2.



 あいつとカラスもどきって力の差は互角なのかな?

 本気で打ち合ってるのはわかる。

 二人の殺気立った表情と荒い息遣いと剣戟の激しさが手加減なんて言葉から程遠いことを示しているからだ。

 このまま続ければ、いつか、どちらかが倒れる。

 どちらかが、死ぬ。


 あいつにとってはそれが本望だろうけど、カラスもどきはたまったもんじゃないだろうな。

 だけど、カラスもどきが忠誠心に厚い人格者だったら、あいつのために全力で闘ってその願いを叶えてやるかもしれない。

 逆にあいつに死なれては困る事情があったり死なせたくない強い思いがあったとしたら、たとえ忠誠を誓っていてもあいつを生かす方法を考えるかもしれない。


 “あいつを生かす”。


 おれの願いはあいつを守ることだ。

 じゃあ、あいつの何を守りたいんだ?

 あいつの思いを、願いを守ることなのか。

 それとも、あいつの命を守ることなのか。

 おれの本当の願いは……。





 おれは奴の揺れる金髪を見つめて、「きれいだなぁ」と呟いた。

 自然と口元に笑みが浮かんでくるのがわかる。

 奴の姿を素直に綺麗だと感じて、それを嬉しく思った。


「おれ、けっこう鈍い人間だったな」

「だから人間は後悔するのでしょ? 愚かであるがゆえに同情の余地もありませんわね」

「まったくだ」


 もうカリンの毒舌に苛立つこともなかった。

 だって本当に彼女の言うとおりなんだから。


「けど、これ以上後悔してたら死んでも死にきれねえよな。未練タラタラで魂だけになってもずっとこの世をさまよってしまうかもしれない」

「そこまで自覚したのなら少しは成長したようですわね」

「へぇ、初めて褒められたなぁ」

「人間はすぐ調子に乗る」


 思わず笑っているとドスの効いた声が聞こえて、おれはまたしてもお尻に危機を感じた。

 慌てて両手で尻を覆う。

 すると何か固いものが擦れたような鈍い音がした。


(……今の、歯ぎしり?)


 おれは背筋がゾッとするのを感じた。

 カリンがおれに好意を示すはずもなければ容赦ない性格保有者だってことを忘れちゃいけない。

 だけど、おれはさらにこいつを怒らせるかもしれないことを問わなければならなかった。

 なぜなら、あいつが死ぬのを黙って見てるはずがないからだ。


「カリン。おまえさ、なんか企んでんだろ?」

「何故そう思うのです?」

「だってさ、おまえがなんの考えもなしにおれの前に現れたとは思えねえし。しかもあいつの得にならないことは絶対しないはずだろ。今までのおまえだったら」


 おれは言葉を切って後ろの気配を窺う。

 父親の使役に戻ったとしても、こいつはその息子である奴の血筋はもちろん能力や容姿を以前と同じように崇め讃えているはずだ。

 それほど溺愛しているのに奴の死を受け入れるなんてあり得ない。

 ましてや無知で低能な生き物である人間になろうとするなど許すはずがないんだ。


「カリン、おまえはあいつが死ぬことも人間になることも絶対許さねえだろ?」

「わかりきったことを」

「でもさっき、おれの願いを叶えてやるって言ったよな?」

「……我らと利害の一致を見た。そう判断したからです」

「利害の一致?」


 おれの願いと誰の? 我ら?

 カリンはヴァンパイアの使役だ。使役の務めは主の命令を聞き入れ果たすこと。

 こいつの個人的な感情で(そもそも使役に感情があるのかどうかわからない)勝手に判断して行動することはできるのだろうか。

 使役が主に対して絶対服従なら、こいつの意思は主の意思。

 ということは……。


「まさか、あの父親が? あいつの父親がなんかしようとしてんの?」


 恐ろしくも妖艶な空気を纏い豪華絢爛な容姿をしたエロ大王が奴の計画に手を出そうとしているのか?

 しかし奴の腹の中からカリンの核をえぐり出したあの時は、おれたちに関与しないと言っていたはずだ。

 カリンの核に用があっただけで、親族たちの干渉などは自分で対処しろと言ってのけたくらいだ。

 息子に対してあんなひどいことをするような冷徹なヴァンパイアが前言撤回するとは思えない。

 それなのに無理矢理奪取したカリンをわざわざ差し向けてまで関わろうとする理由は?


