7.
仁王立ちのまま睨みあっていると、ロイドくんがさりげなく姿を現した。
おれたち二人の間を平然と横切って、テーブルに食事と飲み物を並べて置くと、無言のまま去って行った。
おれは内心でロイドくんに感謝した。
なんだかお互い意固地になってる気がして、話し合おうとするのにすぐに冷静さを失う。
(第三者がいたほうが話やすかったのかなぁ。カラスもどき追いだしたの、間違いだったかな……)
『説得、できるのか?』
『……頑張るよ』
『わかった。明日まで時間やる。……伯爵のことは任せとけ。君の言い分はちゃんと伝えておくから』
カラスもどきは、なんやかんやで人が良い。ちゃんとこいつのこと考えてくれてるんだな。ついでにおれのことも。
『若がダメだったら、俺が傍にいてやるから寂しくないよ』
とかなんとか去り際に言ってたからな。慰めようとしてくれてるのか、からかってるだけなのかわからないけど。
(けど、普通の人間になったおれの傍にいたってしょうがないのに……あんまり深く考えんとこ)
でまあ、とりあえず今度こそ落ち着いて食べながら話すつもりが、食べている間は完璧に無口になってしまったおれたち。
しっかり腹が減っていたらしく、二人して黙々と食べ続け、飲み物は清水とレモン水、あとワインも用意されていたが、おれはすぐ酔う性質だからワインは避けた。奴はグラス一杯くらい飲んでいたみたいだけど。
おれは、さっぱりした後味のレモン水を飲んで一息つくと話を再開した。
ところがだ。
せっかく仕切り直したっていうのに結局これだよ。
「だから話が飛躍しすぎてんだよ。おれはおまえが、おれのことをどう思ってるか聞きたかっただけなの!」
「どう思ってるって、今さらそんなわかりきったことを! だから結婚を申し込んだんじゃないかっ」
「そうかもしれないけど、結婚は無理だろ!」
「無理って、何で!?」
奴はテーブルを叩いて勢いよく立ち上がるとおれを睨みつけた。
「おれたちはすでに結婚を誓い合ったはずだ。決闘前に! 君が“幸せになろう”って言った!」
(うわー憶えてた。しっかり憶えてたじゃん、こいつ)
おれは空を仰いで大きく息を吐き出した
確かに言った。あの時のおれはこいつを好きだって自覚して無邪気にも幸せにしてやりたいって思ったんだよな。後先考えずにさ。でも状況はどんどん変化して、ただ好きでいること以外、何も望めなくなった。
できればこの澄んだ青空みたいに何もかも見渡せるくらい世界が繋がって、人もヴァンパイアも生物すべてが想いを繋げられたらいいのにな。もっと簡単に、しがらみなんか一切なくて……。
(けど、それはそれで節操がなくなって、めちゃくちゃな世界になるのかな)
「リン?」
呼ぶ声に、おれは弾かれたように上向けていた首を戻す。困惑している奴の顔が眼に入った。
「呼んだ?」
「ああ……」
「もっかい呼んで」
「? リン」
(わぁ、なんだかドキドキするんだけど)
「なに、レオン」
「リン……。君はまたそんな抱き締めたくなるような顔してさ。可愛すぎるんだって」
「嬉しいんだからしょうがないじゃん。やっと名前呼べるし、呼んでもらえるし」
本当に素直に嬉しかった。名前は固有名詞だ。世の中に何人も同名はいるだろうけど、自分の知る特定の人間から呼ばれることは、そこに何かの感情が込められている。好意も嫌悪も色々あるかもしれないが、親愛を込めて呼ばれれば、これほど心地よいものはない。
「ほんとに、おれらはここから始まるんだな」
「リン……」
「ちゃんと自己紹介したら、こういうことができる。ほら」
