陰陽、引用、in you.

七戸寧子 / 栗饅頭

本編

 慰めが形を持つのなら、それはイヤホンの格好をしているのだと思う。臭いものには蓋を、聞きたくないことには栓をして別の音で塗り替えてしまう。その無責任な慰めこそが、真に心を癒すのだ。甘い言葉は為にならないから、と説教を繰り広げる人間は、何故それほど無神経になれるのかと毎度思う。私のような陰陰滅滅という言葉がよく似合う人間が明日を乗り越える糧とするのは、黄色い缶コーヒーも裸足で逃げ出す甘さのフレーズだ。


 だから、物憂げな顔だと揶揄されてやまない私のポケットには、常にカナル型のイヤホンが入っている。インナーイヤー型では、私の心臓から毛細血管に至るまでを癒すことはできない。私が求めているのは、世間の雑踏を裂き殺す高音。つまるところ、自分以外の音の遮断。街中や電車の中で、うどんを彷彿させる白い物体を耳に引っ掛けている人を見る度、彼らは遮断を必要としない幸せな暮らしをしているのだろうなと想像した。


 私が不幸せというつもりはない。そこそこ恵まれた環境に生まれているし、生活に特段の不自由もない。それでも心の何処かでより良い何かを求めていて、贅沢でおこがましいため息をつく。そんな悩みを話せる友人もいるが、それもどうかと思う。女子高生なのだから、もっと青春の香りがする話をすればいいのに。という話を例の友人にしてみたら、


「どう香りをつける? 青春を燃やして私たちの会話の燻製でも作るか?」


 と言われてしまった。彼女の不敵な笑みは、青春という若々しいワードに対する軽蔑のようなものに感じられて、私は余計にそういう話をしにくい。


――ハッキリ言おう。私は恋愛相談がしたい。


 私たちは青い春の最中にいるのだ。真っ赤な夏でもなければ、あきが来ることを憂う時期でもない。陰気で友達が少ない少女にだって、春は訪れる。恋にも落ちる。根拠を提示しろと言われれば、それは私だ。好きな人がひとりくらいいたって、神は怒らないだろう。そんな持論を述べたら、無神論者の友人と口論になった。


 もうすぐ文化祭という季節なのに、青春を掴もうという気概がない女子高生などいるのだろうか。女の子は皆シンデレラなのだから、文化祭という名の魔法でガラスの靴を履いてみたいというのは当然の欲求だろう。いつまで青春でスモークした灰を被っているつもりなのか。


 しかし、恋というのは厄介で、顔もスタイルも性格もいい女子にも訪れるし、教室の隅でイヤホンに精神を委ねる地味な女子にも訪れる。平等に感情が生まれるが故に、不平等な勝ち負けが生まれてしまう。確かに私が男だったら、私みたいなのよりも、あの娘やあの娘やあの娘の方を彼女にしたいと思うに決まっている。私など、決勝トーナメントにすら残れない予選落ちの女だ。でも、私だって彼とくだらない他愛無い話をしたい。話したら話したで、この心臓がもたないだろうけど。


 だから悩んでいるのだ。相談したいのだ。


 でも、唯一の気の置けない友人にすら、その話題を拒絶されてしまっては、私はどうすることもできない。私を慰めてくれるのは、イヤホン越しの音楽だけだ。外界と切り離して、恋も友人も文化祭も何もかも忘れさせてくれるこの子こそが、私の恋人。「まだ遊び足りない」と私の袖を引く可愛い悪魔。


 How are you?  意識のあるウォーキングデッド。



◇◇◇



 カップルで登下校をしている男女がリア充と呼ばれるなら、電車内でイヤホンと肌を密着させて登校する私もリア充と呼ばれてもよいのではないだろうか。もしかして、春だったかもしれない。


 そう簡単に春が訪れたら、苦労しない。私の想い人は今日も文化祭に向けてギターの練習をしているのだろうか。バンドを組むらしく、様々なクラスメイトに声をかけていた。その対象に男女の分け隔てはなかったが、私のような人間はもちろんお声掛けいただけない。もっとも、私が一方的に好いているだけで、会話らしい会話すらしたことはないのだから当然だが。彼にとっての私は、ショートヘアでそばかすが目立つ、ただのクラスメイトでしかないのだ。モテないし身なりは三流、それが私。


