第三章 決意と代償
1.
遠くに悠然とそびえ立つ屋敷を複雑な思いで見つめていると背後に気配を感じて、おれは振り向きもせず訊ねた。
「あれが、おまえの家?」
「うん。一応ね。あんまり居た記憶ないんだけど」
「どういう意味?」
振り返ると、奴が碧い瞳を愉快そうに瞬かせてこちらを見ている。
おれの反応を面白がっているのだろう。
だが、問いかけに対しての答えはそっけないものだった。
「寝てた時が多かったから」
「寝てた?」
「うん。ヴァンパイアは眠ることが多い種族だからさ。上級になると、やたらと儀式をやりたがって、その度に眠らされるし。しかもそういう時の場所は教会だったから、この家に居たのは小さい頃だけかな。オレの場合、この歳になって百年近く眠ってるもんだから、昔のことなんて全然憶えてないもん」
おれは奴の言っている言葉の半分も理解できなかった。
眠ることが多い種族だなんて、また変わった習性を持つ生き物だ。
ということは、じゃあこいつは一体何歳なんだ?
百年眠ってたってことは、最低でも百歳以上生きてるってことで、人間で言えば老人の域を超えてるってことか?
「ふーん。てことは、おまえってもうじーさんなわけ?」
「コラ。このピチピチのお肌した若者を捕まえて何がじーさんですか。人間基準で計らないでください」
ふくれっ面をして抗議する相手をおれは無視して巨大な門扉に手を掛けた。
少し力を入れて押してみると、重い感覚と鈍い音が生じてわずかに内側へ開いた。
「あ、動いた」
「そりゃ押せば動くよ」
奴はくすりと笑って「話は中に入ってしようか」と言いながら扉を力強く押し開いていく。
「あちっ」
すると突然、奴は扉に手を掛けたまま眉をしかめた。
「どうした?」
「カリンが暴れてる」
「は?」
「ていうか怒ってんのかな? ……人格形成が上手くいかないみたいだなぁ」
「おいおい、まさかまた前のまんまで生まれてくるのかよ? やめてくれー。あの性格はほんとキツイから」
「ふふ、そうだよね~」
おれがうんざりした顔をしていると、奴はまだ胸を押さえたまま首を傾げている。
核だけになってしまったカリンは今、奴の胸の中にいる。取り込まれることによって、もう一度生成されるらしいのだ。
元々はこいつの父親から生まれたカリンだが、今は所有権がこいつに移っているからこいつの自由に生まれ直すことができると言っていた。
「上手くいかないってことは、あいつ自身が人格を変えられるの拒んでるってこと? 核になっても意思があるってことなのか?」
おれが独り言のように呟いていると、奴が小さく笑い声を立てた。
「なに?」
「いやさ、生物を生み直すとか核とかって人間にとっては非常識なことを、いつのまにか普通に考えられるようになってるなぁと思って」
楽しそうな奴の口振りがちょっと腹立たしい。
「不本意だけど慣らされてしまってるよな。可哀想なおれ」
言い捨てると、おれは開かれた門扉を通って敷地内へと入り込んだ。
やっと屋敷の中に辿り着いた時には軽く息切れを起こしていたおれである。
「おまえってけっこう金持ち? かなり歩かされたぞ」
門から屋敷まで相当な距離があって、広々とした庭を観賞しながら来客を招くというスタイルは金持ちしか持ち合わせていないはずだ。
広大な庭は左右対称の構図で整えられて綺麗だとは思ったが、格式ばっている気がしておれには面白味を感じなかった。
何でもちょっとした遊び心がないとつまらない。綺麗なだけではおれの好みじゃないのです。
さらに屋敷の中も左右対称なのには驚いた。
だだっ広い玄関ホールの中央には奥にある末広がりの大きな階段に向かって均等に彫刻が並んでいるし、左右の壁には階段に沿って絵画が飾られている。
一階の四隅に大きな扉があって、その左右には巨大な花瓶に花が生けられているのだが、配色が鏡のように同じに見える。近づいて比べたわけじゃないから正確に左右対称かどうかわからないけど。
