2.
奴が心配したとおり、おれは本気で見惚れてしまった。
肩を流れる長い金髪は絹のように艶やかで、鼻筋の通った鼻梁に薄く笑みを湛えた唇は官能的ですらある。
手足が長くしなやかな肢体はマントを肩掛けにし、タキシードを纏っているが胸元は大きくはだけていて、あれは十字架だろうか。クロスのペンダントを掛けているみたいだ。
そして長い睫毛に覆われた切れ長の瞳の色はすでに真紅。濁りのない鮮明で強烈な迫力をもたらしている。
絢爛豪華という言葉をしょっているかのような存在感だ。
しかもこの場所はおれの思う部屋とは随分差があり、どこかの宮殿にある謁見の間のごとく広々としていて、扉から赤い絨毯が伸びた先に屋敷の主が優雅に座していた。
「すんごい迫力……」
「こらこらっ」
茫然としていると、預けていた腕を思いきりブンブンと振られた。
「あ? ああ、悪い悪い。なんか危険な香りがプンプンするんだけど、やばいと思いつつ見惚れてしまうっていうか、すごい存在感だなぁ」
「なに感心してんの! あいつじゃなくてオレを見て!」
その言葉におれは思わず奴を凝視した。
(なんか恥ずかしいこと言われたような……)
すると奴は自分で言ったくせに気まずそうに視線を逸らせてしまった。
「おい?」
「……何を言わせるんだよ。ほんとに君は油断も隙もない。どうすればずっと君の気を惹くことができるんだろう」
俯き加減でぽそぽそと呟く姿に、おれは少々面食らってしまった。
(なんだろ、この恋愛してるみたいな、くすぐったい感覚は。だっておれ、今こいつに申し訳なく思ってない? 他の男に目移りしそうになってごめん、みたいな。おいおいおい~、どういうこと! おれ相当こいつに気持ち傾いてる!?)
二人して言葉が出ずに気まずい雰囲気を作っていると、第三者の声がその沈黙を破った。
「なんだい、この甘酸っぱいお子さまな空気は。おまえ、喰わないどころか、まったく手をつけてないのか?」
それは呆れを通り越して嘆いているかに聞こえた。
「どうしてさっさと虜にしない? おまえなら簡単だろう。相手が男でも夢中にさせることぐらい」
すると隣の奴は表情と声をガラリと変えた。
挑むように眼差しが強くなり、低く唸る声音で言い返す。
「余計なお世話だ。どんな形だろうとオレの花嫁に変わりはない。周りが騒ぎすぎなんだ。一人ぐらいいつもと違った形で囲っても問題ないだろうに。だからあなたも気にしないで放っておいてくれればいいよ。迷惑をかけることはないからさ」
ちょっと言葉の端々に文句をつけたくなる単語を聞いたが、今は口出しはすまい。
奴が父親と話をつけるのを静かに見守っておこう。
そう殊勝に思っていたのだが、簡単に事は運ばなかった。
おれはまたしてもヴァンパイアの脅威を見せつけられてしまったのだ。
超絶美形のヴァンパイアは憂いの表情を見せて嘆息する。
「問題なくはないだろう? ヴァンパイアも人間と同じで例外を中々認められない固い思考に支配されているものだ。元老たちが騒ぐのも無理はない。だが私はその子に関してこれ以上言及はすまいよ。おまえの好きにすればいい。逆に協力してやる気もないから一族の反感は自分で何とかするんだな」
「わかってる。父さんには関わらないでくれればそれでいいよ。ありがとう」
そうして奴がおれを促して踵を返そうとした時だった。
「おい。ソレは置いていけ」
なんだろうと振り向いたおれたちの前に暗黒が広がった。
豪奢な金髪よりも舞い上がった黒いマントと真紅の瞳が強烈に視界を覆い、恐怖に慄いてしまったおれは気づくのが遅かった。
奴の呻き声で我に返ったのだ。
「がッ!!! あッ、ああああああああッッ」
「おい? なに……」
奴の秀麗な顔が驚愕に歪み、小刻みに震えている様子に、おれは訳がわからないながらも無意識にその肩に触れようとした。
しかし逆に鋭い力に押されて二三歩後ずさってしまう。
「は、な、れて」
奴の眼が赤く染まっている。
鋭くおれを見据えた後、眼の前にいる父親の右腕をきつく掴んだ。
そこでおれはようやく奴の状態を理解したのだ。
父親の右手が奴の腹に深々と埋まっていることに。
「なに? なにを……」
何故こんなことになっているのか、混乱しているおれの前で奴が激しく吐血した途端、頭のどこかがブチ切れるのを感じた。
「おまえ! なにやってんだよッ!!」
急激に怒りを覚えて、父親に掴みかかろうとしたが、奴がそれを凄まじい形相で制した。
「やめろッ! そいつに触るんじゃない!」
奴の叫びと同時に父親がおれを見てニヤリと笑った途端に風が走った。
だが、おれはその風を受ける前に勢いよく引っ張り寄せられ、気づけば奴の背中に回る形になっていた。