 あの時、私が「混ぜてよ」と言っていたら、どうだっただろうか。彼はきっと、快く私をメンバーに迎えてくれるのだろう。ただ、周りの視線が「柄にもない」と私を苛むのだ。そうなったら私は、泡になって弾けてしまう。


――あの娘は、声掛けてもらってたのにな。


 自分の身分をわきまえない嫉妬に、我ながらため息が出る。きっと、何度もチャンスはあった。嫉妬を繰り返す日々に甘えているのが情けない。


 重ね重ね、恋というのは厄介だ。食事中、移動中、授業中、入浴中。ところ構わず、あの人の顔が頭のどこかでチラチラと私の集中を削ぐ。これはなかなか大変だ。


 思えば、私は彼のどこを好きになったのだろうか。思いつく理由といえば、性格がいいとか、声がいいとか、顔がいいとか、ありきたりで具体性のないものばかり。そしてそこには、録音しようとか、余すことなく撮ろうとか、そこまでの熱意はない。


 所詮、私は恋に恋しているだけなのかもしれない。だからどうということはない。私の主観だけでモノを言えば、私は彼に恋をしている。その想いもそうそう軽いものではないと思う。仮にこれを軽いとするなら、思考や感情をひっくるめた「私」自体がとんでもなく軽くなってしまう。それくらい、恋心は今の私を構成するものとして、大きなウェイトを占めていた。


 誰かが私の恋を笑うかもしれない。否、笑うのだろう。「不釣り合いだ」と。そういったノイズを潰すためのイヤホンだ。


 ここは敵がいない国。



◇◇◇



 彼はギターの練習に忙しそうで、私は退屈を謳歌するために忙しく家に帰って……というのが世界の理だと思っていたので、驚かずにはいられなかった。駅でばったり会うなどとは想像もしなかった。


 確かに、同じ学校に通うのだから、学校の最寄り駅で顔を合わせるくらい何もおかしくない。彼が電車通学というのは初めて知ったが、それもおかしいことはひとつとしてない。この場にそぐわないのは、駅で同じクラスの男子生徒に出くわしただけで取り乱す私だ。


 つい顔を逸らす。目を合わせたら最後、私は石になってこの駅のオブジェと化すのがオチだ。彼を勝手にゴルゴン姉妹と同じ類にしている私はなかなか酷い性格をしていると思う。はやる鼓動を鎮めようと、ポケットをまさぐり、イヤホンを五本の指で掴み取る。丁寧にしまったはずなのにぐちゃぐちゃに絡まっていた。どうしてこういう時に限って物事はうまくいかないのか。笑えないコントより笑えない。


 そして、うまくいかないことというのは重なる。絡まりを解こうとしてやっているのに、手から逃げ出すイヤホン。駅のホームの上に、僅かな音と共に落下する。このイヤホン、高いのに。誰か笑ってくれ。これがコメディだったらどんなにいいことか。


「はい、落としたよ」


 自暴自棄になっていた私の手の上には、もうひとつの手の甲。綺麗な指。


「え、あ、ありがとうございま……す」


「いえいえ」


 聞き覚えのある声。私のペースを狂わせるその声にハッとして、視線を手から正面へ移す。そして、私は石になる。身体は石のくせに心臓はやたらうるさい。もしこれがコメディなら、ラブコメの類になるのだろうか。眼前の整った顔つきに、私の意識がある場所が現実かどうかを問いたくなる。本当に、刺激満載で神秘的。


「これ、バング&オルフセンだよね?」


 問いたいのは私なのに、実際に問われたのは私。まともな返事ができるわけもなく、悲鳴に近い相槌を叩きつける。


「ひぇ……ん、うん。まぁね」


「すげー。高かったっしょ、これ」


 手のひらの上のイヤホンをまじまじと眺める彼の澄んだ瞳に、注目されるのが私ではなくてよかったと心底思う。そして驚きなのがこの話題。バング&オルフセンという固有名詞が伝わる高校生がどのくらいいるだろうか。イヤホンに刻まれたB&Oの字が、日暮れに近づこうとする太陽の色に浮かび上がる。


