2.



 おれはいったい何度不意打ちのキスを喰らっているのか。

 しかも男にばかり。


「なるほど。これなら若が惹かれるのもわかるな」


 真紅に輝く瞳でおれの顔をしげしげと見つめて、カラスもどきが感心したように言う。

 おれは相手を睨みつけて憤然と言い返した。


「なんなんだよ、おまえ。失礼な奴だな。ヴァンパイアってのは、ほんと礼儀知らずばっかりだ」

「それにはオレも言い返せない」


 弱気な言葉とは裏腹に厳しい声音で奴がおれとカラスもどきの間に割り込んできた。

 華奢な背中なのにおれを守ろうとする意思が伝わってきて何だかくすぐったい気分になる。


(不思議なもんだな。こいつもヴァンパイアのはずなのにカラスもどきと同じには見えねんだから。おれ、すっかりこいつに毒されたのかな)


 おれはゆっくり立ち上がって眼前の奴の肩を押した。

 前へ出ようとするおれを奴が制してきたが、ちょっと笑って見せる。


「今更おまえに聞くのもなんだから、あいつに聞く」

「え?」


 困惑する奴をほうって、おれはカラスもどきと対峙した。


「あのさ、ヴァンパイアってなんでいちいちキスしてくんの? 人間とはキスの意味が違うかもしれねえけど、おまえらって平気で同性にもキスできるわけ? ただの節操なしに見えるぞ」

「いや、その、それは……」


 とか何とか後ろで口籠もっている奴に溜息をつきたくなりながら、目の前の漆黒のヴァンパイアを注視する。

 すると相手は顎を撫でながら思案しているようだ。


「ふむ。確かにキスの意味は人間のいう愛情から生まれる行動のほかに我々には別の用途もあるけど。今の場合は俺にも君の姿が見えるように息を吹き込むためだし、そもそも獲物を堕とすにはキスが一番だからね」


 そう言って自分の唇に親指をゆっくり這わせてニッと笑った。

 妙に好意的な笑みに、おれは訝しく思って渋い顔をした。


「獲物を堕とすって、血を吸う前にキスなんかすんの?」

「そう。ディープなほど相手の脳髄を刺激して快楽を呼び起こすんだ。するとね、獲物は血を吸われることが快感になるし、夢心地のまま死地へ赴くことができるってわけなんだ。上級魔ほど血をいただく相手に相応の悦びを与えてあげられる。だから節操なしに誰彼構わずキスなんかしないよ。これは愛情みたいなものだって俺は思ってるから」


 カラスもどきは落ち着いた声音で淡々と語る。だが内容は卑猥で残忍だ。それなのに時々出てくる同じ訛りに複雑な気分が生まれてしまう。

 おれはそっと吐息して横の気配を探った。

 隣でそわそわしている奴は、見かけは気品漂う貴族然とした凛々しさを持っているのに、おれに向けられる笑顔なんか見てると隙だらけで無防備になるから、その言動にいくらでも突っ込んでやれる。ヴァンパイアの本性を剥き出しにされない限り怖さも薄れてきていたし。

 だがこいつは、目の前の瞳に赤い光を湛えたままの漆黒の男には、纏う空気が穏やかであっても一分の隙も見えない。餌と認めた人間ものを、おれたちが普段食事をするのと同じように躊躇なく食すだろう。

 それでももう一歩踏み込んでみる。


「喰ってしまうのに快楽を与えてやって、しかもそれが愛情だっていうのかよ? そんなの都合よくない? 結局こっちは死ぬんだぞ」

「死はそんなに不幸なことかな?」


 薄っすら微笑んで呟かれた言葉に、おれはここで完全にカラスもどきとの会話を放棄する気になった。


(だめだ。この手の話に出口はない。人間も哲学やら思想やらに浸りまくるけどヴァンパイアにもそういうのがいるんだな)


「幸不幸の問題じゃない。死んだらそこで終わりだっていう話。おまえらも消滅したら何もかもなくなるわけだろ? その死期を他人が勝手に決められねえって話だろうが」

「確かに、他人に決められたくない気持ちはわかるな。ただ俺たちにとっては人間の血をいただくことが生きる術だからさ。こればかりは議論のしようがない」

「みたいだな」


 おれは溜息をついて隣を振り向いた。

 戸惑った表情で見つめてくる奴に力が抜けた笑みを見せる。


「これからどうすんの? おれ、もうここには住めないし、あいつに見つかったってことは、おれのこと他のヴァンパイアにも広まってしまうんじゃねえの? なんかすげー絶望的な気分になってきたけど……」


 無意識に負傷している肩を擦って溜息をつくと、奴がおれの頬にかかる髪をすくいながら呟いた。


「オレがついてるから大丈夫だって言ったろ?」

「そんなこと言ってさ、あっさりあいつにキスされたじゃん」

「う。ごめん……何だったら口直ししようか?」

「バカかよ!」


 そのまま迫ってこようとした奴の頭をおれは思いっきり叩いてやった。


「そんなに怒んなくてもいいじゃん……」


 頭を押さえて拗ねている奴を呆れて見ていると、カラスもどきが眼を丸くしてこちらを見ているのに気づいた。不思議そうに首を傾げている。


「……随分ご執心なんですね。あなたにしては珍しい」


 まっすぐに奴に注がれる視線は、困惑の色と咎めるような意味が含まれているかに思えた。


(そういやカラスもどきはこいつに対して言葉遣いが丁寧だな。若とか呼んでるし。従兄弟だって言ってたけど、親戚なのに妙に態度がよそよそしいし。こいつのほうが位が上ってことか?)


