第2話 悲しみの目覚め:Rose

「いやあああああああっ!?!?」

女の意識は、絶叫と共にぷつりと切れた。



ある街の中。一戸建て住宅やマンションなどが建ち並ぶ住宅街。ロードが倒れていた「レクイ村」とは全く異なり、文明の進歩を感じさせるような現代的な街並み。そこのとある2階建ての家の前に、1人の若い女が倒れていた。灰色の髪をしていて、背中半分程までの長さはある。そして、右腕が真っ赤な血に染まっていた。

「ねぇ、あれ何…」

一軒家の2階の窓から、茶髪の女がその様子を指差す。顔には怯えが見て取れ、その腕は震えていた。

「ん?あれは…!」

隣りにいた女の夫もそれを見ると、目を大きく見開いた。そして、急いで自宅の階段を下りて、女のもとへと走っていった。

「大丈夫ですか!?」

女の肩を揺さぶり、大きな声で呼びかける。しかし、反応は無い。

「呼吸はしている…脈もある…」

とりあえず、死んではいないと分かって一安心する。しかし、真っ赤な腕が目に映って再び緊張感が高まる。服の他の部分にも、その血が少し飛び散っていた。そこに妻もやってきて、2人で女の体を自宅の庭まで運ぶ。そして、女の右袖をまくって、傷の確認をした。

「ん…?」

しかし、奇妙なことに、女の右腕には、何の傷も見当たらなかった。これほど真っ赤に染まっているというのに、かすり傷1つついていない。まるで、血をそのまま塗りつけただけのようである。

「どういうことなの…」

2人は困惑した。本当に、女の体に異常は見当たらないのだ。それなのに、気を失っていて、右腕は血に染まっている。

「何か、身元が分かる物は持っていないか?」

「探してみるわ」

妻が、女の体を探ってみるが、身分証のたぐいは見つからなかった。

「見つかったのはこれだけ…」

女の服のポケットには、手のひらにおさまる程の大きさの金属の板が入っていた。

「何だこれは…?」

「ペンダントかしら?」

女のペンダントには、変わった意匠が施されていた。だが、それだけでは何も分からない。2人は再び女に目をやる。

「病院に運ぶか?」

「でも、目立った怪我もしてないんじゃ…」

「うーん…」

2人は少し考え、女が目を覚ますまで、ひとまず自宅で寝かしておくことにした。

「あの子が帰ってきたらびっくりするわね」

「そうだな」

あの子とは、夫婦の息子のことである。8歳で、現在は友達と一緒に遊びに出かけていた。

「早く目を覚ましてくれるといいんだけど…」


女は夢を見ていた。女の目の前には、彼女の弟がいた。

「あっ!」

女は弟を見ると笑みを浮かべ、手を振ってみた。しかし、彼は女を一瞥すると、踵を返して歩き始めたのだ。

「?どうしたの…?」

女は不思議に思った。彼は、自分を置いてどんどん遠ざかっていく。

「待って!どこに行くの?」

女もまた、彼を追って走り出した。しかし、彼との距離は縮まらない。しばらくすると、彼の体が光りだした。

「え…?」

目を手で覆いたくなる程にまぶしい光。そして、彼の体が急に爆発した。

「!?」

女は硬直した。開いた口が塞がらなかった。

「あ………あぁ…………」

力無き声が漏れる。目の前に広がるのは、もくもくと立ち上がる爆発の煙のみ。そこに、彼の姿は無かった。


「いやぁぁぁぁああああああああああ!!!!!」

絶叫と共に目を覚ました。

「!?」

女の側の椅子に座っていた少年、夫婦の息子が、彼女を驚いた目で見つめる。突然のことだったので無理もない。

「はぁっ……はぁっ……」

女はひどく息を乱していて、とてつもない汗を流していた。動揺しきっている為か、その蒼い瞳の焦点は失われている。

「目を覚ました…」

少年は立ち上がると、扉を開けて部屋を出ていった。両親を呼びに行ったのだ。女と少年は1階にいたが、彼女の絶叫は2階にいる両親にも聞こえていたようで、慌てて駆けつけてきた。