おれも立ち上がってテーブル越しに奴に手を差し出した。
「よろしくな、レオン」
奴は一瞬、虚を突かれたように動きを止めたが、表情が緩むとふんわりした微笑が返ってきた。おれの好きな笑顔だ。
「ああ、よろしく、リン」
差し出した手を握り返されて、おれは上機嫌でその手をぶんぶん振った。
カラスもどきは明日には戻ってくる。おれたちが一緒にいられるタイムリミットは明日の朝まで。時間が惜しいはずなのに、このまま二人でぼーっとしたい気分にさせられる。
(メシ食ったのまずかったかな? 腹いっぱいになると眠くなるもんだしなぁ)
思わず欠伸をしたら、奴の小さく笑う声がした。
「眠くなってきた?」
「うん、ちょっと。けど今は寝る時間がもったいないだろ。これからのこと話さないとさ」
「……何だかそうしないと、この先、話もできなくなるって感じだね」
静かに言う奴に、おれはテーブルに視線を落として言った。
「そうなるかもしれねえからな……」
すると奴はテーブルを回っておれの隣まで来ると手を差し伸べてきた。
「じゃ、あっちで話そう。向かい合うより隣同士がいい」
広い広い部屋だ。巨大なベッドの他に、これまた豪奢な長テーブルとソファの応接セットもある。テーブルには水差しとグラス、氷入りペールの中にはたぶんシャンパンが入っていて、軽食用の菓子などがしっかり用意されていた。
(まあロイドくんが気を利かせたというより、お貴族さまの屋敷だったら当たり前の支度ってやつなんだろうな)
おれはちょっと手を取るのに躊躇してしまった。
隣同士に座るってことは、奴の気分次第で触られたりくっつかれたりするわけだ。そうすると話が脱線しまくるのは必定……だよな。
(さっきみたいに迫れたら止めるの難しいよな……ていうか、おれ自身が止める気、起こらねえかもしれないし……女だったらそれもありなんだけどな)
「リン?」
「ん? ああ、行くよ」
躊躇しながらも奴の手を取ったおれは、しっかりとエスコートされながらソファへと導かれた。
ふかふかのクッションを背に並んで座ると、おれはすぐに話を切り出した。
「カラスもどきと相談して、おまえの親父さんに頼んだことがある」
「え?」
「おれたちのこれからのことだ」
おれは努めて真剣な顔を作り、真面目に話を進められるように釘も刺しておく。
「今からおれが考えたこと話すから、とりあえず口挟まずに聞いてて。その後でおまえの考え訊かせて」
「わかった」
素直に頷いてくれたから安心して笑顔になったら、いきなり抱き締められた。
「うわっ」
(やっぱりかー!)
釘を刺したばかりなのに一体何で火がついた。まさか安心した拍子に気が抜けたからか? おれのアホ!
「こらっ、落ち着けって! とにかく話終わるまで口もだけど手も出すな!」
「いやだ」
「いやじゃない! 冷静になれ! まだ時間あるんだから話した後でもいいだろうが!」
すると奴の動きがぴたっと止まった。
「それってどういう……? オレが今やりたいことわかってるの?」
奴が至近距離で眼を合わせてきた。碧いままなのに何て眼力だよ。
「……わからいでか。起きた途端、がっついてきたくせに」
「じゃ、やろう」
言うなり、おれを引っ張ってベッドへ連れて行こうとする。
(よかった、ここじゃない……なんて言ってる場合か!)
内心、ソファの上で押し倒されやしないかビクビクしてたものだから、それが免れたのはよかったものの、ベッドに連れて行かれたら本格的にガッツリじゃないか。逃げられないし止められない!
