5.



 戻ってきたカリンの姿を見て、おれは眼を丸くした。


「えーっと、これって水晶? それとも普通に硝子? 青っぽい透明な玉に見えるんだけど、これがカリンの素なのか?」

「そ。これはね、使役の核になってるものなんだ。生物でいう心臓ね。この玉にオレの血を含ませて三日三晩オレの体内で過ごすんだ」

「は?」


 今度は口が半開き状態になった。相当まぬけな顔をしていると思う。

 だって血を含ませて体内に入れる? こんなもんを。一体どうやって。呑み込むのかな。いやまさか。手のひらほどもある玉なのに口に入れるのさえ無理なはずだ。

 だが他にこれを体内に入れる方法なんてあるのだろうか。

 そもそも体内に入れてどうするのか。つまりは温めて育てるってことか?

 ええ!? 内臓のどこかで? 生き物を育てる!?


「……何、想像してんの?」


 おれが奴の手元を凝視しながら黙ってしまったのを見て面白そうに笑っている。


「え? いや、なんかグロいこと想像してしまった。気持ちわる……」

「ちょっと~、気持ち悪いって失礼だなぁ。使役を生み出す作業は神聖なものなんだよ。主の生気を分け与えて育むからこそ分身のように付き従ってくれるし、主によって能力の差異も出てくる。いかに強くて美しい使役を生むか、主の力量が問われるんだ。カリンはオレの父親が生んだから、あの人の趣味であんな可愛い姿だったけどね」


 そして奴は玉を見つめながら思案している。

 おれも玉から眼を離せないまま奴に訊ねた。


「じゃ、玉だけになっちゃったカリンをもう一回生むことってできるの? その場合、おまえが生んだりできるってこと?」

「うん。それなんだよね……」


 奴は手のひらの上で玉を転がして、時折、感触を確かめるように指の腹で撫でている。


「オレが生みなおすことはもちろんできるんだけど、新生カリンをどんなふうにしようかな。前のカリンをそのまま再現してもいいんだけどね」

「それって記憶とかもそのまんま残るの?」

「残る。核が生きてるから、あの性格もそのまま再現できるよ」

「ん~、それはちょっとやだな。あれだけ可愛い顔してんのに性格がキツイってギャップがありすぎだろ。もうちょっと素直な子にしてくれない?」

「ふふふ。そうだなぁ。確かに何かと口うるさくて嫌味ばっか言うしな。親父から継承権が移ったオレにもずけずけ物を言って命令も素直に聞きゃしないもん。うん、そうだな。外見は別に前のままでいいから性格は可愛らしい子にしよう」

「うんうん、そのほうがいい」


 奴の言い分に激しく同意したおれは、何やら視線を感じて顔を上げた。

 途端に包帯男と眼が合った。

 といっても相手の顔とおぼしき辺りには眼や鼻や口といった部品はまったく付いておらず、何となく相手が自分を見ている気がしたからそう思ったのだ。


「なに? えっと君は名前なんていったっけ?」


 すると包帯男は一歩下がって胸に手を当てると、紳士がする礼を取った。

 で? しゃべってくれねえのかよ!

 おれが内心で突っ込んでいると、おれらの様子を見ていた奴が苦笑した。


「ああこいつ、オレが許可出してないからオレ以外の誰かと話せないんだよ。ロイ、構わないよ。この人とはしゃべっても。こいつはオレが一番最初に生んだ使役で、ロイドくん。略してロイ」


 得意気に笑っている奴に、おれは容赦ないツッコミを浴びせる。


「ド、取っただけじゃん。略した意味あんのか」

「あるよ! 呼び出す時に瞬発力が出てカッコイイでしょ」

「いでよ~、とかって?」

「んな呼び方するかい。普通にロイって名前だけです!」

「そうかよ」


 ……なんだか段々と夫婦漫才やってる気分になってきた。

 おれはひっそりと溜息をついて、奴の少し後ろに佇む包帯男を見遣る。


「えっと、ロイドくんはおれのことどう思ってんのかな? カリンはさ、おれのこと餌だと思ってて、こいつの許可さえあったら食べそうな勢いだったけど、君もやっぱりそう思う?」


 すると彼はゆっくり首を振った。


「え、思わないの?」


 驚いていると奴が割って入ってきた。


「こいつオレと似てるから。使役は創り出した主の性格に似るんだ。だからロイも君を傷つけることはしないよ」

「おまえと似てんの!? てことは抱きついてきたり不意打ちのキスしてきたりすんのか! 変態が二人もって最悪じゃん」

「あ、そういうこと言う? ロイ、お仕置き」

「なんだよ、おしおきって!」


 おれが呆れて言うと、包帯男がおもむろに腕を上げておれを指差してきた。何をする気かと注視していると包帯が伸びてきたではないか。

 たちまちおれの身体に巻きついてきた。


「え、ちょっと、これなんなの。なにしてんの?」


 包帯はおれの両腕ごと腹の辺りをぐるぐるに巻いて縛り上げてくる。

 上半身をしっかり固定されて腕が動かせなくなったおれは、隣で楽しそうに笑っている奴の足を蹴りつけた。


「なに考えてんだよ、変態! おれをこういう趣味に巻き込むな」

「趣味にはしてないけど、捕獲した時の高揚感はやっぱり気持ちがいいもんだよね。人間だって狩猟民族なんだから、何かを得た時の満足感はわかるでしょ?」

「それ、問題が微妙に違うぞ? 今のおまえは単純に遊んでるだけだろうが」

「変態なんて言うからだよ。純粋な愛情表現をなのに」

「ほらまた。純粋の意味を履き違えてる。純粋な気持ちだったらこんなことしません!」


 はっきり言って馬鹿馬鹿しい遣り取りである。

 それに奴は、ぴしゃりと言い放ってやっても全然堪えた顔をしない。

 まあお遊びだってことはおれもわかっているので、蓑虫状態のままソファの背に頭を預けると、これからのことを奴の言葉を反芻しながら考える。

 身体が変化しつつあるおれを元に戻せる方法と、ヴァンパイアから縁が切れる方法が本当にあったとして。こいつは本当におれを手放してくれるのだろうか。


(その時がきたら、おれはこいつのこと忘れられるんだろうか……)


