敦輝
だがまあ、俺にとって<教師の仕事>はあくまで単なる<メシのタネ>。淡々と仕事としてこなせればそれでいい。親の不始末の尻拭いなんざまっぴら御免だ。学校は親の不始末の尻拭いをするための施設じゃないんだからな。
そんなわけで教師としての俺の人生についてはどうでもいいんだ。問題は、俺自身の子供だよ。
俺の子供の名前は、<
主な症状は、骨の発育不全。加えて筋肉もつきにくく、消化器官も弱い。とどめに知能の遅れが出るのは確実と言われ、事実、敦輝は四歳になるのにしゃべることも満足にできない。赤ん坊の<喃語>と言われるそれと同程度に声を発するのが精一杯だ。そして記憶力も十分じゃない。
一歳健診の際にその可能性を告げられ、精密検査を受けて確定。医者から事実を告げられた時には妻は、
「どうして私達が……!」
と泣き崩れたよ。
ただこの時、俺は、妻が『私達』と言ったことに強い違和感を覚えたんだ。
『どうしてこの子が』
とか、
『どうして敦輝が』
じゃなく、なんで『私達』なんだ? ってな。
まあそれについてはほどなく判明したけどな。
妻は、敦輝の面倒をちゃんと見なくなり、俺がほとんどを見ることになった。子供そのものは好きじゃないが、この頃にはもう、
『子供もただの人間だしな』
と割り切れるようになってたから、<そういう人間>だと思って接するようにしたんだ。そうすればどうってこともない。
人間はな、ペットとは違うんだよ。ペットは自分の思い通りにできる。怒鳴って殴って暴力で支配することもできる。首輪をつけたり檻に閉じ込めれば行動を制限もできる。それが許される。昔に比べれば<動物愛護法>とやらができたことで煩くなったかもしれないが、それでも、だ。
けどな、人間はそうじゃない。そうじゃないんだ。暴力を振るえば暴行罪になるし、首輪をつけたり檻に閉じ込めれば監禁罪にもなる。
なんでだ? それが適した対処法じゃないからだよ。
『自分の思い通りにできる』
と考えるのがそもそも間違ってるんだ。だから、相手が何を望みどうしたいのかを汲み取る必要があるんだよ。それが合致すればこちらの意図した振る舞いをしてくれることもある。
俺は、教師として生徒と接しててそれを学んだ。
あと、
<言うことを聞いてもいい相手>
と思われることだな。
それをわきまえてれば、敦輝の相手で困ったことは特になかったよ。
要するに赤ん坊と同じだからな。
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