7.
こいつって絶対説明下手だ。
得意げに大口を叩くものの相手に理解してもらおうなんて全然思ってないだろう。
出会って間もないというのに、おれはすっかりこいつの性格を把握してるんじゃないかと思う。
きっとおれたちは言葉より思いで通じ合ってるんだ。
そうとしか思えない。
何故なら、こいつの言ってることがさっぱり理解できないからだ。
(普通、恋人同士なら致命的じゃん。言ってることがわかんねえってさ)
でもおれは呆れはしても、どうでもいいと放り出す気にはならない。
不思議とこいつが本気だってことはわかるから。
おれに対してだけは。
長い前髪の向こうから碧い瞳が語る。
「つまりさ、ヴァンパイアの細胞を殺すってことなんだ」
「……悪いけど、おれにはなにがなんだかさっぱりわからん」
「そりゃそうだ。オレだってよくわかんないもん」
「わかんねえでしゃべってんのかっ、おまえは!」
ビシッと突っ込んでやってから、おれは大きな溜息をついて脱力した。
(こいつは訳わからんくせに人間になるとか言ってんのかよ)
呆れたものの、わからないのならそう簡単に実行されることはないと思考が落ち着いたおれは、なんとなくホッとした。
ところが奴はどんな確証があって自信ありげな態度をとるのか。やたらと眼を輝かせて言った。
「正直、仕組みはよくわかんないんだけど、ヴァンパイアが人間になれる方法はちゃんとあるんだ。生物の身体は細胞の一つ一つが組み合わさってできてるだろ。その細胞がヴァンパイアの細胞だからヴァンパイアになって、人間の細胞だから人間になれてる。じゃあ単純に考えると、ヴァンパイアの細胞を消して人間の細胞にしちゃえば人間になれるってことじゃん」
「いやだからって細胞をそっくり入れ替えるとか、そんなの実現可能なのかよ?」
「そこなんです」
「そこなんです、って。もうちゃんとわかるように説明しろよ」
焦れたおれは苛立ちを隠さずに言った。
すると奴は苦笑を零した。
「あのね、人間もそうだろうけどヴァンパイアも含めて生物って、何周期かごとに必ず同じことを繰り返す習性を持ってる。よくさ、歴史は繰り返すって言うじゃない。政治も文化も争い事もみんなまるで流行みたいに何度も巡って同じ行いを繰り返してる。現に歴史書とか過去の伝承を見れば似た出来事がいくつも記されていたりする。ということは」
「人間になろうとしたヴァンパイアも過去に存在してたってこと?」
「そういうこと」
満足そうに頷く奴。
しかしおれは眇めた眼で見返す。
「それで? 成功した実例があったのかよ?」
「ない」
「………………」
おれは言葉を失ってしまった。
(はっきり言ったぞ、こいつ。ないってはっきり!)
固まってしまったおれをどう思ったのか、奴は首を傾げてクスッと笑った。
「呆れた? 成功もしてないのにやる気なのかって。間違ったら本当に死ぬかもしれないのにって」
おれは大きく息を吐き出した。
「……わかっててやる気なのか?」
「オレはやってみる価値があると思ってる」
奴は今までと打って変わって、真面目な表情になると低く重い声音で言った。
おれも真剣に問いかける。
「その根拠は?」
「出来もしないことが伝承として残るわけないから。実証された記録はないけど、その時代時代で試されてきたのは事実だし膨大な研究資料がしっかり残ってるんだ。それだけ人間になりたがったヴァンパイアは昔からいたわけでさ。てことはヴァンパイアと人間はずっと恋してきたってことだろ?」
涙が出そうになった。
恋と言った時に微笑んだ奴の瞳には固い決意が宿っている。
本気で人間になりたいと思い、本気でおれと一緒に過ごす未来を願っているんだ。
伝承にしか残っていなくて、どこにも実現された証しがないのに“もしかしたら”という危うい可能性に賭けようとしている。
だったらおれはこいつの想いに答えなきゃいけない。
いけないのに、おれはそんな賭けをしたくないと思っている。
一か八かなんておれはしたくない。
だっておれは。
止められなかった涙が頬を伝っていく。
「どうした? 何で泣くの?」
突然涙したおれに、奴は困った顔で手を伸ばしてきた。
親指でそっと涙のしずくを拭う。
「怖いんだよ……」
おまえを失うのが。
「怖いじゃん……」
呟くおれの顔を奴が覗き込む。
「怖い?」
おれは頷いた。
「その、細胞を入れ替えるには、いったんおまえが死ななきゃいけねえんだろ? なんでカラスもどきに殺してもらうのかわからんねえけど、死んじゃったらさ、おまえの中のヴァンパイアの細胞が消えたら人間の細胞を移すわけだろ?」
「うん」
悲しくなると怒りまで生まれてくるのって何でなんだろうな。
優しく相槌を打つ奴をおれは睨みつけて言葉をぶつけた。
「大体さぁ、死んだら確かに細胞も死ぬだろうから消えるってことになるよな。けどその後に人間の細胞をおまえの身体に移すなんてできるもんなのか? どうやってやるんだよ、そんなこと!」
「ちゃんとお医者さんにやってもらうよ」
「は?」
おれは本当にこいつと会話をしてるとマヌケな顔ばかり曝している気がする。
「お医者さん?」
「うん。そりゃそうだろ? こういうある意味、人体実験を繰り返して研究しつづけてきたのは他でもない医者なんだから」
当然だと言わんばかりの口調に、おれはカチンときたがここで突っかかると話が脱線しそうなので気持ちを抑え込んだ。
「つまり、おまえが死んだらすぐにお医者さんが人間の身体を作ってくれるってこと?」
「そう」
「でも一度死んだってことは意識もなくなってるってことだろ。身体が再生した後に、ちゃんと意識は戻るのか? 魂って本当にあるのか知らねえけど、身体が死んだら魂も死んでしまうんじゃねえの? 身体が生き返ったって、おまえである保証はないってことだろ? ちょっと自分で言ってて訳わかんなくなってるけど」
「いや、わかるよ」
(おおっ、通じてる!)
