第四章 願いと真実

1.



 なんだかんだと楽しかったな。

 月明かりの下、突然現れた金髪の男は、いきなりおれの首に咬みついて勝手に餌にしてくれて、おれを自分の物だと刻印をつけた。

 人間じゃなかったあいつはヴァンパイアという人間の血を好む異形の存在で、出会った日からおれはヴァンパイアたちに狙われる日々が続き、襲われては痛めつけられて挙句に住んでいた部屋は破壊されるし絵も描けなくなった。

 生活が一変して今じゃ“魔”の世界という異空間に来ている始末だ。

 たぶん日数にして一週間とか十日とか、それくらいの短い期間だと思う。

 奴と過ごした時間は。

 男だと気づかずに匂いにつられて咬みつくなんて大ボケかましてさ。でも最後まで吸いつくすことはできなくて他のヴァンパイアから守るって、おれにまとわりついてきた。

 人間じゃない常識を超えた存在感は凄まじく、見た目は異様なほど綺麗だし本能が目覚めた時の威圧感は身が竦むほど恐ろしくなる。

 なのに普段はボーッとして抜けてるし、ふにゃふにゃ笑ってるかと思えば、何かと接触してこようとして油断ならなかったりする。

 ただ、あいつはいつも真剣だった。

 おれに対しては、いつも、ずっと、まっすぐに見つめてくれていた。

 だからおれも自分の気持ちに素直になることにしたんだ。

 好きな人を守りたい。

 おれの願いは、それだけ。




 おれたちは場所を教会の講堂に移した。

 敷地内に教会があるなんて、どれだけ大金持ちなんだって、普通の人間ならその程度の感想ですんだだろうけど、忘れちゃいけないのはここが“魔”の世界で、こいつらはヴァンパイアだってことだ。

 教会っていうのは人間の常識でいえば、神様に祈りを捧げてその存在を感じようとするための神聖な場所のはずだ。

 悪魔は神とは相対するもの。

 だから人間は空想の世界を描くとき、悪魔は神の持つ某かの力を恐れ、ついにはその身を滅ぼしてしまう存在としている。

 それなら“魔”の世界の住人であるヴァンパイアが神を信仰しているなんてありえないし、教会を建てるなど考えられない。

 でも奴は、ヴァンパイアは生命の循環を神の領域だとして信じていると言った。

 だから自分がしようとしていることは神に背く行為になるかもしれない。

 だけど考えてみればヴァンパイアが神様を信じてるなんて本当なんだろうか。

 突然降って湧いた疑問におれは顔をしかめた。


(おれってもしかして奴に騙されてる? おれを説得するために人間が考えるような話を作ってるだけなんじゃねえの?)


「どうかした?」


 黙りこくったおれに奴が首を傾げた。

 おれはあからさまに疑いの眼を向けた。


「……ヴァンパイアにも神様っているのか?」


 すると奴は一瞬虚を突かれた顔をして、でも次には優しい微笑みに変わった。


「もちろんさ。人間の常識ではおかしくても、神っていう存在は信じる生命によって千差万別なんだよ。つまりヴァンパイアにはヴァンパイアが信じる神がいるってことさ」

「えっ、それって神様なのか? 悪魔じゃなくて?」

「じゃあ何を持って“神”と呼び、何を持って“悪魔”とする?」

「う、ん~」


 唸りだしたおれを見て奴がクスクス笑う。

 そして講堂の最奥にある巨大な十字架を仰ぎ見た。


「不思議だよね。人間の中でもよくあるだろう? 立場が違えば見るもの触れるものの存在価値が異なってくるって。神や悪魔も同じだよ。命を持つ者が何かの局面にぶつかった時にすがりたくなる存在だったり、祈ることで心の均衡を保とうとする精神安定剤みたいなものだろ? ということは祈る者によって“神”とも“悪魔”とも呼べてしまう。ヴァンパイアだって思考回路は人間と変わらない、同じ精神構造を持った生命体だ。救いを求めて祈る時は“神”と呼ぶだろうし、憎しみを持って力を得たいと叫ぶ時は“悪魔”を相手にしてるだろう」