他にも階段を上がって二階の渡り廊下に設置されたテーブルと椅子だって角度まで揃えている気がする。
「徹底してるなぁ」
思わず出た呟きに前を歩く奴が振り返った。
「どうかした?」
「いや、こっちの話。それより、こんな大きな屋敷なのに、誰もいないのってなんで?」
さっきから不思議だったのだ。魔の世界とやらに連れてこられてから、外でもこの屋敷の中でもヴァンパイアに一人も出くわしていない。何なのだろう、この“空っぽ”な空間は。
「……ある意味、人払いしてるからね。関係ない連中が入り込んでこないように」
何の感情も浮かんでいない奴の顔に少しの不安を感じたが、すぐに表情を和らげると、おれを手招いた。
「あのさ、ここから先は絶対にオレの傍を離れないでくれ。オレの身体に少しでも触れていればすぐに一緒に飛べるから、何かあったらどこでもいいから掴んで」
その言葉におれは眉をひそめた。
「なに? おまえの家なのになんか危ないことでもあんの?」
「あるかもしれない。さっきからひしひしとプレッシャーを感じるんだよね。オレの父親がいる。寝ててくれたらよかったのに……」
奴は溜息をついて眼差しを強くした。
「……親父さんがいたら、まずいの?」
「うん。とりあえず第一関門ってところかな。出迎えるつもりらしいから一応は挨拶しとかないとね。あの人に邪魔されると厄介だし、できれば目を瞑ってもらうようにしないと」
「ふーん」
こいつの父親ってことはヴァンパイアの中でも位が高くて能力も強いのだろう。
こいつがやっていることをどう思っているのか。
(場合によったら、またおれひどい目に遭ったりしねえか?)
早々と疲れを感じ始めたおれの前に腕が突き出された。
何だろうと疑問に思って見上げると、奴がおどけたふうに笑った。
「よかったらオレの腕に掴まってる?」
「はあ?」
「一応さ、花嫁として連れ帰ったわけだから腕組んでてもおかしくないんじゃない?」
「花嫁ってなんでだよ。……ん~けどこっちではそうなるのか。刻印をつけられてるわけだし」
おれは仕方ないとばかりに奴の腕に手を掛けた。
すると奴は眼を瞠っておれを見つめる。
その様子に思わず笑ってしまった。
「なんだよ。おまえが腕組めって言ったんだろ? 驚いてどうすんだよ」
「いや、まさか素直に応じてくれるとは思わなかったから」
「だろうな。いつもだったらするわけないけど、ここはおれの知らない世界だし。おまえの言うこと聞いてないと、ひどい目に遭ってつらい思いするのはおれなんだから。無事に帰れるまでは不本意でも言うこと聞いとくよ。なんだったら女装でもするか?」
おれが自分の上着の裾を引っ張りながら言うと奴が破顔した。
「それはいいよ~。いくら何でも女装は似合わないでしょ。オレは君が女だったらなんて考えたことないし」
「え、そうなの?」
(意外……)
おれが女だったら何も悩むことなくヴァンパイアに変化させて花嫁にすれば一緒に生きることができると、普通なら考えて当然なのに、そう思うことがなかったとは。
不思議に思って見つめていると、奴は視線を逸らせた。
「君だから咬みついちゃったんだし、性別なんて考える暇もなかったし、その後も君と過ごしてて男とか女とかって考えたことなかったな。ただ君のこれからをどうしようかって、そればかり考えてた。オレのせいで君の運命を狂わせたわけだしね」
間近で見る真剣な表情の横顔は固い決意の表れなのか。
随分と責任を感じてくれている。
おれにとって、こいつとの出会いは災難でしかないし、奴の言うように運命を狂わされたのだから当然その責任は取ってもらわなきゃならない。
だが奴の立場からすれば、人間は餌なのであってそれを食すのはヴァンパイアという種族が生きるための手段なのだ。
それを奴は自分の欲求を抑えて周囲の忠告を無視してまで、おれのことを優先してくれている。
(惚れた弱みってやつか?)
