3.
おれたちの眼の前に立ちふさがるのは金髪美形と美少女。
なんだってこう特殊な人間、いや人間じゃないな。ヴァンパイアって生き物は誰も彼もが美人なんだろう。
こいつらが言う“元老”ってじいさんたちも、若い頃はさぞかし女の人を惑わせたんだろうなって名残りを思わせる姿をしてるのかな。
そこまで徹底してたらとんでもない種族だ。
「なあ、なんでこの人ら、また現れたんだ?」
おれは隣にいる、同じくとんでもない種族の金髪美青年に訊ねた。
奴は血まみれの半身を抱えながらも毅然と立っている。
「たぶん長の命令だろう。オレの計画は一応、秘密裏に進めていたつもりだけど、誰の口から洩れるともしれないからバレるのはわかってた。あいつがやたらと決闘を延ばしてるしな」
あいつとは、後方で成り行きを見守っている、カラスもどきのことである。
「それでも、あの人が長の命令とはいえ素直に聞くとは思ってなかったんだけどね。我が道をゆく性格をしてるからさ。ただ面倒くさがりでね。それが欠点になってる」
「欠点?」
「“諦めがいい”ってことさ。自分が愛した花嫁さえも諦めてしまったんだから」
そう言って奴は父親を睨み上げた。
思いっきりケンカ売ってるな、こいつ。
対峙している父親はというと、まったくの無表情である。
そういえばこの人はあんまり表情を変えない。“笑った”らしい顔を見てはいるけど、感情と結びついた笑いとは思えないし、しゃべり口調だって一定の音を取っていて抑揚がない。
息子が怒りを剥き出しにして睨んでいても能面のままだ。
その息子はコロコロと表情を変えて、不器用だけど一生懸命さが伝わってくる接し方をするというのに親子とは思えないほど大違いだ。
そんなことを思っていると、能面のほうが口を開いた。
「空しいことはやめろ」
「何?」
奴が眉をひそめる。心中を探るかのように耳を傾けている感じだ。
「おまえはすべてわかっていながら足掻いているのか?」
「可能性を信じて何が悪い」
「可能性……そんなものがどこにあるというのだ」
奴の父親の瞳に一瞬の陰りが生じた。
やっぱりあの人なりに心に傷を負ったのか?
ヴァンパイアが餌としている人間を、喰らうんじゃなく花嫁にするなんて、想いが強くなければありえないはずだ。
どんなに冷酷な性格でも、一心に想いを注いだ相手を失えば、そう簡単に悲しみは癒えないだろう。
奴も同じことを感じたのかもしれない。口調が和らいだ。
「あなたの言いたいことはわかる。だけどオレは諦めたくないんだ」
すると奴の父親は溜息ついて、ゆっくりと頭を振った。
「おまえは馬鹿じゃないはずなんだがな」
おいおい、バカ呼ばわりされたよ。奴の眼が据わってるぞー。
「自分の息子を馬鹿とはなんだ」
「馬鹿だろう。おまえにできることを私がやれないわけがない」
「何だって?」
奴が眼を瞠る。
おれも言葉の意味を間違って理解していなければ、ここは驚くべきところだ。
「あんた、こいつと同じことをしたことがあるのか?」
しかし相手はおれの質問を無視した。
「花嫁、悪いが君には人の世界に戻ってもらう」
「え?」
おれが反応するより先に視界が黒に覆われてしまった。
「人間の君が私たちをどうにかしようなどと無理な話だ」
頭上から聞こえた声と身体が浮き上った感覚とで、おれはようやく奴の父親に抱え上げられたことに気づいた。
「ちょっ、離せ!」
「何を勝手なことを!」
奴の声が聞こえる。
だがマントに覆われているせいで奴の姿を確認できない。
「彼を離せ! オレの気持ちを一番理解できるはずのあんたがなぜ邪魔をする!」
「だからだよ。死ぬよりはマシだろう?」
父親の言葉に奴が息を呑む気配を感じた。
どういうことだ? 死ぬよりはマシ? 奴のことか? それとも……。
“獲物として刻印を付けられた人間は百日で死ぬ”
カラスもどきが言った言葉をどういう意味なのか、おれは何度となく考えた。
でも奴が言うには百日経ったら死んだという例はなく、その前に喰ってしまうのが実情で、花嫁としてここの住人になれば生きられると言った。カラスもどきもおれを花嫁にしたいと言い、奴の立場なら周囲の反発を買う恐れがあるが、自分なら問題ないとも。
だけど実際に花嫁になった人の話は聞いてない。
本当のところはどうなんだ。
いや、だけどおれはもう刻印は消えて姿が戻りつつある。すでに獲物でも花嫁でもないから関係ない。
おれは人間に戻って、そして奴はおれと同じ人間になるために死のうとした。
でも奴が死ぬ話はなくなったんだ。おれがイヤになったから。
それに奴の父親もカリンも奴を死なせたくないと思っている。だからおれたちの間には“利害の一致”があるのだと言ったんだ。
じゃあ、おれがこのまま元の世界に帰ったら、すべてがうまくいくのか?