「要は自分が“何を”必要としてるかってことか……」

「うん。こんなふうに眼に見えてる建物や象徴してる彫像なんかは、わかりやすく視覚化しただけだからね。価値を置くかどうかも、その命次第さ」


「若、それ以上は口を慎んだほうがいいですよ。一応、人払いはしてますが、信心深い者たちが聞いたら『神を冒涜している』と吊るしあげられますからね」


 振り向けばカラスもどきが額を押さえて呆れた顔をしている。

 奴は可笑しそうに笑ったが、一瞬で表情を改めるとカラスもどきを誘った。


「それじゃ、始めるか」


 そう言った奴は、それから一度もおれを見ないまま講堂の最前列、教壇のある開けた場所へカラスもどきと一緒に歩いて行ってしまった。

 おれは講堂の入り口で取り残された。

 一人で、と思っていたら、斜め後ろにロイドくんがいた。


「あいつの傍にいなくていいの?」

「あなたをお護りするよう言い使っております」

「別にもう護られなきゃいけないわけないだろ。ここにいたら他のヴァンパイアに襲われることもないだろうし」


 ロイドくんはそれ以上何も答えなかった。

 おれも二人が互いに剣を抜き合うのを見て眼が離せなくなった。


(ほんとにあいつら殺し合う気なのか……)


 おれは思わず自分の腕を掴んだ。

 身体が震え出しているのがわかる。


「おれ、やっぱりあいつに言いくるめられてるだけじゃねえのか……」

「恋は盲目とは、本当によく言ったものですわね」


 背後から聞き覚えのある声がした。扉は閉めてあったはずだ。開いた音なんか聞いてない。

 その声は、振り向こうと身じろぎしたおれを鋭く制する。


「そのままで。おまえが動かぬ限りわたくしの姿はあちらから見えないはず。若様のためを思うなら、わたくしの指示に従いなさい」

「その声……カリン?」


 おれは背後の気配を感じながら、驚愕と少しの怖れと少しの安堵感を胸に抱いた。




「まったく! 何で俺がこんなイヤな役回り、しなきゃなんないんですか!」


 カラスもどきが文句を言いながら剣を振り回している。

 その繰り出される切っ先を受け止めて涼しげな顔で答えるのは、この茶番劇を考えた、おれの伴侶くんだ。


「仕方ないだろ! おまえしかオレと対等に戦える奴がいないんだから!」


 そして奴は黒い外套を翻し、素早く攻撃に転じている。


「だからって何も、こういう形で死ぬことを考えなくても!」

「オレの立場上、下手な死に方はできないんだよ! おまえが一番よくわかってるだろ!」

「わかってますけど! そもそも、あなたが死ななきゃいけないこと自体、俺は納得できてないんですよ!」


 文句たらたらのカラスもどきだが、思いっきり打ち振るっている姿は本気で戦っているように思う。

 まあ奴が全力で向かっていくから気を抜いたやり方をしていたら自分のほうが危うくなるもんな。

 カラスもどきだって死にたくないだろうし。

 結局、奴はおれと同じ人間になるための方法を実行に移した。

 まずはヴァンパイアとしての自分が死ぬこと。

 だがヴァンパイアは人間のように簡単には死ねない。

 長命な種族である彼らは再生能力に富んでいるらしく、切ったり裂けたりしても傷口はすぐに塞がるし出血もすぐに止まる。毒に関しても嗅覚や味覚の鋭さで見破ることは簡単だし耐性もあるため効果が薄いという。