「コラ! やってたら話なんかできないだろうが! しかもこんな真っ昼間から!」
「やりながらでも話はできる」
「お、おまえ……」
こんな綺麗な顔から「やる」なんて言葉が出るとは……やっぱりヴァンパイアって欲情が強いのだろうか。そう言えば餌を喰う時って、キスとかで相手を陶酔させて欲求を高めるとか言ってたな。そういう時って性交渉も当然あったりするんだろうか。
(いくらなんでも、やりながら血を吸うって、どうなんだよ……)
やっぱり落ち着いてもらおう。
「なあレオン、頼むから冷静にだな」
「リン。オレは充分冷静だよ。君の言いたいことも考えてることもわかってるから」
「え? わかってるって……」
奴は頷いて切なげに眼を細める。
「君が元居た世界に帰る。そしてオレはここに残る。そうなったらもう考えられることは一つしかないんだ」
「いや、でも」
「大丈夫だよ。それきり二度と逢わないなんてことは考えない。オレは必ず君に逢いに行く。逢いに行けるように努力するよ」
「それ、おまえにかなり無理させることになるんだろ?」
「そうでもないよ。オレを見くびらないでくれ。人間になろうと思ったことより全然簡単だから」
「おまえなぁ、だったらなんで死ぬほう選んだんだよ? それに簡単とか言ってたら、カラスもどきやおまえの親父さん目ぇ剥いて怒るぞ」
「気にしない。君との時間のほうが大事」
「おい!」
さすがに身内を蔑ろにしすぎだろうと睨みつけて掴まれていた手を払いのけたら、奴は何も言わずに今度はおれの腕を掴んで引き寄せた。肩を抱かれた途端、身体が宙に浮いた。
「え?」
横抱きにされてベッドのほうへ運ばれる。
(おれらそんなに体格差ないのに、こいつよく抱え上げられるな)
妙に感心しながら、おれは早くも抵抗するのを諦めていた。おれ自身も奴と離れがたくなっている。その気持ちを無視することはできない。それにこいつも二度と逢えなくなるから焦っている、というわけでもなさそうだし。
(本当に未来を望める形になるんだろうか……)
奴はベッドに片膝を乗せて、おれの身体をそっと寝かせた。そのまま自分もベッドに乗り上げると、おれの髪を梳きながら微笑む。
「リン」
「なに?」
「君はオレが君を好きになった理由を知ってる?」
「理由って……最初は血のせいなんだろ?」
すると奴は首を振った。
「違う。ずっと血を前提にして話してたからそう思って当然なんだけど。あの夜、月明かりが綺麗だったあの日、君はオレの前を通り過ぎる時、笑ったの憶えてる?」
「いや……笑ったっけ?」
おれが当時の状況を思いだそうと額に手をやると、奴がその手を取って自分の口元に持っていく。指先に唇が触れる。指一本一本を食んではペロリと舐めて吸いついてる。
(う~ん、ある意味喰われてる……)
半ば諦めの体で記憶を辿りつつ話し出す。
「あの時のおまえ、ガス灯の下に立ってて、月明かりまで浴びてたから、ものすごい目立ってたのは憶えてるけど……」
「ああ、だからなのかな。ちょっと眩しそうに目を細めて、オレを見た途端に笑ったんだよ。微笑まれたって思った。その表情がとても可愛かったんだ。それで思わず飛びついちゃったんだけど」
「餌だ~って?」
おどけて言うと、奴は楽しそうにくすくす笑った。握ってたおれの手を自分の首の後ろに回して顔を近づけてくる。まるでおれが引き寄せているみたいに。鼻先が触れそうなところで囁くように話す。
「少し違うな。近づいてからいい匂いがするって思って血を吸ってから極上の獲物だって思った。でもね、オレはそう気づく前に君に一目惚れしてたんだよ、リン」
そう言うと今度はおれのもう一方の手を取って、さっきと同じように食いついた。くすぐったくて笑いを漏らすと甘噛みしてきた。その時ふと気づいて奴の襟足の髪を引っ張る。
「なあ、牙は? さっきから噛んできても当たんないよな?」
「そりゃ当たらないように噛んでるから。今度キスした時に舌で確認してみてよ。ちゃんとあるから」
ニッコリ笑う奴におれは頬に熱が集まるのを感じながら視線を逸らせた。
(おもしろがってる、こいつ……)
奴はもう一方の手も首へ回させて、悩ましげに吐息を漏らすと熱っぽく見つめてくる。
切なげに歪められた表情が、なんだってこんなに色気満載で艶めかしいんだか。造作のいいやつってのはどんな表情でも見惚れてしまうんだな。
そんな美貌のヴァンパイアが血なんか関係なく、おれ自身を好きなんだと言う。
「……おれって、そんなに好かれるほどのもんでもないけどな」
思わず呟くと、奴は苦笑とともに大きな溜息を吐いた。
「自覚がないから怖い。オレをやきもきさせてばかりのくせに……」
奴の親指がおれの下唇をなぞる。その動作に導かれるようにおれは小さく息を吸い込む。開かれたそこへ奴の唇が降りてきた。
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