「そ、そこそこ……」


「今度聴かせてよ、俺のJBLのやつも貸してあげるから」


「え、うん、よければ……」


「じゃ、俺、ホーム反対だから。また明日」


 こんなに優しくされたら、迷惑だ。去りゆく背中に挨拶を返すことすらできない。ただ、その歩みを見つめるだけだった。まだ彼の手の温かさが残っているような気すらするイヤホンを丁寧に解いて、イヤーピースを耳にねじ込む。騒がしい心を鎮めるのに、なにか聴かなければ。無心になるには、無意味なワードの羅列がいいという。

 マハリ、ユワレ、ガアイェ、サヴァナレ。



◇◇◇



 今日も一日疲れたな。ありふれたような言葉と共に、息が多く漏れた。車窓の外を流れる、田舎と言うには栄えてて、都会と呼ぶには閑散とした見慣れた景色に、ぼーっと焦点を合わせる。


 特になにがあるわけでもない。教室に入っても彼と朝の挨拶を交わすわけでもないし、特段の会話があるわけでもないし、イヤホンの貸し借りは論外だ。ただの会話、ただの口約束、ただの社交辞令、ただの陽キャのノリ。気付いたら、ただの帰り道。


 ただの、と言うには少し心が重い。端的に表現すれば、気が狂いそう。優しい歌に甘えたくなる。そういう時に限って、シャッフル再生は私を叱咤激励してくるのだ。叩きのめしてくると言ってもいい。音楽は諸刃の剣。


 このままでは流石にヤバい。柔らかな歌を聴こうと思っても、私の手持ちでそういった系統の曲はラブソングがほとんど。いかに自分が恋愛脳なのかというのを思い知らされて、余計に気分が悪くなる。


――見てしまったのだ。彼の練習風景を。


 普通だったら、もっと興奮するものなのかもしれない。音楽好きとはいえ、楽器には明るくない私の耳には、彼の演奏は心地よく感じた。彼への好意がそうさせているような気もするが、結局のところ音楽は感情に響くかどうかだ。くだらない憶測は、くしゃくしゃにして捨てた。


 ただ、今日の本題はそこではない。いわゆる、あの娘やあの娘など。彼女らは帰国子女かなにかなのだろうか。男性との距離感が非常にアメリカンで、大和撫子のそれとは到底思えない。付き合ってもいない男にあれほどベタベタ触るものだろうか。同級生だと信じたくない。帰国子女でないのなら、一体何だろうか。火薬か、ゼラチンか、ダイナマイトか、はたまた。


 彼女たちが嫌いなわけではない。砂を噛めばいいなどとは微塵も思わない。話してみれば性格が悪いわけでもないし、可愛い女子というのは目の保養になる。私は生粋のヘテロだけど、それとこれとは話が別だ。ついでに言うと、嫌いでないことと嫉妬しないことも話が別。くたばればいいとは思わないが、羨ましいと言ったらありやしない。もし、私が彼を独占したら……という妄想は、気持ち悪くて背徳感にまみれているが、甘美さもしっかり完備している。糖はエネルギー。言い換えるなら、活力源。


 楽しそうだった。彼に絡む彼女らも、彼女らに絡まれる彼も。それはそうだろう、あれほど可愛い娘にベタベタされて楽しそうにしていない男の方が変だ。感性を疑う。魅力をはかる天秤に私とあの娘をかけたら、私は宙に投げ出されるのだろう。

……このことを掘り下げるのはやめよう。やはり臭いものには蓋。考えないのが一番。脳内の嫉妬.exeは左クリック&ドラッグでゴミ箱に捨てた。


 ブッ飛びたい。気持ちいいことをしたくなったら、再生ボタン。トビ方くらい心得ている。


 脳内を蝕み侵すポイズン。



◇◇◇



 日本人というのは、空いている電車で座る時には他人と間隔を取りたがるものだ。例の青春燻製女とは家の方向が違うので、友達の少ない私が電車で座る時は大抵左右が空いている。埋まっているとしたら、座席の端に座っている時くらいのものだ。逆に左右が埋まっていると言えば、耳。常にイヤホンがそこに居るから、電車で耳孔が外気に触れているということは滅多にない。


 そう、大抵。そう、滅多に。レアケースが二つ重なる確率は一体どれくらいあるのだろう。少なくともゼロではない。なぜなら、今がそうだから。


『電車の窓に映る2人を見て…お似合いなカップルに見えないかななんて考えなかった?』


 先日読んだ漫画に、そんな一文があった。がたんごとん、がたんごとんと揺れる車内で反芻する。心が破裂しそうだ。きっと、今の私のハートをつついたら、水風船のように弾けて汁が飛び散るのだろう。