 だから裁判による処刑には特殊な鎌と毒を操る執行人が存在するのだ。

 それでも拮抗する力がぶつかった場合、致命傷を負わせることは可能かもしれない。

 しかも奴の家柄や地位の高さなど世間体を考えると、不名誉な死に様を曝すことは許されないらしい。

 だから公的手段として“決闘”をでっち上げ、その相手としてカラスもどきを選んだのだ。


「あなたは! 本気で人間になるつもりなんですか! なれると信じているんですか!」


 カラスもどきが叫ぶ。

 その言葉におれの心は痛んだ。

 ついさっき奴と約束を交わしたのに。

 二人一緒ならできると。

 だけど、おれの心は揺れっぱなしだ。


「なあ、あいつの言ってることは、ほんとに可能なのか?」


 おれは背後に向かって問いかけた。


「さあ?」

「さあって、冷たい返事だな」

「成功例がないだけで、歴史上に実行したヴァンパイアは数知れず存在したのは事実ですわ。もしかしたら若様が最初の成功者となるかもしれません」

「そうか……」


 安心できる回答ではないけど、まったく希望がないわけじゃないってことかな。


「ところで、そこにロイドくんがいたはずだけど、おまえ何かしたのか?」

「邪魔しないように動けなくしてあるだけですわ。若様の使役ですから消すことはできませんので」

「あ、そう」


 とりあえず無体なことはしてないみたいで安心かな。

 おれはもう一つ、気になっている質問をした。


「なあ、カリン」

「なんですか?」

「おまえさ、あいつのこと“若様”って呼んでるけど、前からそうだっけ?」


 おれは背中に神経を集中させた。

 後ろにいるカリンはおれが知っている“カリン”とは別人かもしれない。

 何故ならカリンは一度その存在を核だけの姿になるほど壊されてしまったのだ。カラスもどきに。

 そして奴の腹の中で再生しようとした。

 しかしその途中で奴の父親に、えげつないやり方で奪われてしまった。

 だから今カリンは父親のところにいるはずだ。


「無知な人間のくせに察しはいいようですね」

「じゃあ、やっぱり前のカリンとは違うのか?」


 わずかに首を巡らせて視線を向けると、何とか金髪巻き毛が見えた。


「こちらを見るでない。若様に見つかれば、おまえの想いは届かなくなりますわよ」


 高圧的な物言いに、おれは再び前を向いた。


(しゃべり方は前と全然変わってないな。結局、可愛らしい人格にはならなかったってことか)


 おれは無意識に溜息をついてしまった。


「わたくしの主は若様のお父上であるリーベシェラン伯爵に戻りましたから、そのご嫡子を“若様”とお呼びするのは当然のこと。ですが呼び名が変わったところで、あの方に対する思いは変わりませんし、これから先も若様のご成長を見守ってゆくつもりですわ」

「そっか。てことは、あいつへの忠誠心は続いてるわけ、うぎっ!」


 おれは思わず両手で口を塞いだ。

 痛みで叫びそうになったからだ。

 おれはカリンの忠告を無視して振り向くなり怒鳴りつけた。もちろん小声で。


「なにすんだっ! 痛いじゃねえか! おれの可愛いお尻が腫れたらどうしてくれんだよ!」

「呆れた自画自賛ですわね……。おまえが当たり前のことをぬけぬけと言うからですわ」

「だからって、つねることないだろうが! すっげえ痛かったぁ……」


 じんじんと痛むお尻を撫でて、恨めしくカリンを見つめる。


「お二人とも、そこまでに」


 ロイドくんが静かに割って入ってきた。あら、喋れるんだ。

 姿が見えないし気配も感じないと思っていたからカリンに何かされたと思っていたけど、拘束されただけみたいだな。

 ホッとしているとカリンがわずかに眉を上げた。不愉快に思っているのがよくわかる。

 だが、それについては言葉に出さず、カリンはおれを見上げて言った。


「おまえの本当の願い、叶えてやりましょう」


 金髪巻き毛の美少女は、その風貌に似つかわしくない赤い唇で嫣然と微笑んだ。





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