そして後方で何かを激しく打ちつける巨大な音が鳴り、反射的に振り向くと扉に太くて長いえぐられた跡ができていた。
「まさか、今の風……」
「だめ、だよ、き、きみは、何も、しない、で」
そうして奴は肩で息をしながら父親を睨みつけた。
「この、人に、手を、出さな、い約束、だ、ろ、っぐはッ!!」
奴はまた大量の血を吐き出した。懸命に呼吸を繰り返している。
おれは奴の背中にそっと触れて、今にも崩れ落ちそうになる身体を支えた。
「なんで、なんでこんなこと」
おれは奴の父親に問い質すつもりだったのに、苦しげに呻く奴の姿から眼がはなせず声に力が入らなかった。
奴の足元には血溜まりが出来ている。流れ続ける血が状況の悲惨さを物語っていた。
どうしてこんなことに。
こいつの父親はついさっき、おれたちには関わらないと言ったのではなかったか。
それともヴァンパイアは口先の約束など簡単に反故にして、まして親子なのに平気で殺すことができるのか。
そうだ。このままではこいつは死んでしまうかもしれない。
おれは奴の肩に手を回して抱きかかえると、気力を振り絞って父親に怒鳴りつけた。
「なんで父親のあんたがこんなことするんだよ! 早くこいつを放せ!」
こちらは盛大に怒気を露にしているのに、相手は動じないどころか妖艶な笑みを浮かべている。
「威勢のいい女は嫌いじゃない。堕としがいがあるからね。だが私は男には興味ないんだ。君は可愛いし、その血は魅力的だが食に困っているわけじゃないんでね。もう何もしないよ」
「けど、こいつのことは許せねえってことかよ? 人間の男を食べもしないで花嫁になんかしたから!」
しかし詰め寄るおれの言葉など、まるっきり無視された。
「ふーん。君は本気で息子のことが好きなの?」
首を傾げてそんなことを言うものだから、おれはとんでもなく不愉快な顔をしていただろう。
イライラした気分で怒鳴った。
「はあ? んなことはどうでもいいんだよ! そんなこと訊いてる間に、さっさと放せよっ」
「おやおや。息子よ、おまえの想い人はつれないな。この様子だとなかなか愛の言葉をもらってないんじゃないか? お気の毒だ」
溜息をつく相手に、奴が苦しい息の中で抗議する。
「う、うるさい、……あんたに、同情、された、く、ない」
「ふふ、おまえは私につれないね。まあいい。じゃ、コレは返してもらうよ」
言いながら奴の父親は右手を動かした。
引き裂かれた肉を擦る音と滴り落ちる血液の音が、いやに耳に響く。
そして引き抜かれたと同時にビクッと奴の身体が跳ね上がって倒れ込んでくるのを支えながら、おれはその場に膝をついた。
荒い息を繰り返す奴の腹は真っ赤に染まっている。
おれは唇を噛み締めて、非情なるヴァンパイアに問うた。
「一体なんのつもりだよ」
血に濡れたその手には青く光るガラス玉があった。
「それ、カリンの」
「そう。核だよ。……ふむ。けっこう成長してるじゃないか。随分仲良くなったもんだね」
冷酷なるヴァンパイアは薄っすらと口元を緩めて愛しそうに玉を見つめている。
「返してもらうって、それのこと?」
「カリンは私の使役だよ。当然だろう?」
「だからって、こんなやり方しなくても」
憤るおれに相手はますます笑みを深める。
おれとの会話を楽しんでいるというより、取り戻したカリンの核に対して単純に喜んでいるだけに思えた。
「平気さ。人間は肉をえぐられると死に至るらしいが我々は違う。そいつも腹を裂かれたぐらいで死にやしないから安心するといい。じゃあね」
あっさり言い捨てると、奴の父親はマントを翻した。
金髪がマントに隠れた途端、その姿は綺麗に掻き消えてしまった。
「飛ぶだけじゃなくて消えることもできんのかよ……」
おれは何ともやりきれない気分になり、だが恐怖が去ったことに身体の力を抜いた。
腕の中の奴に視線を落とす。
「……大丈夫か?」
訊くだけ無駄だろうが他にかける言葉がなかった。
しかし奴は眼を開けておれを見上げた。力なく笑う。
「あの人が言ったとおり、死ぬことはないから、大丈夫だよ。……そんな顔、しないで」
「どんな顔してるってんだよ。確かにめちゃくちゃ腹立ってるから、ぶっさいくな顔になってるかもしんないけど」
「全然。泣きそうになってるよ。今、手が上がんないから泣かないで。涙、拭いてやれないだろ」
おれは優しく微笑む奴の顔を見てられなくなって、そっぽを向いた。
「そんなになっても、くさいセリフは言うんだな」
憎まれ口とは裏腹に、奴を抱えた腕に力を込めて、胸に湧き上がる想いを必死にこらえる。
どうしてくれようか。
抱きしめてしまいたくなるこの想いを。
生まれてしまった愛しさを。
どうしてくれようか。
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