 奴のほうを見れなくなって視線を下げると、足を組みかえてこちらに身体が傾いてくるのが見えた。

 また何かやらかす気かなと思ったが、小さな呟きだけが落ちてきた。


「睫毛、長いな……」


 見上げると、奴は微笑みながらおれの髪を撫でた。

 顔が近づいてきて反射的に眼を瞑ったら、頭に何かが当たって溜息まじりの声が聞こえた。


「ずっと一緒にいられる方法があったらいいのに……」


 その言葉はとてつもなく切なくて、おれは思わず唇を噛み締めた。






 おれの身体の変化は着実に進んでいた。

 髪の色は黒い色素がなくなり、ほとんど銀色に近い状態になってしまい、肌の色もますます白くなったせいで首に浮き出た薔薇の刻印は鮮やかさを増していった。

 そして自分でもびびってしまったのが瞳の色だ。

 何と紫とは。紫水晶アメジストのように深く透明感のある紫色。

 これはもう人間じゃない。完璧に別の生き物である。人種が違うだけの問題ではなく、異質感がありありと漂っているのだから、この姿で外を出歩くのはまず無理だ。

 おれの変化に奴はテンションが上がるばかりだが、おれは頭痛がするやら眩暈がするやらで陰鬱な気分である。

 変わり者をとことん忌み嫌うおれたち人間の世界では、こんな姿をしていたら晒し者にされるか、たちまち弾き出されるかのどちらかだろう。

 だから思わず口走ってしまった。

 夕食時の、もう一生拝めないだろうホテルのフルコースの料理を前にして。


「おまえらの世界だったら、こんな姿の人間、つーか生き物って当たり前にいるんだよな?」

「うん。そうだね」


 その時の奴のしたり顔ったら!

 まるで遊びに行くかのように言ったものだ。


「じゃあ行ってみる? 魔の世界に」


 小躍りしそうな声音に対し、おれはあくまで冷静に返した。


「ちゃんと帰って来られるんならな」


(まったくもう、せっかくの豪華な料理だってのに味が全然わかんねえじゃねえか)


 おれは八つ当たりぎみにフォークで肉を突き刺して頬張った。

 奴はというと、丁寧にナイフを入れてゆっくりと咀嚼している。


「やっぱり名門だけあって、いい肉使ってるよね。うまいうまい」


 さすがヴァンパイア。肉の味にはうるさそうだ。

 満足そうに料理を平らげていく奴におれは殺意を覚えそうだった。


「君を元に戻す方法として、いずれはあっちに行かなきゃいけないんだ」


 奴はいきなり核心に迫った。


「どういうこと?」

「君の体内にあるオレの血を消さなきゃいけないからさ」

「その方法は?」

「薬がある」


 奴はグラスのワインを飲み干して一息ついてから説明を始めた。


「オレたちが人間を変化させようと思う理由は一つだ。自分たちと同種にすること。そのためにはオレたちの血を注いで体内に馴染ませることで魔の世界でも生きていけるようにするんだ。だけどね、馴染むかどうかはやっぱり運によるところが大きい。実を言うと、変化に成功することは稀なんだ」

「稀って、おれみたいに色が変わっていくのが? 変化する過程でなんかあったりするわけ? おれみたいに自然っていうか、いつのまにか変わってくの、あんまりないのか?」


 まさか失敗することのほうが多いのだろうか。

 おれはいつだったか、人体実験で世間が大騒ぎになった時のことを思い出した。

 疫病が流行った翌年から医療の世界ではワクチンの開発のために過剰な実験を繰り返し、ある施設では助からない見込みの病気を抱えた患者を使って実験を行ったとかで、裁判沙汰になった問題がいくつも新聞に取り沙汰されていた。

 病気を治そうと思って作られた薬でも本当に効き目があるのかどうか試してみないとわからない。人間は性格が千差万別なら体質だって人それぞれ違って当然だ。

 薬の効果が出る者もいれば、副作用で苦しむ者もいる。

 一緒にするのもなんだけど、ヴァンパイアに変化させるのも、できる人間とできない人間がいるということか。

 そしておれは変化に成功した……。


「ここまで変わってしまったおれでも元に戻れるのかよ?」


 刻印のある首筋を隠そうと、最近のおれは襟足の髪をいつも引っ張っている。

 銀色の毛先をいじりながら言うと、いつしか奴がこちらを見つめているのに気づいた。

 碧い瞳が憂いを帯びていながら、その奥に熱い塊が潜んでいそうな怖さも窺える。


「変化させる理由は自分たちの世界に馴染ませたいから。それは何故だと思う?」


 おれが答えずに見つめ返すと、奴の瞳から熱が消えてふわりと優しさを湛えた。


「一緒にいたいからさ。獲物としてじゃなく、ずっと傍にいてほしいから」


 確かこいつらは女の子なら花嫁にするって言っていた。

 じゃあ、ヴァンパイアは獲物である人間に恋をするのか。

 魅入られた人間はその気持ちを受け入れることができたのかな。

 そして幸せになったのだろうか。



『ずっと一緒にいられる方法があったらいいのに……』



 奴の呟きが思い出された。

 唯一の方法が実行されて、おれは変化に成功しているのに。

 おれたちは一緒にいられないんだ。

 おれが、望んでいないから……。





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