 二人の関係を推測していると、奴がおれを庇うように身体を寄せて相手に鋭く言い放った。


「おまえが気にすることじゃない。とっとと帰って好きに報告でも何でもしろ。目障りだから二度と来るなよ。他の連中にも伝えておけ。オレの邪魔をするなら相応の覚悟をしろってな」


「そんなに目くじら立てなくてもいいじゃないですか。まさか彼を守るため、なんて思ってるんじゃないでしょうね? 所有した餌を好きに囲うことは自由ですけど、食しもせず愛でるだけなんて誰も納得しませんよ? 花嫁とするなら話は別ですが、彼は男ですからね。変貌させても交われない」


「誰もそんなことは考えていない。彼を所有したのはオレだ。おまえの言うように好きにできるのはオレだけだ。外野が口出す必要はないだろうが」


「その言い分は間違っていませんが、あなたは立場上どんなことでも注目されます。所有した餌を食さない、その事実が露見すれば異常視されるのがオチですよ? しかも彼は最上級の血の保有者ですよね。一目でも彼を見れば欲しがるヴァンパイアは後を絶たないほど極上の部類に入る。このまま何の問題にもならないと思いますか?」


「知るか。問題になろうとなるまいと、このオレに文句を言える奴がいるか? 注目するのは勝手だし欲しがるのも勝手だが、連中の中に余計な手を出す命知らずがいるとは思えないけどな。それともおまえは彼を気に入ったのか? 極上の香りに理性が吹き飛んだか?」


「ええ、吹き飛びそうなくらい鼻腔をくすぐってくれますよ。唇も美味しかったですし。できればあのままかじってしまいたかったなぁ」


「よかったじゃないか。少しでも味わえて。けどそこで諦めておけ。味を占めたら中毒を起こす。抜け出せなくなるぞ」


「ますますもって興味深い。そんな美味なる餌をあなたは本当に食さない気ですか?」


「おまえさっきから何で喰わないって思う?」


「わからないとでも? 俺はね、ここで久しぶりにあなたに会って驚いたんですから。冷徹で容赦ないあなたが、そんな優しい気を纏って愛しみの眼で彼を見ている。餌としているものに対する接し方じゃない。確かに彼はあなたの所有物としての刻印を受けているし変貌も始まっている。しかし交われないものを花嫁として一族に迎え入れることは不可能だし、長の審議も通らない。彼を認めさせることは絶対に無理なんですよ。つまり百日間以上、傍においておけないんです」


「そんなことはわかっている!」


「……やはり、あなたは彼に魅入られてしまったのですね。次期長たる者が人間に心を奪われるなど前代未聞。追放だけではすまなくなりますよ?」


「おまえが何を危惧しているのか知らないけど、これ以上オレに干渉するな。もちろん彼にもだ」


 奴が鋭い眼光でカラスもどきを睨んでいる。

 相手もこれまでの穏やかな空気を変貌させて厳しい視線で緊張感を漂わせている。

 二人の今にも爆発しそうなピリピリとした気の応酬に、おれは呑まれまいと気持ちを奮い立たせていたが、気迫以外の彼らの言葉の応戦にはまったくついていけなかった。


(なんだよ、この会話は?)


 おれは理解できない言葉の連続に思考が混乱してしまっていた。

 置いていかれそうで焦ったものだから白熱していく会話に無理矢理割って入る。


「ちょっと待って。おまえらなんの話してんの? おれにわかるようにしゃべってくれない?」


 すると二人は緊迫した顔つきのまま、こちらを振り向いた。


(こ、怖っ)


 奴までが瞳を真紅に変化させて、二人して爛々と輝かせていたのだ。しかも。


「おいっ、牙、牙が見えてるぞっ。気色悪いから仕舞え。仕舞いなさい! そんな物騒なもん!」


 ムッと睨みを利かせてやると、二人ともが拍子抜けした表情になった。

 ほっとしていたらカラスもどきが小さく吹き出した。


「なに?」

「いや、ほんと可愛いなと思って」

「なんだよそれ」


 からかわれているのかと不愉快さを滲ませていたら、奴までが苦笑しているではないか。


「そんなに拗ねないでよ。ふくれた顔まで可愛いなんて反則だよ」

「可愛い可愛いってバカか、おまえら。おれが可愛いのは当たり前だ。今更なことを連呼するんじゃない!」

「ははっ! 自画自賛してる。面白い人だな」


 カラスもどきが朗らかに笑う。さっきまでの緊迫感はどこへやらだ。

 おれは呆れつつも気を取り直して二人にさっきの会話の説明を求めた。


「なあ、今の話どういうことだよ。やっぱりおれを喰わねえのってヴァンパイアの間じゃおかしいことなんだろ? 喰わないままにしておくとどうなるんだ? 花嫁がどうとかって、女の子だったら嫁さんにできたわけ? そんなパターンもありなんか。けど、おれは男だからそれは無理。じゃ、どうなるんだよ?」


 いやな予感が芽生えるのを感じながら返答を窺う。

 カラスもどきは優しく微笑んで言った。


「それはこの人次第ですよ。君の運命がどう転がるかはね」

「おれの運命……」


 呟いて奴に視線を移せば、真剣な表情でおれを見つめるその瞳が切なく濡れていた。


「心配ない。君は必ず自由になる」


 何故だろう。

 奴の言葉は胸に硝子の破片が突き刺さったみたいにひどく痛んで聞こえた。

 未来は本当にあるのか。

 おれにも、おまえにも。





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