第5夜 「祭り」の始まり

 両の手をポケットから出し、脇を締めて拳を身体の前へ。右の拳を顎のあたりにつけ、左の拳を少し下げる。キックボクシングかフルコンタクト空手みたいな構えだけど――



「……ようやく本気、ってとこかいな」



 ネビロスはまた、両の手の広げて立った。そうだ――相手は悪魔ネビロス。“栄光の手”で縦横無尽に攻撃を仕掛けてくる上、打撃が通用しないのだ。格闘技のスキル程度でなんとかなる相手とも思えない。


 それでも――僕はジェイの姿を見る。この妙な男を見ていると、なにかわくわくするのは、なぜだろう? 「ブラストヘッズ」も「アークライト」もまとめて叩き潰すなんて豪語する無茶苦茶な男なのに――



「あんたがどうワイより強いのか……見せてもらうでぇっ!!」



 ネビロスが叫ぶとともに、両の手を宙にかざす――と、10本の指が伸びて空を奔り、複雑に弧を描きながらジェイに襲い掛かる!



「……ふん」



 と、次の瞬間、ジェイが動く――飛び交う指先の中を稲妻のごとく、駆ける! 何発か、その身体に指先が刺さるものの、まったく気にすることなく、一直線にネビロスの元へ――



「おおるあぁぁっ!」



 勢いのままに、ジェイが繰り出す右ストレートが、再びネビロスの顔を捉える――!



 ――バフッ



 結果はさっきと同じだった。ネビロスの顔が紐状にほどけ、ジェイのパンチはただそれを散らすだけの無為なものとなる。



「だめだ、やっぱり打撃じゃ……」



 シモンが言った。しかし――



「おおおおおおっ!!!」



 雄叫びが響き、それと共に繰り出される無数のパンチ。ジェイは紐によって打撃が通じないのにも構わず、ネビロスに連打ラッシュを叩きこむ!



 ――バババババッ!



 だがそれも結果は同じだ。ジェイのパンチはネビロスの前身を貫き、そして当たった箇所がどんどん紐状になっていく。



「無駄やってわからんのかいな。このゴリラが」



 半分吹き飛んだ顔のまま、ネビロスが言った。そして――



 ――しゅるるっ



 ジェイに叩かれて紐状になったネビロスの身体が、渦を巻くように動いた。それは一斉に、ジェイの周囲を旋回して竜巻を作り出し――



 ――ビシッ!



 そのまま、渦の中央にいたジェイに巻き付く!



ジェイ!」



 僕は叫んだ。紐はジェイの両腕を封じ、さらにその首にも食い込んでいる。



「……終わりや、人間」



 どこからか、ネビロスの声が響いた。柔和な関西弁の中に響く、恐ろしく冷酷な響き。まずい、ネビロスは躊躇なくジェイを殺す――! 



「……



 その時、響いた声が誰のものか、一瞬僕にはわからなかった。捕まえた? 誰が、誰を? ネビロスの声ではない。ならばそれは――ジェイのものだ。



「なんやて?」



 思わず訊き返すネビロスの声。ネビロスだけでなく、その戦いを見守る僕らも同じ気持ちだった。全員の視線が突き刺さるその先で、ジェイは首に何重にも巻き付いた紐に、手をかける――



「……ぅぉおおるあぁぁぁぁぁっ!!!!」



 裂帛の叫び。それと共に、ジェイはその両腕を思い切り広げ――首に巻き付いたネビロスを、ひと息に引き千切る!



「……ぐばっ!?」



 たまらず、ネビロスの紐はほどけて散ろうとする、しかし――



「おおっと、まだだぜ!」



  ジェイは紐の束を手にしたまま、その両腕をぶんぶんと振り回す。そして紐をさらに、その手の中に束にして――



「どるあァァァっ!」



 それを一気にねじる!



