自分らは動物園の飼育員と同じだ

 そのシッターがかつて勤めていた特別養護施設では、入所者は、人間扱いされていなかった。怒鳴って叩いて相手を操ろうとしていた。しかもそれは、入所者に対してだけじゃない。同じ職員に対してもだったそうだ。

 彼女は言ってたよ。

「私はそこの施設長に、『こいつらは動物と同じだから、怒鳴って叩いて躾けなきゃいけないんだ』と言われました。『自分らは動物園の飼育員と同じだ』とも言われました。だけど、実際の動物園では、飼育している動物を怒鳴って叩いて従わせようとはしないそうです。

 なぜですか? 人間並みの知能を持っていない動物でさえ、怒鳴って叩いてってしなくてもいいって分かってきたはずなのに、仮にも同じ人間であるはずの入所者を、怒鳴って叩いて従わせようとしなくちゃならない理由はどこにあるんです? 本当に人間以外の動物と同じだと思うのなら、動物園の飼育員に任せたらいいじゃないですか。その方がよほど上手くいくんじゃないですか?

 入所者は人間なんです。人間には人間としての接し方がある。その現実を蔑ろにしていて上手くいくはずがないと私は思うんです」

 その彼女の言葉を聞いて、俺は、この人なら大丈夫だと思ったね。もっとも、口だけでは何とでも言えるから、彼女が実際に敦輝に対してどう接するかを実際に見て最終的に判断したけどな。

 そしてその判断は正しかった。彼女はベテランらしく、新米親である俺の手本になってくれた。彼女は確実に敦輝を人間として扱ってくれて、俺はそれを参考にすればよかった。

 本当にいい人を紹介してもらえたよ。とは言えこれも、俺があくまで敦輝を人間として扱おうと思っていたからだろう。敦輝を人間じゃない動物として扱おうとしていたら、彼女のやり方なんてまどろっこしく思えて、人間じゃない動物として扱おうとする人に変えてもらおうとしてたかもしれないしな。

 しかしそれで感じたんだが、敦輝のような子供を『人間じゃない』とか言いつつ、

『普通の人間と同じ振る舞いができないことに対してキレる』

 というのはどういうことだ? まるっきり矛盾してるじゃないか。敦輝のシッターに来てくれた人が言ったように、人間じゃない動物だと思うのなら、それこそ動物園の飼育員にでも任せた方が上手くいくんじゃないかと俺だって思う。

 本当にいい加減だよな。普通の人間として振る舞ってもらおうと思ってるのか、それとも、人間じゃない動物として扱おうとしてるのか、どっちなんだ?

 自分の考えをちゃんと整理しろってんだ。

 その場の思い付きの感情論で他所様の家族の命ってもんを語るんじゃないっての。


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