冗談で思ってみたものの、おれは今更ながら気づいた。
自分のことで精一杯だったから、こいつの運命や未来なんて考えもしなかったのだ。
おれを喰わずに人間に戻して元の世界に帰してしまったら、こいつは家族や仲間からどう思われるのだろう。
父親に勘当されたりするんだろうか。
考えていくうちに、おれはこのまま父親に会っていいものか不安になってきた。
「なあ、親父さんに会わないで、薬だけ取ってきてさっさと帰らねえ? わざわざ会ったりしてめんどくさいことになったらさ、おまえだってどうなるか、わかんなくねえか?」
少し弱気な声になっていたのかもしれない。
銀色になってしまった前髪の隙間から窺うと、奴の横顔は困ったような、それでいてすごく嬉しそうに微笑んでいる。
「なに? なんかおかしい?」
「いや。ちょっと幸せな気分になった」
訳がわからず首を傾げていると、奴が腕に掛けたおれの手をぽんぽんと叩く。
「オレは平気さ。父さんには今更会わずに帰ることはできないし、たぶんあの人はこの件に関して干渉してこないよ。問題は上級貴族の連中と長を含めた元老たちとその配下、つまりオレの従兄弟。あいつだ」
「あのカラスもどき?」
「ははっ、カラスもどきか。だなぁ。あいつ真っ黒だもんな。うん、意外とあいつが厄介かもしれない」
柔和な雰囲気を纏っていながら、精悍な顔立ちと眼力のある瞳が凄みを漂わせるという、どこか底の見えない恐ろしさを秘めた男。
あいつが本気でおれたちに対峙してきたら、何もできないおれを抱えたこいつは相当苦戦するかもしれない。
(かといって他に味方がいるわけじゃないし、おれは守られてばっかでなんの力もない……)
やはり父親などに会っている場合じゃなくて、さっさと薬を持ってこの世界を出たほうがいいのではないか。
人間世界へ追いかけてきたとしても、ここにいるよりはマシな対応ができる気がする。根拠はまったくないけど。
おれがもう一度奴に引き返そうと訴えるため指に力を込めた時だった。奴が前方を指差して言った。
「あの部屋にいる。とにかくオレの腕を離さないでいてくれ」
すでに扉前に迫っていることに、おれは深い溜息をついた。
そうして、これまたやたらと大きくて飾り彫刻が施された豪奢な扉を鬱陶しげに見据えた。
「おまえの親父ってことは、顔だけは綺麗な天然ボケエロヴァンパイアなんだろうな」
冗談を含めてイヤミっぽく言うと、奴は苦笑するだけで特に抗議してこようとしない。
「否定しないってことは……」
「う~ん。天然ボケかはわかんないけど、エロスは漂いまくってるかも。あの人に狙われて堕ちない女はいないって言われてるから」
「そんな色男かよ!」
「我が父親ながら感心するっていうか、ある意味ヴァンパイアの鏡だろうね。あっ、見惚れないように気をつけてよ!」
慌てて言う奴に、おれは一言「ばかやろ」と返してやった。
その時だ。
「いつまでイチャついてるんだ。はやく入って来い」
扉の向こう側から聞こえてきたのに何て明瞭で深みのある声なんだ。
そして獰猛なほどの威圧感。
「せっかちだなぁ」
おれが身を固くしたのに気づいただろうか。
奴は軽く呟いて口をへの字に曲げている。おれと違ってまったくプレッシャーを感じていない。
(父親だもんな。聞き慣れてるか)
おれは初めてこいつが頼れる男に見えた。
しかし奴が扉を開けながら言い放った言葉を聞いてすぐに撤回したくなった。
「しょうがないだろ。ラブラブなんだから」
「なに調子に乗ってんだよ」
冷たく言ってみるが雪崩れた顔はまったく堪えていないみたいだ。
すると低く喉の奥で笑う声がする。
おれは何の警戒もせず声のほうへと視線を向けてしまった。
目に映った人、というかヴァンパイアに衝撃を受けながらも出た言葉はいかにもおれらしかった。
「なんだよ、あのキラッキラしたド派手なエロ大王は!」
横で爆笑する奴の声を聞きながら、でもふざけた発言とは裏腹におれは奴の父親から視線を外せずにいた。
この世のものとは思えないほど美しかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます