7.
カリンが男爵の始末を一族の中でも刑の執行人であるという“ユヴァス”と“ヤルヴィ”に任せればいいと奴に訴えた。
低俗な化け物と成り下がった者に主が直接手を下す必要はないと言うのだ。
「なに? その“ゆばす”とか“やるび”って」
まったく訳のわからない言葉におれは首を傾げた。
すかさずカリンが嘲弄と憐憫で装飾した言葉を投げつけてこようとしたが奴の手が早かった。
彼女の額にデコピンを食らわせて黙らせたのである。
(……痛そうだなぁ。なんか煙出てないか?)
すごい勢いで放たれたので思わず凝視すると、直立不動で突っ立ったままのカリンのおでこは、シュ~とでも音がしそうに白煙がゆらりと立ち昇っていた。
おれは驚きもしたが呆れるほうが強かった。疲れた溜息をこぼしてしまう。
(なんなんだよ、まったく)
奴は澄ました顔で説明を始めた。
「“ユヴァス”と“ヤルヴィ”は双子の兄弟の通称だよ。彼らは司法議会の裁決によって下された処罰を実行する役目を担っているんだ。“ユヴァス”は『鎌』、“ヤルヴィ”は『毒』の意味を持つ。人間の世界に実在する鎌や毒ではオレたち魔の住人は死んだりしないけど、彼らが使うものは特別製でね。簡単に息の根を止められる。というか消滅させられるんだ。それだけの特権を与えられるからには並大抵の精神力じゃ勤まらない。だから最初から感情の組織を破壊されて刑の執行を忠実に行うように育てられてる。動く処刑台みたいなものだな」
何とも淡々と語ってくれるが、おれは呆気に取られて言葉も出ない。
(めちゃくちや物騒だな。化け物の世界には化け物の基準に合わせた裁きがあるってことか。怖ろしいな)
思わず首をすくめると、奴の表情が少し和らいだ。
「大丈夫。彼らは人間には干渉しないから普通はこちら側にやってこないんだ。彼らに抹殺をさせるなら、まず司法議会に訴状を出して吟味してもらい裁決を下してもらわなきゃいけないんだけど、執行できる場所は魔の世界じゃないとダメなんだ。ここで裁くことはできないから罪人を連れ帰らなきゃならない。司法や近衛機関は動いてくれないからね。彼らは一族の長である侯爵直属の機関で、私用で使うことは許されていないから、訴えた者が死刑台に連れていかなきゃならないんだ。そんなの面倒だし、何より裁決が出るまで長期間かかる。階級の特権で自ら裁くほうがよっぽど簡単だ」
そして奴はじろりとカリンを睨むと横柄に言ってのけた。
「いいな。余計なことを侯爵の耳に入れるなよ。始末はオレがつける」
するとカリンはわざとらしく大きな大きな溜息をついた。
主を前に何とも豪胆な子だ。
案の定、奴のこめかみがピキッと引きつるのを見たおれは慌てて声を上げた。
これ以上は血を見そうで怖い。
「そ、そういやさ。同族同士でどうやって相手を倒したりできるんだ? おまえさ、このあいだ女ヴァンパイアを消滅させたけど、あれって咬みついて血を吸ったのか?」
あの時のおれは半分意識を手放していたが、こいつは確かに女の喉元に咬みついていた。そこしか見た記憶がないから本当にそれが原因で消滅、つまり殺してしまったのかどうかわからないのだ。
おれの顔が気持ち悪そうに歪んでいたのだろう。奴は苦笑して視線を下げた。瞼が半分伏せられて瞳に睫毛の影が落ちる。憂える貴公子ってところか。
こいつの美貌というのは人を惑わせるための武器、のはずなんだよなと、ふと思う。
鮮やかでいて優しい色合いにも見える金髪は顔周りを覆うくらいの長さでいつもさらさらとやわらかそうに揺れている。涼やかな目元から覗く碧い瞳は普段は穏やかな海を思わせ、ふっくらした下唇が端正な顔立ちを甘く見せる。
その造作が生み出す人懐っこそうにやわらかく笑む表情や切なく眉を引き絞った表情、そして細身の、だが均整の取れた肢体は優雅な物腰やさりげない仕草を表現する。
誰もが見惚れてしまうのは必定だ。
ヴァンパイアというのは皆こんな容姿をしているのだろうか?