奴に出会う前のように働きながら絵の勉強をして、慎ましい生活をしながら生きていく。ささやかだけど、おれにとっては好きな絵を描いていられる幸せな時間と環境をまた手にできる。
そこに戻れるのなら文句などない。
でも奴とは二度と会えないんだ。
あいつも今までと同じ、ヴァンパイアの世界で生きていく。また餌を求めて人間の世界に来たとしても、たぶんおれに会うことは許されないだろう。
あんな偶然は二度とない。きっと父親や偉いじいさんたちが色々細工して会わせないようにするはずだ。
そのほうがお互いのためかもしれない。
いくら好きでも死んでしまったら意味はないし、周りを巻き込んで誰かを悲しませたところで本当に幸せになれるとは思えない。
そうだよな。おれはこのまま帰ったほうがいい。
おれを抱えて宙を飛んでいるらしい父親の腕の中で、おれはそう結論づけてしまった。
どう考えたって種族の違うおれたちが一生ずっと一緒にいられるはずないんだ。
どんなに奴が根拠のない方法であれ人間になれると信じていても、そんな奴を信じて生まれ変わるのを待っていても、その先に望む未来があるのかどうか。
「冗談じゃない! こんな結末、許すものか!!」
おれはビクリと震えた。
「返せ!!」
奴の声が。
「その人を返せッ!!!」
狂おしいほど切ない叫びが。
おれは思わず目の前の服を握りしめた。
「気にするな。すべて丸く収まる」
「え?」
「君が後悔することはないと約束しよう」
頭上から聞こえてくる声は、やっぱり抑揚がなく感情がまったく感じられなかった。
それなのに胸が詰まるほど優しく思えるなんて、どうかしている。
おれは冷酷無比な奴の父親の胸にすがって泣き出していた。
その時である。
おれの耳に獣の咆哮に似た凄まじい叫び声と、身体には重苦しい空気が圧し掛かってきた。
「……なに?」
すると父親も動きを止めて、どこだかわからない屋根の上に降り立って振り返る。
「主さま……」
カリンが呟く声が聞こえる。
おれはマントから顔を出し、後方を見遣って絶句した。
(なん、だよ、あれ……)
奴が宙に浮いた状態で、恐ろしい姿に変貌していた。
真紅の瞳が輝きを増し、髪が逆立ち、牙や爪が異様に伸びて、極めつけは黒々とした蝙蝠のような羽が背中から大きく突き出している。
おれは驚きに声も出せずにいたが、隣にいるカリンが怒りと動揺とで戦慄いていることに気づいた。
眼光鋭く、おれを睨みつけてくる。
「何故このような……! おまえ、人間のおまえごときのために、あの方が変貌されてしまうなど、許せぬ!」
怒り狂ったカリンがおれに襲いかかろうとしたが、父親がすばやく制した。
「やめろ、カリン」
ぴたりと動きを止めるカリン。
「今度こそ、本当に死ぬぞ」
「主さま……」
カリンが恐る恐る父親を見上げる。
「おまえがこの者の息の根を止める前に、おまえの核は粉々に砕かれているだろう。怒りに我を忘れたあいつの力は私をも凌駕しようとしている」
「主さま! 若様はどうなるのです!?」
すがるようなカリンの声に、おれは息を呑んで父親の返答を待った。
すると、おれを見下ろし薄っすらと笑みを浮かべた。
「“恋は盲目”とは、よく言ったものだ」
カリンと同じことを言って、からかう気なのかと思っていたら、父親は溜息をつくと、抱えていたおれを降ろした。
正直こんなところに降ろされても困る。
三角屋根だから足場が悪いじゃないか。
おれが心中で不満タラタラになっていると、父親はさりげなくおれの背中を支えた。
「あの息子をあそこまで変えさせるのだから、恋とは本当に厄介だな。花嫁よ、君は命まで捨てようとした相手に何をしてやれる?」
「同じように命を捨ててやるって言えば満足なのかよ?」
おれは憔悴した気分で言い捨てた。
もうぐるぐる考え過ぎて、おれたちにとって何が良くて何が悪いのか、わからなくなってしまった。
こんなふうに気持ちを試されるのも飽きた。
だって、あいつの想いもおれの想いも本当は最初から決まっていたんじゃないのか。
それなのにさまざまな思惑とか状況に流されて悩み過ぎたんだ。おれたちは。
奴の父親の腕を拳でトンと突いて言った。
「いいからもう、あんたたち消えて。みんなおれらに関わってくんな。おれらの未来はおれらで作るし決める」
おれは異形の姿に様変わりしてしまった奴を見つめる。
「おれの願いはあいつを守るってことだけだ」
「君が息子を守る? 非力な人間がどうやって? 人間はヴァンパイアの世界で生きることができないというのに」
憐みを帯びた声に思わず父親を振り仰いだ。
声と違い無表情なままの相手に問う。
「なあ、刻印を付けられた人間が百日で死ぬってほんとなのか? 花嫁になっても?」
「そうだ。人間の花嫁など存在しない。ヴァンパイアにとって人間はただの食事にすぎないのだ」
眼の前が真っ白になるとはこういうことなのか。
「ほん、とう、に?」
おれは力なく呟いた。
「真実だ」
「でも、あいつは花嫁として連れ帰れば一緒に生きていけるって、カラスもどきだってそう言った……」
絶望という言葉が、おれの頭をよぎった。
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