1st.Stage―①

「どうしよう、迷っちゃったな……」

大学の入学式を間近に控えた、ある日のこと。引越してきた部屋の片付けもあらかた済み、手持ち無沙汰になった私は、近所の探索でもしようかと、部屋を飛び出していた。しかし、越してきたばかりで土地勘のない東京の街は、まるでダンジョンか何かのようで、私は、あっさりと道に迷ってしまったのである。

さっきまで人の多い道を歩いていたはずなのに、気が付けば、人気のない路地裏のようなところにひとりぼっち。道を尋ねようにも、人が居ないのでは尋ねようがないし、それに何より、下手な人に声をかけても事件に巻き込まれてしまいそうで、なんだか嫌だった。

しかし、ここでぼんやりと立ち止まっていても、家には帰れないのだ。仕方ない、適当に歩いてみるか、と踵を返した時だった。

「きゃっ」

「わっ」

どすん、と勢いよく誰かにぶつかった。相手は、ぶつかった拍子に尻餅をついてしまったらしく「いてて……」と小さく声を漏らしている。私は慌てて、尻餅をついてしまっている相手に手を差し出した。

「す、すみません!前をよく見ずに歩いていたせい……で……」

勢いよく口から飛び出た謝罪の言葉は、相手の顔を見た瞬間に、しおしおと勢いを失っていった。

だって、目の前で尻餅をついていたのは。

「アイドルの……HALUハル……!?」

今、話題の大人気アイドル「HALU」だったからだ。

「あ、ぼくのこと知ってるんだ。うれしいなあ」

ニコ、と目の前でHALUが笑顔を浮かべる。その眩しい笑顔に、私の心はいとも簡単に打ち抜かれた。本物のアイドルの笑顔は、一般人には刺激が強すぎる。

それに私は、彼女の大ファンなのである。テレビで見ていた大好きなアイドルが目の前にいる、という状況を、私は未だに受け入れられていなかった。

(ひええ……本物だああ……顔ちっちゃ、スッピンみたいだけどそれでも全然かわいい……さっき聞いた声もめっちゃ可愛かったし……ウワ髪もサラサラ。天使の輪っかできてる。やば……)

今の私の頭の中は、興奮と混乱でめちゃくちゃだった。

だからだろう。先程、助け起こそうと差し出した手を、今度は別の理由で差し出す。

そして、ボリューム調整がバグったような大声で、言い放った。

「あ、握手してください!!」

目の前の少女は、一瞬ポカン、とした表情を浮かべた。しかし次の瞬間には、ニコ、と笑みを浮かべる。完璧とも言える笑顔と共に、彼女は明るい声で言った。

「あー、ごめんね!ぼく、今、そういうのやってないんだ!アイドルは休業中、みたいな?」

「あ、そうなんですか……」

思わずしょげたような声が漏れた。それと同時に、申し訳ない気持ちが溢れてくる。彼女の都合も気にせずに、厄介オタクのような言動をとってしまったのが、なんだか酷く恥ずかしかった。

そんな私の様子に、なんだか申し訳なさを感じたのだろうか。いつの間にか立ち上がった彼女は、いつの間にやら私の顔をまじまじと覗き込んでいた。その距離の近さに、私は思わず後ずさる。

HALUは、そんな私の様子を気に留めることもなく、ずずい、と更に距離を詰めて、言った。

「ねえ、きみ、今って暇だったりする?」

キラキラ、と青みがかったまあるい瞳が、恐らく変装のためにかけられている、やぼったい眼鏡越しに、じっと私を見つめる。

「ま、まあ……暇といえば暇ですけど……」

彼女の質問の意図が読めないままに素直にそう答えれば、彼女は途端に顔を綻ばせると、私の手を掴んで、ぐい、と引っ張った。

「じゃあじゃあ!お詫びと言ってはなんだけど!!ちょーっと、ぼくに付き合ってくれない?」

「え?」

言うが否や、彼女はぐいぐいと私を引っ張って、路地裏を歩いていく。

(え、ええー!?)

まるで春の嵐のような。思えばこれが、人生を揺るがすような、彼女との出会いだった。

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