「なんかヤバイことでもあったのか? あの人、あの時はほんとにおれらに関わる気はなかったはずだぞ?」


 すると囁くような笑い声が聞こえた。


「まったく、よく頭が働くようになりましたこと」


 楽しそうな口調におれは眉を潜める。


「やめろよ、褒められてる気ぜんぜんしないから」

「それは失礼しましたわ」


「楽しそうだな、カリン」


 突然割って入った声に、おれはカリンの忠告も忘れてギョッとして振り向いた。

 可愛らしい笑みを湛えるカリンの後ろに、間違いなく奴の父親の姿があった。


「なん、で」


 おれは声が震えるのを隠せなかった。


「ま。これが楽しく見えまして? 馬鹿な人間を相手にすることほど疲れるものはありませんのに」


 大袈裟に溜息をつくカリンを眼を細めて見つめているヴァンパイア。

 優しく微笑んでいる(かに見える)ヴァンパイアは、その唇の形をそのままに、おれへと視線を移した。


「また会ったな。息子の花嫁」


 鮮やかな真紅の瞳は、あいつが腹から大量に流した血を思い起こさせて胸くそ悪くなる。

 おれはバクバクと騒ぐ心臓を抑えつけるように胸元を握りしめて、非常なるヴァンパイアを睨みつけた。


「また会うとは思わなかったけどな。なにしに来たんだよ」

「口を慎みなさい」


 案の定、カリンがまなじりを上げておれに食ってかかろうとしたが、奴の父親がやんわり制してきた。


「カリン。そう目くじらを立てるな」


 途端にカリンは無表情になると深々と頭を下げた。


「申し訳ございません。出過ぎた真似を致しました」

「いいよ」


 父親はカリンの綺麗な金髪を撫でて、また微笑んだ。

 おれはこの微笑みが妙に気に入らなかった。

 一見、綺麗な顔立ちなだけに優しげに見えるのだが、あの紅い瞳は凍えるほどに冷たく空虚なガラス玉にしか思えない。


(でも、この人は花嫁にしようとした人間を、あんまりよくない理由で失くしてんだよな。だったら人間みたいな悲しい感情を持ったはずだと思うけど。この冷たい眼ぇは、そんなの感じられない。逆に心も一緒に失くしてしまったっていうほうが納得できるな)


 警戒心全開で身構えているおれを相手はどう思って見ているのか知らないが、微笑みを崩さぬまま話し始めた。


「花嫁、君の言うとおり私は二度と君の前に姿を現す気はなかったのだが、想定外の事態という」


 そこへ、いきなり剣が吹っ飛んできた! 怒鳴り声とともに。


「何しに来た!」


 振り向けば、肩で息をしている奴が剣を投げたポーズのまま、こちらを睨み据えている。

 奴の怒りの感情をまっすぐに受けているはずの父親は、突如襲いかかった剣を、ほんの少し首を傾けただけでやり過ごした上に澄まし顔で言った。


「君たちは、おんなじことを言うねぇ。さすが結婚しようと思っただけある」

「そこ、感心するとこかよ……」


 さすがのおれも恐怖を横に置いて呆れた溜息をついた。


「彼から離れろ!」


 すると父親が呟いた。



「おいおい、決闘の途中で背中を向けていいのかい?」


 ハッと気づいた奴が振り返るより先に、カラスもどきの剣が奴の肩を切りつけた。


「おいっ!」


 奴の身体が傾く。

 再び剣を振り上げたカラスもどきを見て、おれは咄嗟に駆け出そうとした。


「行っちゃだめだよ」


 そんなセリフとともに背後から首を掴まれ思いっきり咳き込んでしまう。駆け出す勢いがあったために喉仏を押さえられる結果となり息ができなくなったのである。


「ゲホッ、ゴホッゴホッ、ゴホッ!」


 四つん這いに倒れ込んだおれは、喉に手を当て止まらない咳に苦しみながらも必死に顔を上げて奴の安否を確かめようとした。

 涙で滲む視界には二つの影がある。

 二つということは奴は倒れていないのか。


(無事なのか……?)


 ちゃんと確かめようにもはっきり見えなくて、喘ぎながらヒリヒリする喉を押さえて大きく息を吐いた時、視界が暗くなり肩が温かさに包まれた。

 何だろうと顔を上げたら、眼の前に奴がいた。


「大丈夫か?」

「おまえ……」


 紅い瞳だった。奴はヴァンパイアの能力全開で闘っていたのだから、その眼はギラギラと真っ赤に輝いている。

 でも感情がしっかり見える。父親のように何も映さない瞳じゃない。

 ヴァンパイアの眼でも、今のおれには優しさとぬくもりを感じる。


「飛んできたんか……さっき、切られてなかったか?」

「肩をちょっとね。その後、思いっきり掴んだから、ザックリ行っちゃった」

「剣、掴んだのかよ!?」


 喉の痛みでかすれ声になってしまったけど、おれの驚きと呆れがないまぜになった顔を見て、奴が苦笑をこぼす。


「咄嗟に掴んじゃったもんは、しょーがないじゃん」


 奴の肩に視線を移せば、破れた服の間から血が流れ出て、ぐっしょり濡れている。

 黒い服だからわからないが、白い服なら赤色にまみれてどれほど凄惨であるか想像に難くない。

 そして、その肩の先、ぶら下がった手を見れば真っ赤に染まって肌色なんて見えないじゃないか。


「いくら治りが早いからって、痛みは普通にあるんだろ?」

「ん、まあ……」


 おれは奴の切られてないほうの左肩を掴んで額を押しつけた。唇を噛み締めて感情の暴発を押し殺す。


(イヤだ、もう。こいつが傷つくのは、もうイヤだ)


 見ていられない。

 おれは、こいつの優しい笑顔が消えてしまうことに耐えられない。

 一緒にいられなくてもいいから、こいつに生きててほしい。

 今のこいつでなきゃ、おれはイヤなんだ!


「死ぬの、やめろ」

「え?」


 奴が驚いておれを凝視する。

 その顔は汗だくになってるから金髪が肌に貼りついてて妙に色っぽい。


(こいつはどんな姿でも様になるんだよな。憎たらしいやつ)


 おれは気が緩みそうになるのをこらえて、奴を睨むように視線に力を込めた。


「おまえが死ぬのは無しだ」

「無しって、何を言ってんの?」

「ころころ気が変わって悪いけど、おれもう決めた。おまえが死ぬ選択は無しだ。それで……」


 おれは、ゆっくりを背後を振り返った。

 そこには悠然とおれたち二人を見下ろすヴァンパイアとその使役がいる。


(おれはこいつらからおまえを守る)





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