともある』というのも、この世ってもんだしな。

 そういうのを恐れてばかりじゃ、この世で生きる事なんて出来やしない。交通事故に遭うのを恐れて家に閉じこもってても地震で家ごと潰されたりすることだってあるだろうしな。

 リスクというものは常にある。必要なのは、リスクというものを頭において覚悟して生きることだ。残念ながら敦輝にはそれはできないかもしれないが、だからといって彼をこの世に送り出した俺自身の責任が消えてなくなることはない。そして彼はれっきとした人間だ。<俺の子供>という以前に一人の人間なんだよ。俺じゃない人間がどんなに甘ったれたことを言ってたところでその事実は変わらない。

『都合が悪いから人間として認めない』

 なんてのは、

 <現実と向き合うことができない甘ったれの理屈>

 だ。

『人間である以上、どこかの誰かに勝手に自分の命の価値を決められることはない』

 というのが保証されるためには、自分が自分以外のどこかの誰かの命の価値を勝手に決めちゃいけないんだよ。

 それをするって言うんなら、自分の命の価値をどこかの誰かが勝手に決めることを認めなきゃいけない。

 自分は他の誰かの命を勝手に決めるってのに、自分の命の価値を他の誰かが勝手に決めることは許さないなんてのは、認められるわけがないからな。


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