「どうした!?」

「何があったの!?」

「お姉ちゃんが目を覚ましたんだ!」

再び部屋に入ると、息を切らした女の姿が見えた。その表情が普通ではなかったので、3人共戸惑ったが、夫はひとまず話しかけることにした。

「あの…」

恐る恐る話しかけてみると、女はゆっくりと夫の方を向いた。

「え…?一体何が…」

女の方も戸惑っていた。

「目が…覚めたようだね…」

「えっ…?あっ…」

なおも、その動揺がおさまる気配は無い。しかし、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻したのか、会話に応じることができた。

「その…ここは…」

「私の家だよ。君は、家の前で気を失って倒れていたんだ」

「気を失って…」

まだ頭の整理ができていないようだった。

「ミリア、水を持ってきてくれ」

「分かったわ」

妻・ミリアはコップに水を1杯注いで、部屋に戻ってきた。

「はい、どうぞ」

「あ…」

女は恐る恐るコップを手に取り、水を飲み干した。

「はぁ…はぁ…」

そして、先程よりはかなり落ち着きを取り戻し、3人に目をやる。

「その…ありがとうございました」

「いえいえ」

「少し落ち着いたようだね。私はダニアというんだ。彼女は妻のミリア。そして彼は、息子のロイだ」

「よろしく、お姉ちゃん!」

女に向かって、ロイがニッコリと笑う。

「私は…ローズと言います…。ローズ=クランデウス…」

「ローズさんか。よろしく」

「はい、よろしくお願いします…」

ローズの様子を見て、ダニアは一安心する。そして、再び状況説明に移った。

「さっきも言ったように、君は家の前で倒れていたんだ。右腕が血まみれだったんだけど、特に傷は無くてね。身分証も持ってなかったから、どうしたものかと思ったよ」

「右腕…ですか?」

「うん。何か心当たりはあるかな?」

「…」

ローズは記憶を遡ってみるが、思い当たる節は無かった。しかし、とある事を思い出した。ローズにとって、非常に好ましくない事である。

「そうだ…!ここは!?ここはどこなんです!?ロードは!?」

再び取り乱しはじめたローズ。

「落ち着いて。とりあえず落ち着いてほしい」

「ロードが!弟が大変なんです!!」

「弟…?弟さんがいるのか?」

「敵と戦って…追い詰められて…!」

「まずは落ち着いてくれ。順を追って話すから」

ダニアの言葉で、一旦ローズは静まる。

「まず、ここがどこか、という事だが、ここは「フィルン国」の「ザハープ」という街だ」

「フィルン…?ザハープ…?」

「聞き覚えは無いかな?」

「…すみません。全く聞いたことがないんです」

「うーむ…」

そうなると、ローズはこの国の人間ではないことになる。というよりも、世界でも有数の広大な国家である「フィルン国」を知らないのは、この世界ではあり得ない話である。

「記憶喪失か…?」

ともあれ、話を続けることにした。

「君は身元が分かる物は何1つ持っていなかった。だから、君がどこの人なのか分からないんだ。君は、どこから来たのかな?」

「あの…。私は「クラン王国」の人間です…」

「クラン…?」

ダニアの頭に疑問符が浮かぶ。今まで一度も聞いたことがない国である。

「聞いたことあるか?」

「いいえ…。私にも分からないわ」

「すまない、ローズさん。私の方も、そのような国がどこにあるか分からないんだ」

「そんな…!?それじゃあ…!?」

ローズは目に涙を浮かべ、顔を手で覆う。

「お姉ちゃん…?」

「うっうぅ…」

嗚咽が漏れる。抑えることはできなかった。

「ごめんなさい…」

そして、突然泣き出してしまったことについて、3人に謝った。

両親がロイをそっと引き寄せ、ドアへ向かう。

「落ち着いたら、また来ますね…」

ミリアはそう言うと、ドアを開けた。部屋で1人、ローズは弟を思い、涙を流した。


しばらくして、ロイがドアをノックした。

「…どうぞ」

「お姉ちゃん、もう大丈夫?」

「うん。さっきは、急に泣いたりしてごめんね」

涙の跡はまだ残っており、元気こそ無いが、ようやく落ち着いたようだ。そんなローズの様子を見て、ロイも一安心する。

「良かった。あ、パパとママを連れてくるね」

そして、両親を呼びに行った。

「ローズさん、気分の方はどうかな?」

ダニアが部屋に入り、語りかける。

「はい、今は大丈夫です。さっきは取り乱してすみませんでした」