「ギターのピックが割れちゃってさ、こっち側の店じゃないと気に入ってるのが売ってないんだよね。ほら俺、バンドやってるからさ」


 車窓がつくる陽だまりは、包むように彼を照らし、神々しく輝かせていた。流石に誇張表現だが、私は眩しさと畏れ多さで、隣に座る彼の顔をまともに見ることができなかった。


 え、なにこれ。なんで私、想い人と下校してるんだ。


 事の運びは単純だ。いつも通り電車待っていたら、何故か声掛けてきて、「俺も今日こっちなんだ」と言って、一緒に電車待って、一緒に乗って、今。実に単純明快で、わけがわからない。この状況が解明できれば、きっと教科書に名前が載るだろう。これが運命というなら、神は愚かだと思う。これが神のイタズラだとすれば、ネットで晒されて炎上するタイプのイタズラだろう。


「結構激しいのも聴くんだね。意外」


「ま、まぁね……」


 オマケに、私が恋人と呼んでいたイヤホンの片耳は、彼に浮気している。イヤホンをシェアしている男女を見る度に、あれは音楽に対する冒涜だと舌打ちをぶつけていたのだが、いざこうなると人のことを言えない。これも音楽という服の着こなし方のひとつだと言い聞かせて、必死に自分を正当化させる。


「ヒップホップとか聴かない人だと思ってた」


「そ……う? そんな風に、見える?」


 脳内の親友に「見えるだろ阿呆」と罵られた。私のスマホには酸いも甘いもエロもグロもナンセンスも詰め込んである。彼が私のことをこうだって思うこともあるだろう。でも、この有象無象のシャッフル再生が私の拠り所で、私の大部分を形成するもの。


「でも、俺も好きだよ。調教済みのブタってやつ」


 このセリフを吐くのが親友なら、声を上げてハイタッチを交わさずにはいられなかった。残念ながら隣にいるのは高嶺の花様で、私にそんなことをする勇気はない。気色悪いニヤニヤした表情以外に、言葉らしい言葉などを返すことすらできなかった。


「流石バング&オルフセンだわ、いい音してる……けど、俺のも負けてねえな」


 曲の切れ目で、彼は耳から私の恋人を外して返した。そのまま咄嗟に取り出したのは、彼の恋人。くたっとしたコードにその愛着が見えた。胸が跳ねる。


「ほら、聴いてみてよ」


 彼から差し出されたイヤホンの片割れ。それを受け取ってしまっては、何かがダメになる気がした。頭の中が真っ白で、漠然とした「いけない」の気持ちだけでそれを拒否する。


「俺、次の駅で降りるんだよ。感想聞きたいからさ、頼むって」


 気付いたとき、私の片耳には普段とは少し違うサウンド。私の心情も信条も彼に侵されっぱなしだ。


 想像現実盲信症、感応性本能。

 


◇◇◇



「というわけで、私、今ヤバいの」


「語彙力も説明力も皆無だなド阿呆」


 俗っぽい表現をするなら、これはデートだ。女友達とのデート。休日に珍しく洒落っ気を絞り出して、喫茶店を訪れている。頭がこんがらがりそうな横文字の紅茶を頼んだら、紅というよりも赤い色をした液体を出されて驚愕した。少し薬っぽい酸味が、心に染みる。


「傲慢だとは思うよ? でもさ、すごくキてる感じしない? イヤホンはんぶんこだよ?」


「ああいうチャラいのは誰とでもするんじゃないのか? 私が知ってるチャラいのはよくやってくるぞ」


 頬杖をつく彼女がなんとも憎たらしい。ここが牛丼屋だったら、紅ショウガをぶつけている所だった。というのも、彼女は散々「恋愛とか(笑)」みたいな態度をとっているくせに、男がいるのだ。本人いわく、彼氏とかそういうのではないとのことだが、放課後に図書室で二人並んで勉強していたらそれはもうカップルだろう。そう指摘したら、発想が童貞だと嗤われた。乙女に向かって失礼極まりない発言だ。


「でもさでもさ、それにしたってイイ感じだと思わない?」


「お前がそう思うならそうなんじゃないか」


 慰めを求めてイヤホンに依存してしまうのは、こういう人間のせいな気がする。しかし、会話をするならこれくらいでいい。イヤホンは、私の話を聞かないから甘くてナンボ。友人は、私の話をちゃんと噛み砕いて毒は吐き捨ててくれる人がいい。人間臭くて、私は好き。


