第10話 穢れを落とす

 滝壺が整備されたら修行の始まりだ。


 白装束などは準備できなかったので、下着姿だけで滝の下に入り、滝に打たれる。

 ものすごい水流。

 ものすごい冷たさ。

 普通に物事を考えることなんて出来ない。

 ただただ「魂が磨かれますように」と思いそれを口にするだけだ。寒さが凄いので叫んでいる。聖女の汚れがうんぬんかんぬん、などと長いことを考える隙はない。

 何度か叫んだあと滝から出る。効果はあるだろうか。


 あまり実感はない。もっと追い込まないと。〈保温〉や〈恒常性機能強化〉を切ろう。滝に全てを差し出して、心の底から思わないと。


 一度ストーブの前で休み、全ての補助、自己バフを切る。さあ、やろう。


 そうやって入った滝には5秒も持たなかった。体力も魔素も、判断力も一瞬でゼロになった。

 必死の思いで体を滝から引き出し、這うようにしてストーブの前で休む。


「これは本当に必要なのか……? 聖女のためにやることなのか……? 山伏や修験者になるためでは……?」


 ぼんやりした頭の中でそう思う。

 私はなぜ聖女ではなくなったか。

 聖女の名を汚したから。

 淫らな行為に身を染めたから。

 だから身を清め、魂の禊ぎをしなければならない。

 そう思いながらストーブの前で失神した。


 夢の中でなぜ聖女にこだわるか自問していた。

 なんでこだわるんだろう。

 なくても多分生きていける。

 捨ててしまえばこのきつい試練から逃げ出すことが出来る。

 でも逃げ出したくない、なぜなんだろう。


 起きてからもずっと自問していた。


「……お母様?」


 そうか、お母様になりたいのかもしれない。

 最後は淫らになられたお母様。私も淫らになった。

 私が身を奇麗にすることで、お母様も奇麗になるかもしれない。いや、奢りすぎか。でも私の中のお母様は奇麗になる。

 私にとってお母様は聖母だった。本当に本当に尊敬している。

 そうか、お母様になりたいのか。

 聖女になることによって。

 聖母とつながりのある職業を得ることで。


 やはりやらなければならない。やり遂げなければ。


 数秒滝に入ってストーブの前で失神し、起きてはまた入りストーブの前で失神していたらとても珍しい生き物が私に接近してきた。


「おっきい。あなた、この地域の神獣さんね。神獣さんにしては力も迫力もないけど……」


 それは体長4メルト、体高1.5メルトはあろうかという巨大な狼だった。狼……だけど、体中に紫の模様がある。間違いない、この神獣は呪われている。


「ねえ神獣さん、なんでそんな呪いがかかってるの? なにかあったの?」


 小屋から5メルト位離れて対峙していた神獣は、かぶりを振ると森へと帰っていった。


「神獣さぁーん! また来てね! その呪い、解かしてちょうだい! 私、聖女になるから!」


 それから神獣は、私が朝晩2回ぶっ倒れて起き上がった夜に近くをうろつくようになった。

 毎回声を掛けているが別段反応はない。それでも見守ってくれている生物がいるんだということが心の栄養になった。



 年間600日あるこの星。そのうち200日くらいやれば権限解除させてもらえるかなと思いおこなってきた滝内の禊ぎ。実際はそんなに長くはやらず、20日くらいで聖女の機能が回復したと

 季節はまだ冬で動けない。動けないからこその危機が到来してしまった。食糧危機だ。そもそも60ルルトしか入らないバックなのだ、しのぎきれるわけないのは想定済みだった。