「ぐぃああぁっ!?」



 ネビロスの悲鳴が辺りに響いた。そして、ジェイの手にした紐の束は、そのまま形を成し、ネビロスの腕となる。そしてネビロス自身もその腕の先に、姿を現す。



「ぞ……雑巾絞り……?」



 そう、それはまさしく雑巾絞り――小学生のころ、同級生の腕を両手でつかみ、ぞうきんを絞るようにして皮膚をねじったあれだ。罰ゲームでよくやった。



「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」



 ネビロスはその糸目は開いて身悶えした。地面さえも穿つあの紐を、まとめて引き千切る怪力が、全力で仕掛ける雑巾絞り――想像するだけで鳥肌が立つ。



「痛いじゃねぇよ! お前は首を絞めたクセに!」


「わーった! わーったって、悪かった!」


「うるせぇ! 許すか!」


「うぎゃぎゃぎゃぎゃ!」



 執拗に腕を絞り上げられ、悲鳴をあげるネビロス。その様子を見守る僕ら――なんだこれ。超人同士の死闘が、一気にスケールダウンしちゃったな。



「わーった! ワイの負けや! 負け! だから放して!」



 ネビロスが手足をじたばたとさせながら懇願すると、ジェイはようやく、その腕を離した。



「……おーいた。まったく、馬鹿力が……」



 ネビロスが腕をさすりながら言った。



「まあでも、どうやらあんた、本物ホンモンやな」



 ネビロスはそう言ってニカッと笑う。そしてその場からくるっと振り向き、ジェイに背を向けた。



「じゃ、そーゆーことで」


「……は?」



 「ブラストヘッズ」と「アークライト」のメンバーたちがハモる。



「……ちょ、ちょっとネビロスさん! どこ行くんすか!?」



 一瞬遅れ、慌てた半モヒカン男がネビロスに追いすがる。



「は? 帰るんやけど」


「いや、だって! あいつぶっ潰すんじゃないんです!?」


「いやーなんかあいつ強いからやめとくわ。ほな」


「ほなって! それじゃパズス様の命令は!?」


「いや、ワイは元々パズス様の命令で動いとらんしな。それに……」



 ネビロスはジェイの方を振り返る。



「ワイはパズスの旦那が好きやが、こいつも好きや。だから二人が戦う方がおもろいわ」


「んなッ……!」



 口をあんぐりとあけた半モヒカンと「ブラストヘッズ」の連中を尻目に、ネビロスはジェイに向かって声を投げかける。



「そういうわけや、ジェイはん。パズスの旦那は『シルバー』ってクラブにおるはずや。健闘を祈るでぇ」


「ちょ……! そんなことまで……」


「それと、もうひとつ」



 ネビロスはジェイに向かい指を突きつける。



「そのクラブには『エイ』がおる。行った方がええんちゃうか?」


「…………!」



 それまで、余裕の笑みを浮かべていたジェイの顔が、瞬時に変わったのを僕は見た。



「……そうか、じゃあ行かないわけにはいかないな」



 次の瞬間には、もう元のジェイの顔に戻っていた。ネビロスは手をひらひらとさせながらさっさと行ってしまった。



「お、おい! パズス様に連絡を取れ!」



 半モヒカンとブラストヘッズのメンバーたちは、ネビロスを追うように慌てて撤退していく。あとに残された形の僕らは半ば呆気にとられ、その姿を見送った。



「さて……」



 ジェイは帽子を取り、膝を払う。



「ユート、その『シルバー』ってクラブはどこにある?」


「…………!」



 帽子を被り直したジェイに向かって、僕は頷く。



「案内するよ、ジェイ


「すまねえな。今度は俺が牛丼奢るからよ」



 ジェイはそう言って笑った。僕も笑った。なぜだろう、この無茶苦茶な男を見ていると、なにか大きな予感が背中を這いあがってくるような気がするんだ。



「……俺も行く」



 僕の後ろから、そう言って進み出た者がいた。シモン――もしかしたら僕と同じ思いだったのかもしれない。



「パズスを倒し、『ブラストヘッズ』を潰す絶好の機会チャンスだ。逃す手はねぇ」



 シモンの後ろから、他のメンバーも「おう!」と声を挙げる。



「俺はお前らのチームも潰すって言ったぜ?」



 ジェイはシモンに向き直る。



「そうだな。だが、今じゃない、そうだろ?」


「……幸いある日を楽しみ、災いある日は考えろ、だな」



 ジェイはニヤリと笑う。



「なりふり構わず行くのは嫌いじゃねぇよ。ま、俺は勝手にやるからお前らも勝手にするといい」


「ああ、そのつもりだ」



 そう言ってシモンは振り返り、アークライトのメンバーに向け叫ぶ。



「招集だ! 全員で『ブラストヘッズ』を潰す!」


「おおおおおっ!!」



 雄叫びをあげる男たちを帽子の鍔の奥から眺め、ジェイは振り向いた。



「……行こうか。祭りの場へよ」



 パズスの本拠地に向かい、僕らは動き出した。


 * * *


「……ネビロスめ。喰えねぇとは思ってたが……」



 「シルバー」のVIPルームで、パズスは頬杖をついていた。先ほど入った連絡。オーガを倒したという帽子の男と、ネビロスの交戦。もともと、ネビロスのことをそれほど信用していたわけではない。ただ、あいつが俺のために働きたいというから自由にさせていただけのことだ。



「やっぱり男は信用できないな?」



 パズスはそう言ってグラスを手に取り、傍らの少女に話しかける。



「……ええ、パズス様」



 少女はあどけなさの残るその顔に、なんの表情も浮かべることなく、長いまつ毛の下の大きな瞳をパズスに向けた。



「全ては《聖杯》の御心です」


「ふふ……」



 パズスはグラスを煽り切れ長の目を細める。



「《聖杯》なんてどうでもいいさ。お前がここにいてくれるならね……だから」



 パズスはグラスを置き、少女の肩に手を回した。



「邪魔する奴は、全員殺すだけさ」


「…………」



 人形のような少女の顔を、パズスのピアスに反射するレーザー照明が照らしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る