親として成長していく姿を描写した物語
世の中には、
<いろいろ失敗しながらつまずきながら親として成長していく姿を描写した物語>
なんてのが溢れていたりするが、そういうのは感動的だったりするかもしれないが、いやいや、現実を見ろ。
<子供と一緒に成長できた親>
なんて、自分の周りにそんなにいるか? 俺は教師として生徒の保護者とかとも接してきたが、明らかに人間として問題があるよなっていう親や祖父母なんて、いくらでもいるぞ?
そりゃそうだよな。ロクに手本を示されずやってるんだから、適切じゃないやり方をしていても、それを直されることもない。
『それは適切じゃない』
と教えてももらえない。祖父母世代の<実は適切じゃないやり方>も、結局はそのまた親の世代が、<自己流>とか<さらにその親世代がやってたこと>を、ロクに検証もせずに真似てただけだろう? しかもそれが適切じゃないと分かっても押し付けようとしてきたりする。
それで、ウザがられる。
『年長者を敬え!』
とか、いやいや、適切じゃないことを押し付けてくるような年長者なんて、迷惑なだけだろう?
なんでその現実と向き合おうとしない?
それが、
<子供と一緒に成長することができた親の姿>
なのか?
まあ、そう言う俺も、敦輝のことに関しては、<確実に信頼できる情報>ってのがないから、結局のところは<自己流>になってしまうんだけどな。
ただその上で基本にしてるのは、忘れちゃいけないと思っているのは、外しちゃいけないと思っているのは、
『敦輝もれっきとした人間なんだ』
ってことだよ。
妻はまあ、自分の思った通りになってくれない敦輝のことが受け止めきれなくて、
「もう無理! 私には無理!! 耐えられない!!」
って言って、実家に帰ってしまったけどな。
でもまあ、それはそれで仕方ないさ。彼女のその態度だってやっぱり『人間だから』ということだし。
その上で、彼女は仮にも俺自身がパートナーとして選んだ相手だ。だから、彼女を恨むつもりもない。恨んだところで何も解決しない。厄介事が増えるだけだ。だったらもう、彼女を気遣う必要がなくなったということ自体を肯定的に捉えた方がいいだろう。
敦輝にだけ集中すればいいしな。
で、養護教諭や役所の福祉課や児童相談所に相談して、敦輝のような子供の対処に慣れたシッターを派遣してもらうことにした。俺が仕事中に敦輝を見ててもらうためだ。
そのシッターは、元々は特別養護施設で働いていたそうだが、何十人ものそういう子供、いや、もう何十年とその施設で暮らしてる六十七十の高齢者さえいるようなところだったそうだが、まるで、動物園で動物の飼育をしているような仕事のやり方に嫌気がさして、あくまで一人の子供に丁寧に接することができる今の仕事に移ったそうだ。
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