「というか、アンタがこういう話付き合ってくれるとは思わなかった」


「……恥ずかしいじゃん」


「なんでさ。誰かを愛すことなんて動物だってしてるじゃない」


「その頭、私がかち割ってやろうか」


 ハイタッチ。やはりこうでなくては。同時に、あの人ともこうしてみたいと思う。趣味もある程度被っているようだし、気兼ねなく語り合えれば絶対に楽しい。きっと退屈しない。踊ってない夜を知らずにすむ。


「……ま、アドバイスをするなら『早め早めの行動を』ってぐらいだな」


「アンタが恋愛の何を知ってるのよ」


「積極的なアプローチって、結構人をなびかせるぞ。あと単純に、お前の好きな人は人気物件だからな」


 悔しいがその通り。言い草こそこの調子だが、言うことは筋が通っている。でも、彼女はいないはずだ。仮にいるのなら、電車で私の隣に座ったりしないはず。彼女持ちでそんなことするような人ではない。それとも、そんな根拠のない確信が「恋は盲目」と呼ばれる所以か。ところで、「なびかせる」とは一体。疑問は素直にぶつける。


「もしかして、ご経験が……?」


「はぁ? うっせぇ。バカ、アホ」


 わかりやすい。こういう元気な彼女を見ていると勇気が湧いてくる。いつもクールに気取っているこいつも取り乱すのだと思うと、心に余裕ができる。ひょっとしたら、私は最低の人間かもしれない。こんな調子では、いずれ自分を嫌いになってしまいそうだ。幸い、嫌いなものを数えてみても、まだ現実味のある数だ。


「で、どうするんだ? 文化祭だって近いぞ」


「……しちゃう?」


「……するなら応援してやろう」


「……やっちゃう?」


「まどろっこしいな、やっちゃえよ」


「おっけー、告るわ」


 あまりに軽すぎる宣言。でもこれくらいでいい。青春なんだから。高校生なんだから。

 シナモンの枝でガラスに三度、恋しい人の名を書けば。



◇◇◇



「お前、ほんとズルい人だな」


「うるさいなぁ」


「あんなに意気揚々としてたのに」


「うるさい」


「無実にするにはもう遅いぞ」


 うるさい口がついてまわる。この女は永遠にシンデレラでいればいいのに。灰かぶりの方。賑やかな廊下で茶々を入れられている私を誰かに慰めてもらいたかったが、友人といる時にイヤホンをするというのは流石に良心が痛む。もっとも、この意地の悪い女に良心など差し出してやる必要もないのかもしれないが。


「ここまで来て、ブレーキかけて。何を迷ってるんだ?」


「迷うとかじゃなくてさぁ……あるじゃん、心の準備とか」


 学業を営む場所とは思えぬ、煌びやかな廊下。様々なアトラクションや出店の看板、看板、看板、最後尾札。群がる人の子、人の子、人の子が合わさってカップル、アベック、つがい。


 文化祭が来てしまった。明日こそ告白しようと意気込んで、帰りの電車でイヤホンに慰めと勇気を貰う日々を繰り返していたら、いつの間にか一ヶ月が経過していた。気付けば、文化祭当日になっていた。当然、「一緒に回ろう?」すら言えるはずもなく。


「たった一度の文化祭、たった一度の人生だ」


 たった一瞬でも躊躇えば、いつの間にか終わっているのだろう。痛感こそしているが、行動に起こせるかと言えばそうではない。


「いいの、私なんかが告白したって迷惑なだけなんだから」


 結局、一緒に回るのはこの女にした。別に文化祭だから想い人と過ごすと決まっているわけでもない。親友と思い出作りすることだって青春だろう。


「人間は他人に迷惑かけてナンボだ」


「うーわ男がいる女は言うことが違うなぁ。てか、アンタは私なんかと一緒でいいわけ?」


「ああ、あの阿呆はクラスの店番だから」


 なるほど、暇だから私に構ってやっているということか。そこまで性悪ではないことは知っているが、今の私の精神状態でポジティブな思考をしろという方が難しいというものだ。糖分が足りていないのかもしれない。補給するなら、甘い恋が一番かも。その味を知らないので、真偽は不明だが。


