大人だけどそれができない
敦輝の言動を見ていると、それこそ、
<自由に動き回れる赤ん坊>
って感じだ。関心が湧いたものに対してふらふらと近付いて行こうとする。赤ん坊はそれが出来ないからそこまで緊張を強いられない。けれど、身体能力的にはざっと二歳児相当といった感じの敦輝は、赤ん坊よりは機敏に動くことができてしまう。『行動範囲が広い』上に早く動けるんだ。
この事実がある以上、その事実に即した対処の仕方をしなくちゃいけない。妻にはそれが出来ない。二歳児ともなればある程度は言葉を理解して言葉で指示を与えることもできなくはない。ましてや実年齢が四歳ともなれば、それこそまあまあ口で言って聞かすことはできるだろう。それを期待してるからだ。そういう前提で対処しようとするからだ。
もっとも、実際には『言葉を理解している』ことと『そこに込められた意図を酌み取ることができる』というのはまた別の話なんだけどな。親の側がそれを理解していないと自分の解釈と実際の目の前の事象の解離にイライラすることになる。
敦輝はもとより、まともな四歳児だって、言葉は理解していてもそこに込められた意図までは、完全には理解できないことは別に珍しくもないだろう。だから、親の意図通りに動けないのは当たり前なんだ。それができるようになるには、成長を待つしかない。
その成長を待つことができず、怒鳴って殴って躾けようとするから、
<相手が自分の思い通りに動いてくれなければ、怒鳴って威圧して、時には暴力を振るって従わせればいいという手本>
見せることになってしまう。それじゃダメだろう。
親の言葉の意味や意図をきちんと理解することができないのは、それは単に、
<成長段階のうちのそういう時期>
というだけの話であって、別に躾ができているからいないからという話じゃない。
親がしなきゃいけないことは子供のその成長の段階をよく見極めることだ。ちゃんと成長する子供なら、多少の個人差はあるとしても、いずれは言葉だけで理解できるようになる。
『こんな親の言うことなんて聞きたくない』
とか思われていなけりゃな。
もしそう思われているなら、それは親が『やらかした』だけだ。
一方で、敦輝の場合は、その<成長>が圧倒的に<範囲内に収まっている子供>よりも遅い。
その事実があるんだから、じゃあその事実に即した対応をすればいい。
<二歳児並みの身体能力を有した赤ん坊>
だと思って接すればいい。
四歳児だと思って接しようとするから、自分の想像との乖離にイライラしてしまうだけだろう。
大人だというのなら、目の前の事実を理解して、それに即した対応ができて当然じゃないのか?
『大人だけどそれができない』
と言うのなら、<できない子供>がいても当たり前じゃないか。
違うか?
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