確かにあの女も美しかったし、市場で会った紳士、こいつらは同胞のカーティナス男爵だというが、彼も中年の域に入っているとはいえ目鼻立ちが整った美丈夫だった。その年齢でも女性の注目は充分浴びるだろうほど落ち着いた色気のある雰囲気を持っていた。
餌を惑わし惹きつけるための姿。
それなら、おれがこいつの表情に心を動かされるのは奴らの術中にはまっているということじゃないのか?
(……だめだ。こんなことまで考えたら今までのこいつの本気だと思った気持ちが全部嘘だってことになってしまう。だからって信じきるわけにもいかねえけど。……どうしろってんだよ)
黙ってしまったおれに奴が心配そうに顔を覗き込んできた。
「どうした? 気分悪い? 今朝もあんまり食べてなかったけど。痛みは薬で軽減できても傷を治すのは食べてちゃんと自力で再生能力を高めていかないと。そのためには栄養をしっかり取らなきゃだめだよ」
おれを見つめる瞳が光の加減でくるりと瞬いたように見えた。
綺麗な碧いガラス玉に見えるけどカリンと違ってちゃんと意思が宿っている。おれを気遣っているのは本物だと思ってしまう。
「……わかってる。で、どうやって倒すんだ?」
「ん~。あんまり言いたくないんだけど……」
「なんで?」
「ますます警戒されそうだから」
本当に言いたくないのか、口元を隠して手の陰で唇を噛み締めているみたいだった。
よっぽどおぞましいやり方なんだろうか?
「まあ、言いたくないんだったら無理に聞かねえけど」
「ありがとう。……ほんとに君とオレの間には大きな隔たりがあるな。種族が違うってだけで」
溜息なんかついてしみじみ言ってくれるが、種が違うどころの話じゃないぞ。
存在も住む世界もまったく違うのだから相容れるはずがない。何故お互いの世界だけで生きていけないんだ。何故こいつらは他所の世界の人間を食い物にするんだ。人間は同じ世界の生き物を食って生きてるっていうのに、どうしてこいつらは張られた境界線を侵してくるのか。
おれはそこのところを、つっけんどんな言い方で聞いてしまった。
すると奴は眼を丸くした。しかも仰天する言葉をさらりと言ってのける。
「そんなの当然じゃないか」
「なんでだよ! おまえらはおまえらの世界だけでちゃんとメシを食えばいいだろうが。わざわざ他人の領域侵さなくてもさぁ」
「ああ違う違う。人間界だの魔の世界だのと言われているけど、みんな同じなんだよ」
「へ?」
おれはポカンと口を開け放した。
奴はおれの驚きようにくすくす笑った。楽しげなのがむかつく。
「存在する世界はみんな一緒。ただ居る場所が違うんだ。時間とか空間とか、ほんの少しの次元のズレで生態が変わるだけの話だ。オレたち魔の住人だって人間と同じ存在だよ。どちらが“正”か“異”か誰にも決められないものだけど、人間側からすればオレたちの存在は“異”であって変質したものだと考えるだろうね。だけど本来はオレたちが正しい存在でちゃんと食物連鎖が成り立っているとしたら? 人間が牛や豚という生き物を食べるのと同じでオレたちは人間を食べる。それって同じことだろう?」
そう言って口角を上げて笑うこいつにゾッとした。
朝の清々しい大気と光の中で平然と禍々しい空気を纏うこいつが怖かった。
今にも瞳の色が赤く変色していくようで……。
おれが思わず自分の身体を抱きしめたのを見て、奴が苦笑した。
「ごめん。ちょっと脅かしちゃったね。脅かしついでにもう一つ言うと、人間は少し傲慢なところがある。自分たちの存在がすべての生物の頂点にあると思ってる。そうじゃなくてみんな同列なんだ。だから弱肉強食が生まれる。矛盾する言い方だけど対等だから弱者と強者に分かれてしまうんだよ。人間だって他の生物に脅かされることは当然あるんだ。そして、その逆も然りだ」
「逆?」
眉をひそめるおれに奴はそっと手を伸ばしてきた。おれに触れる前に止める。
「うん。人間を食糧としてじゃなく愛すべき者として傍にいたいと思う異質な存在もいるってこと」
何を言われたのか、理解することができなかった。
ただ、差し出された奴の手と微笑む奴の顔を交互に見るばかりで戸惑ってしまう。
「触ってみてよ。君と変わらないよ? 感触とか体温とか。君と同じだ」