「で、いつまで私に構ってくれるの?」


「お、珍しく素直に構ってちゃんだな」


「質問に答えない人間はキライ」


「安心しろって、お前が体育館に行くまでは一緒にいてやる」


 私が体育館に行くまで。それすなわち、あの人のバンドが演奏をする時間まで。


「お前が望めば、な」


 つまり、今から告白しに行くなら消えてやるから安心しろ、ということだろう。憎まれ口ばかり叩くくせに、憎めないのはこういうところだ。顔も悪くないし、この子に惚れる男がいるのも頷ける。ふと思い直して、一瞬首を捻りそうになったが、ここは甘んじて頷くことにしよう。


「なぁ、このままでいいのか?」


 いいわけがない。尻込みしてばかりの自分を正当化できる言い訳などあるわけもなく、心の内にあるのは「このままじゃ嫌だ」という思いのみ。高校生の愛など、たかが知れているかもしれない。それでも、私の狭いハートから「好き」が溢れて止まらない。両手で押し込めようとしても、あいにく私は人間なので、指と指には隙間がある。そこから零れて滴るのを見ているだけでいられるほど、私は強くない。


「ほら、あそこでハニートースト売ってるぞ。応援の気持ちで奢ってやろうか」


「申し訳ないからいいよ」


 物語をはじめようとする私の背中を押してくれる彼女。彼女のような人間に応援されると、こちらも意地を見せたくなるというもの。ふつふつと私の中で何かが湧く。今なら、いける気がする。


「あっ」


 しかし、そこに水を差す友の声。「あっ」の対象が何なのか確かめる隙もなく、彼女にぐっと袖を引かれる。


「なぁおい、外でタピオカミルクティー売ってるぞ。買いに行こう」


 唐突な提案に、「はぁ?」としか返せない。


「私はな、三度の飯よりタピオカが好きなんだ。ほら行こう」


「アンタそういうキャラじゃないでしょ」


「胃袋は騙せない。もしこの世に神がいるなら、それはタピオカを作ったお方だ」


「アンタ神とか信じてないでしょ!」


「とにかく行こう、インスタ映えするぞ」


「アンタそういうのやってないでしょ!」


 彼女の華奢な腕にぐいぐい引っ張られるも、そこまで強引だと抵抗せずにはいられない。何か様子がおかしい。まるで会うと気まずい人を見つけてしまったかのようだ。


 不意に、人混みの中に見つける。否、見つけてしまう。


 ギターを背負う想い人。その隣に、あの娘。


 それと、二人の間の恋人繋ぎ。



◇◇◇



 慰めが形を持たないのなら、それは心音なのだと思う。臭いものにも、聞きたくないことにも向き合った私を包む人肌には、感謝してもしきれない。その温かな慰めでは、私の隅から隅までを癒すことはできないが、それでもかまわない。甘い言葉も、説教も、言葉は全て無粋と知っている友人の胸の中で私は声を上げて泣いた。私のような陰陰滅滅という言葉がよく似合う人間が人生で必要とするのは、粋な言葉遣いで神の不在を語る友人なのかもしれない。


 音楽が心の拠り所になるのなら、心を崩すのも音楽なのだろう。未練たらしく足を運んだ体育館での彼の演奏は、私が今まで聴いてきた音楽のどれよりも心を揺さぶった。文字通り、琴線に触れるというやつかもしれない。音楽を聴いて涙が止まらなくなるのは初めてだった。


「カラオケでも行くか?」


 親友の第一声はそれだった。会うなりしゃくり上げた私を抱きしめて、黙って背中をさすってくれた。皮肉にも、私を癒すのは自分以外が作り出す重低音だったのだ。彼女の制服の胸部を涙で濡らしながら、私は頷きで返した。


「トップバッターは譲ってやるから。歌いたい曲はなんだ? 言ってみろ」


 そういえば、私のスマホに失恋ソングはあまり入っていない。ほんの少しはあるけど、全部大人らしい雰囲気の曲で、今の私には合わない。こういう時にイヤホンは役に立たない。所詮、恋人なんてこんなものなのかもしれない。今頼るべきは友人。


 泣くのに精一杯で思考がまとまらないのもあり、答えに困っているとリクエストが飛んできた。


 あー、もうやんなっちゃった!!

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陰陽、引用、in you. 七戸寧子 / 栗饅頭 @kurimanzyuu

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