狩りをするのだ。〈探感知〉を使って場所を特定し、〈マジックボルト〉を打ち込めばよいと思っていた。


 全く甘い見通しだった。野生の動物は魔力の波にめちゃくちゃ敏感だ。〈探感知〉をしようもすれば波を感じ取ってたちまち逃げ出してしまう。

 たまたま目視できた動物でも〈マジックボルト〉を撃とうと魔力を溜めると、それを感知してさっと身を隠してしまう。

 野生の動物には太刀打ちが出来なかった。


「どうしよう、もう食料がない」


 そんな時に神獣が遊びに来た。聖女になったら非常に気を許してくれるようになったのだ。


「ねえ、神獣さん。呪いを解くから、必死で解くから、野生動物を持ってきてくれないかなあ?」


 神獣は少し頭をひねると、


「わん」


 といって去って行った。か、かわいい。



 数刻のうちに神獣はやってきて、イノシシ系の動物を持ってきてくれた。


「わーありがとう! 先にご飯にしていい? 魔素や体力の回復力が違うから」

「わん」

「かわいいー! まっててね!」


 動物の裁き方なんてわからないので見事に大腸を破り小腸をズタズタにしてうんこまみれの肉になったが、それでも食欲には変えられなかった。


「きっつい食事だった……。でもいいや! 神獣さん、小屋の前に伏せてもらっていい?」


 神獣は素直に伏せた。「ちょっと失礼」と鼻を登り、顔を歩き、額と額を合わせる。


「聖女の力よ、このものの呪いをお取りください。呪いをお取りください……」


 念仏を唱えるように繰り返す。

 マックス全ての力を使い……呪いはほとんど解けなかった。聖女の力が多分初期化しているというのもあるが、神獣に効くような呪いだ、力が強いのだろう。


「かなりの強敵だね。でもちょっと解けたってことは、解けない呪いじゃないってことだよ! がんばろうね!」

「わんっ」


 あ、なんかちょっといつもとは違う反応だ。顔も結構穏やかに見える。ふふっ。


 ここからは根気との勝負だった。毎日全力で解呪を試み、力を向上させるために禊ぎをおこなう。めちゃくちゃきつい環境だったけど、心は晴れ晴れとしていた。禊ぎだって幾日もおこなえば耐えられる秒数も伸びてくる。それはつまり基礎能力がついたということでもあり、解呪するための力もついたということでもあった。

 神獣も解呪されている間は心が安らぐようで、その姿を見ているのがとてもうれしかった。


 何日たっだろうか。ついに解呪の効果が本格的に動き始めた。はっきりと呪いが解けていくのがわかる。解けきるまで一週間かかるかどうかというところか。その間にも成長はするのでもっと早いかもしれない。


 あとほんの少しというところで世界に異変が起きた。

 周辺の空間が闇に包まれ、神獣が苦しみだした。

 空から変な男が降りてくる。角が生えたスーツの高身長男性という感じだ。めっちゃ悪魔悪魔してる。どう見ても悪魔だろう、これ。


「おいおいおいおーい、うちの神獣の呪いが解けそうじゃぁないか! だれだねぇそんな無粋なことをやっているのは。ここは神獣の代わりにこのボラトクレン二等爵がもらう領地なんだがなあ」


 こ、古典的すぎる。こんなのあってよいのか? いや、 よいはずがない。


「なんか馬鹿みたいなことを言ってる悪魔がいますが、全ての元凶はこの聖女であり勇者である私がおこないました!! 今すぐ神獣の呪いを解呪し、目の前から立ち去りなさい!」


 私ではない私が自然と喋っている。職業はそれに応じた性格をロールプレイするのかもしれない。


「おおっとー!? こんなところに俺ら悪魔の餌である聖女がいるとはなぁ! これはラッキーだぜ、死んで俺の餌になれぇ!!」


 そういうとボラト……悪魔は魔法を繰り出した。〈空間障壁〉で受け止める。凄い火力だ。ただ悪魔はそんなに魔素を使った感じをしていない。なんでだ? 何か裏があるぞ。


「マジックー!! ボルトー!!」


 かなりの魔素をつぎ込んだ一撃を放つ。が、そもそもの強さがないマジックボルトが形成された。これはおかしい。相手が強くなって、こっちが弱くなる魔法でもかかっているのか?


「こんなカスな魔法じゃ話にならねぇぞ、おらぁ!!」


 悪魔が一瞬で私に近づきボディブローを放つ。吹き飛ばされる私。

 思い切り飛んだ私は、神獣の体で受け止められた。


「神獣さん、あなたも戦っているのね。私負けないから!」


幾度も悪魔に立ち向かうがそのたびに跳ね返され、強烈な反撃で命が削られていく。


「わたしのちからじゃ、あくまに、かてないのかな」

「そうなんだよどちくしょー! 空間使いの俺様に勝てるやつなんざいねえ、おれはもっとうえ――」


 空間使い? それはつまり……!


「原因は空間そのものかああぁぁぁぁ!!!!」


 ただの叫び、ただの聖女力の暴走。

 それが空間とぶつかる!

 ほぼ全ての魔素を込めたその暴走は、空間を引き裂くのには十分すぎるほどであった。


 闇が取り払われ、お日様が再来する。


「なんだこのアマ!? 俺の空間制御魔法を!?」


「ふざけたことしてるんじゃねえええええ!!」


 勇者としての力が悪魔に怒りを向ける。


「うおおおおおお!!」


 一気に距離を詰め、体力を込めた花草水月の一撃を悪魔に与える。


「ごわぁ! なんだこ……傷が……回……しねえ。いち……ひく」


 悪魔はばばっと羽根を出し、空中へ逃げ去る。


「なんとぉぉ!!」


 私は足下の空気を固め、それを蹴って追いすがる!!


「なん……だと……」


「おりゃあぁ!!」


 私は全ての体力を花草水月に込めると、両手で持って一気に悪魔へ振り落とした。


 最後の言葉もなく、二つに割れて消え去っていく悪魔。


「おわった……。でも私もおわった……。落ちたらさすがの私も死ぬよねえ……」


 追いすがるうちにかなりの高さまで上昇していた。

 ただ、死への恐怖というよりは充実感に満ちあふれていた。

 私もお母様みたくなれたかな。


『お嬢ー!!』


 凄い声の念話が私に届くと、神獣が私を優しく咬み、一緒に落下。

 神獣はその体と完璧な着地行動で勢いを殺しきり、私を落下死から守ってくれたのだ。



「ありがとうしんじゅうさん、ちょっとつかれきったからねるね。こやに……おいて……よろ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る