今まで一方的に触られてはいたけど自分から触ったことは一度もない。
おれは急いで反芻していた。こいつに触られた時はどんな感じだったか。
最初に咬みつかれた時、こいつに咬みつけと腕を差し出した時、食事に招待した時、そして女ヴァンパイアに襲われて介抱された時。
奴の本性が現れた瞬間は恐ろしくてたまらなかった。未知なる恐怖に抗えず、死を予感して震えが止まらなかった。
でも、そうじゃない時は……。
おれはそっと手を伸ばした。上向けた奴の手のひらにわずかに指を当ててみる。
「ふふ、くすぐったいな」
やわらかな笑い声に自然とおれの頬も緩んだ。
すると奴がおれの手をぽんっと軽く弾いた。続けてボール玉でも弾ませるように何度も打ち上げる。次第に強くなってきておれは笑いながら抗議した。
「痛い痛い。バチバチ言ってんじゃん」
「ね? おんなじでしょ」
言われて視線を上げると、奴が身を乗り出したのを見て慌てて身体を引こうとしたが遅かった。
ふわりと肩を抱かれて唇にやわらかいものが触れた。同時に口内に軽く息が吹き込まれる。
それはほんの一瞬だった。
何をされたのか、おれの頭が把握する前に奴は離れていた。
「説明してからやっても嫌がられるのがオチだから、不意打ちでやらせていただきました」
そんな満足そうな笑顔を向けられても。
唖然として一瞬意識を飛ばしてしまったおれはよくパニックを起こさなかったなと自分を褒めてやりたい。
ようやく覚醒すると同時に、ご機嫌麗しい奴の顔をひたと見つめたおれは冷静に言い放ったのである。
「今すぐ速攻出て行け」
「おまえは本当に罰当たりですわね。またしても主の行為を無下にするなんて」
またしても昨日の二の舞なのか?
おれはまた嫌味と愚痴しか吐き出さない、見かけは金髪巻き毛の人形のように愛らしい美少女と二人っきりになっていた。
「……アレになんの親切心があるってんだよ。嫌がらせにしか思えねえわ」
一体何度目だろうかの打ちひしがれ状態に疲れた溜息を落とした。ふてくされてベッドで丸くなる。
すると背後でわざとらしい溜息が聞こえたが、おれは無視した。
「最初のは百歩譲ってしょうがないことにしてやる。痛み止め飲ませるためだったからな。けど今度のはなんだよ。意味があるっていうのか。普通にキスしてきただけじゃねえか。もし舌が入ってきてたら噛み切ってやったのに」
ぶつぶつ言っていると、何と後頭部を叩かれてしまった。
驚いて寝返りを打つとカリンが見下し目線でおれを睨みつけていた。
(おいちょっと待て。おれに手出しできないんじゃねえのか!?)
思わず寝転んだまま後ずさりしてしまう。
「おまえは低能で無知であるということを自覚しなさいとあれほど言ったでしょう? 勝手に人間の常識だけで物事を考えるなど愚の骨頂ですわよ。自分が今どういう状況に置かれているか、よぉく考えてごらんなさい」
「んなこと言われてもそっちの常識なんかわかるか。意味があるならあるで説明してくれねえと知りようがないだろ?」
「話せばすんなり許したとでも?」
「無理」
即答すると額に鋭い痛みが打ちつけられた。デコピンである。
「いったぁ~。マジで痛い。おまえ自分がやられたからって腹いせじゃねえだろうな!」
「口づけには幾通りもの意味があるの」
(あ、無視した。図星だ)
抗議しようと上目遣いで睨んでやったがまったく効果なし。
「口づけをされた時に息を吹き込まれたはずですわ。そうすることでおまえの身は他の魔から見えなくなってしまうのです。気配すら隠されてしまう。わたくしは主の血を契約として体内に持っていますからおまえを見ることができますけれど、つまりはカーティナスにはおまえの存在が感知できなくなるということなのです。しかしこの効果は刻印が浮き出てからのこと」
カリンは突然立ち上がるとおれに覆いかぶさってきた。
「お、おい、ちょっ」
慌てるおれの顎をつかむと首を右に傾けさせた。左側の首筋がカリンの目に曝される。
すると彼女は少女の面には不似合いな赤い唇をにゅっと吊り上げた。
(わ、笑った?)
「鮮やかな薔薇の花……」
とろけるような口調に、おれは全身で冷や汗を掻いた。
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