「いや、いいんだ。それで、君のことについて、詳しく話してくれないか。どんなことでもいい」

「分かりました」

ローズは3人に顔を向けて、話し始めた。

「私は、クラン王国という国の人間です。この名前は、ご存知ないんですよね」

「うん。さっき調べてみたけど、やっぱりそういう国は無かった」

「そうですか…」

「それで、あなたの身に何があったの?」

ミリアが尋ねる。

「クラン王国に謎の大軍が攻めてきたんです。どこから来たのかも分からない、謎の人々が」

「謎の敵…」

ダニアが少し考え込むが、話をさらに聞くことにした。

「国の人々は必死に戦いました…。私の弟も…。でも、私は戦えなかった。戦う覚悟ができていなかった…」

ローズの顔が曇る。目を伏せて、やるせない表情になる。

「そして、私の弟は強大な敵と戦いました。でも…最後には…爆発して…」

ローズの頬に、再び涙が流れる。

「それを見たら、私の意識も消えたんです。それで、気がついたらここに…」

「そうか…」

にわかには信じられない話である。実は荒唐無稽な作り話で、彼女の頭はどうかしている、と考えられてもおかしくないとも言える。しかし、彼女の表情は真剣そのものであり、何よりも「どこから来たのかも分からない敵」という点が頭に引っかかった。

「とりあえず、話してくれてありがとう。実は、その正体不明の敵っていうのが引っかかってね」

「はい…」

「実は数年前から、我々の国にも人々を襲う謎の集団が現れたんだ」

「え…?」

「いや、我々の国だけじゃない。世界各地に出現している。幸いというべきか、ザハープにはまだ現れたことは無いけどね。発表によると、彼らはこの世界の者ではなく、別の世界からやって来たという」

「…」

ローズは、何も言葉が出なかった。

「どういう訳かは分からないが、私たちの世界には、異なる世界の者も出入りできることになる。君も、別の世界から何らかの方法でこの世界に来てしまったのかもしれない。勿論、君が奴らの仲間だとは思っていないよ」

「そんな…」

「確かに、信じがたい話だ。でも、君の話を全て本当だと考えると、それしかない」

ローズは何とも言えない表情をしていた。だが、彼女自身も、自分の世界とはどこか異なることは感じ取っていて、それが話に説得力を持たせていた。

「それじゃあ…もう国の人々は…」

「…残念だが、どうなっているのかは分からない。そうだ、君の唯一の持ち物だったんだが」

そう言って、ダニアはズボンのポケットからペンダントを取り出す。

「これは…」

「何か書いてあるみたいだ。この文字も調べたけど、分からなかった」

「これは私の名前…「ローズ」と書かれています。でも、これが読めないということは、本当に別の世界なのかも…」

「君の所では、一般的な文字なのか?」

「はい…。世界中の人々が読めます」

「となると、やはり君は別世界の住人の可能性が高い」

ローズは少し黙り込む。

「私…どうしたら良いの…?」

「お姉ちゃん…」

ロイも、突然のことで何も言えなかった。ローズは弟を失い、自分の世界とは全く違う世界に1人で投げ出されてしまった。何と声を掛けてやればいいかも分からない。そこで、ミリアがある提案をする。

「ねぇダニア。ローズさんを、しばらく家に泊めてあげられないかしら?今の彼女は、辛い状況にあるわ。この世界のことも分からないみたいだし、まずは色々教えてあげないと…」

「そうだな…。今の彼女は、自分では何もできない。まずは私たちがサポートしてやる必要がある」

ミリアの提案に賛成したダニアは、ローズに話しかける。

「ローズさん。私たちは、しばらくの間、君にここで生活してほしいと思ってる。まだ右も左も分からない君を、放ってはおけないからね」

「え…。そんな、迷惑になりますよ…」

「でも、この世界のことは何も知らないだろう?」

「それは…」

「ローズさん、私たちは迷惑だなんて全く思ってないわ。あなたのことを心配してるの」

「僕もだよ!」

「皆、同じ意見だ」

「…」

ローズの申し訳無さそうな顔は、微笑みに変わった。

「それじゃあ…よろしくお願いします」

「やっと、笑ってくれたね」

そして、ロイも微笑んだ。



ローズの心に少しだが光が差した。これから、彼女の物語が始まるのだった…。


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