思わず感動したおれである。
奴は続けた。
「たぶんさ、人間よりもヴァンパイアのほうが神々の世界を信じてるっていうか尊んでるんじゃないかな。生きとし生けるものはすべからく魂と肉体によって成り立っているとされていて。だから肉体が朽ち果てても魂は死ぬことなく神の元へ還るんだ。本来はね。それをオレの場合は肉体が死んでも魂をこの世に留めておいて、人間の細胞を移植した新たな肉体に宿すってことをやろうとしてるわけ。これってほんとは反則技だよね。死んだら神様のところへ還って、神様が新しい身体を選んで宿してくれるのが輪廻転生、本当の自然界の摂理なんだから」
話が神の領域に入ってきて、おれは少し落ち着かなくなってきた。
(そうだよな。生死を勝手に操作することは、人道に外れるってことだろ。けど人間は死にたくないから病気や怪我を治す技術を生み出して命を繋ぎとめてきた。これもほんとはやっちゃだめなことなのか? 本来の寿命を操作してることになんのかな? でもそれで助かったらそれは人間の、生き物の努力なわけで、どんなに手を尽くしてもだめな人もいる。ってことは、それも神様が定めた運命で神の領域のうちなのか? じゃあ、こいつのやろうとしてることも神様の許容範囲になるかもしれないってこと?)
だが、すべては想像であって、こんな理屈は机上の空論にすぎない。
成功した証が何もないんだ。
そもそも神様だって本当にいるのかすらわからない。
人間やヴァンパイアみたいな知能の高い生き物が勝手に作り出した存在かもしれないんだ。
だって動物や植物は傷ついたり病気になったりした時、自然の再生機能以外に物理的な処置をしているか?
人の手が介在する場合もあるけど、彼ら自身は何もせず運命に任せるまま寿命が尽きるまで生きているだけだろう?
成功例が残っていないのは“あり得ない”からなんじゃないのか。
おれはあまり後ろ向きに考える人間ではないけど、今回ばかりは不安しか生まれてこない。
思わず自嘲的な笑みを浮かべてしまう。
「もしかしたら今回のおれたちの出会いはさ、次の未来に続く序章みたいなもんで、来世でおれたちはまた会えるかもしれねえよ? 今度はちゃんと人間とかヴァンパイアとか男とか女とか気にしなくていい形でさ。ちゃんと恋人同士で生まれ変われるかもしれない」
すると奴は切なげに眼を細めた。
「今を諦めて次を待つの?」
「だってさ……どう考えても無理だろ」
「そうだね。万に一つもない可能性かもしれないし、さらに悲しい結末が待ってるかもしれないよね」
「うん……」
言葉を続けられずにいると、奴がそっと抱きしめてきた。
優しい抱擁とは裏腹に、耳に響く声は強く厳しかった。
「でもオレは来世まで待つつもりはない。果たして人間に生まれ変わったとしてもオレがオレである保証はないし、君がまた人間であるかどうかもわからない。もしかしたらヴァンパイアになってるかもしれないし、他の生物かもしれない。それに時間だってずれる可能性もある。また出会ったところでオレは既にじいさんになってて君は生まれたての赤ん坊かもしれない。そんな曖昧な未来は望まないよ、オレは。今、可能性があるんだとしたら自然の摂理に逆らってでも試したい」
(強気だなぁ)
こういうところ好きかもしれない。
おれは知らず知らず奴の背中をポンポンと叩いていた。
「そんな大それたことして、神様の怒りを買ったりしてさ、幸せになれなかったとしても?」
「努力するさ。幸せになれるように」
言い切ってるけど、そんな自信なんかないくせに。
死んでしまう可能性のほうが大きいのに。
だったら、おれが傍にいてあげるよ。
「二人一緒だったらできるかな」
「うん」
おまえが強くあれるように、おれがずっと傍にいて神様に逆らった代償を一緒に背負ってあげる。
どんな運命に出会おうと、こいつを守ってみせる。
おれはそう決意して、奴に笑顔を見せた。
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