第4夜 「栄光の手」のネビロス

 繁華街の中に、ちょっとした広場のようになった場所があった。大通りからは死角となり、大人数が集まれるような場所――つまり、には持って来い、ってわけだ。


 広場の真ん中に、ジェイと「栄光の手」ネビロスが向かい合って立つ。その周りに、「アークライト」と「ブラストヘッズ」のメンバーが取り囲むその中に、僕もいた。



「すまんなぁ、わざわざこんなところに来てもろて」



 ネビロスがその細い眉をハの字に動かしながら言った。その表情は本当にすまなそうに見えるけど――でもこの人はストリートにその名を轟かせる存在だ。


 栄光の手の悪魔ネビロス――高度に組織化され、ピラミッド状に統制された「ブラストヘッズ」において、唯一、パズスから自由な行動を許された男。誰にも命令されず、自らの意志で動き、パズスの敵になる相手の前に現れ、潰す――夜のストリートに集まる不良少年たちからは「首輪のない番犬」として知られる、パズスの懐刀だった。



「なにしろ、人とゆっくり話をするのに牛丼屋っちゅーのも、ほら、アレやろ?」

 

「俺は別に構わないけどな」


「そうはいかん。あんたはパズスの旦那の客人やからな」



 慇懃に振舞ってはいるが、パズスでさえ一目置くその実力はどれほどか――なにしろ、ネビロスに襲われた者は二度とストリートには戻らないと言われているのだ。この男がどんな力を持っているのか、知る者はいないという。


 僕は傍らに立っているシモンの顔を見る。その顔は険しく、二人の様子を見つめていた――あのオーガを一撃でKOしたジェイが、「ブラストヘッズ」との抗争でキーマンになると見ているのだろう。しかし、ジェイは「両方を潰す」と宣言した――それがこうして、パズスの側近ネビロスと二人で向かい合っているのだから。


 

「一応訊いておくで、ジェイはん。ブラストヘッズに加担する気はないんやな?」


「まあね」


「ほなら、そっちのアークライトも両方潰す、ってのも本気なんか?」


「……ああ」



 この状況に至っても、ジェイは不敵な姿を崩さない。背はネビロスの方が高いが、均整の取れたジェイの立ち姿を、僕は美しいと感じた。



「……なんでそんなことをするんや?」



 ネビロスの問いに、ジェイはふっと笑って答える。



「例えば、雨が降ったり、地震が起こったり……疫病が流行ったりすることに、どんな意味があると思う? それと同じさ」


「なんやて?」


「……ま、強いて俺個人の意見を言うなら、そうだな……」

 


 ジェイは目深に被っていた帽子の鍔を上げ、言う。



「偉そうなやつをぶっ倒すのが俺の趣味だからだ」


「……!!」



 ジェイの涼し気な目元が、凶悪な光を放ったのを僕は見た。



(危ないヤツだ……!)



 どうも僕は、ヤバいやつに牛丼を奢ってしまったのかもしれない――



「……クックックッ、趣味かぁ。そらしゃーないなぁ。趣味やもんなぁ」



 ドン引きする一同の中で、ネビロスだけが楽しそうに笑っていた。



「なあジェイはん、ワイの仕事はあんたをパズスはんのとこへ連れてくことや」


「行かねぇけどな」


「そうやろなぁ……」



 ネビロスはこめかみをぽりぽりと掻き、糸目をさらに細めた。



「ま、ワイにはどうでもいいことや」


「……な……ッ!? ネビロスさん!?」



 半モヒカンが身を乗り出した。ネビロスはそちらに向かい、手をひらひらとさせる。



「ワイはパズスの旦那に忠誠を誓っとるわけやない。ただ、あのお方が好きだからそのために働いとんのや」



 そう言って、ネビロスは再びジェイに向き直った。そして両方の手のひらを見せるようにして、その長い腕を広げてみせる。



「だから、ジェイはん。あんたが言うことを聞かないのは、まぁ、仕方ないわ。けどな……パズスの旦那の敵に回るんなら……」



 ――その時、ジェイが不意に身を捻った。街灯に照らされる光の中を、なにか鋭いものが奔り――一瞬前に、ジェイが存在していた空間を斬り裂くのが見えた。



「なんだ!?」



 観衆ギャラリーがどよめく。ネビロスは一歩も動いていない――しかし、それは紛れもなくネビロスのジェイに対する攻撃だった。



「見過ごすわけにはいかんのや。すまんなぁ、ジェイはん」



 手のひらを正面に向け、広げたネビロスの両手――そこから生える10本の指が、細く、長く――紐のように伸び、ジェイに襲い掛かっていた。



 ――シュルシュルッ



 音を立て、その紐――ネビロスの指先は弧を描き、渦を巻いてネビロスの周囲を踊る。



「ワイはネビロス……栄光の手ハンズ・オブ・グローリーのネビロス。その命、いただくでぇ、ジェイ!」



 その声と共に、長く伸びた“指先”が螺旋を描く――!



 ――ドドドドドッ!



「どわわわっ!?」



 紐の先端が、頭上から降り注ぎ地面を抉った。広範囲に降り注ぐその指先は、ジェイの後ろ側にいた僕らも巻き込む。幸い、誰にも命中はしなかったが、着弾した地面に小さなクレーターができるほどの威力。こんなのが頭にでも命中したら――!



ジェイは……!?」



 僕は逃げた先から顔を上げ、ジェイの様子を見る。しかし――僕の目に飛び込んできたのは、手をポケットに突っこんだまま、微動だにせず立っているジェイの姿だった。



「よけようともしてない!?」


「いや……違うな、見ろ」



 僕と一緒に逃げていたシモンが言い、指さす先――ジェイの半歩隣に、小さなクレーターが穿たれている。



「軌道を見切り、最小限の動きであれをかわす……やっぱりあいつ、ただモンじゃねぇ」



 シモンと僕の視線の先で、ジェイが不敵に立ち、そのさらに先でネビロスが吼える。



「自分、ムカつくなぁ! その余裕なツラァ、穴だらけにしてやりとうなるわ!」



 その声と共に、今度は10本の指先が大きな弧を描き、四方八方からジェイに襲い掛かる。



 ――ヴァッ!



 逃げ場はない――と、そう見えた。でも次の瞬間、10本の指先は虚空を貫き、ジェイはハンドポケットのまま、わずかな動きでそれをかわしていた。



「……必ず道はあるもんだ。希望が絶たれることはねぇ」



 ジェイはそう呟き――次の瞬間、ネビロスの目の前に立っていた。



「速……ッ!」



 まるで絹のように、無駄のない滑らかな動き。走り出した瞬間さえみせず、しかも依然としてハンドポケットのまま、ジェイは一瞬でネビロスとの間合いを詰めたのだ。



「おおぉるぁっ!!」



 そしてそのまま、気合と共に繰り出す上段廻し蹴りハイキック――オーガを一撃で倒したあの蹴り――



「……フン」



 ――しゅるっ



 と、ネビロスの顔が



「……なっ!?」



 柔和な表情を浮かべていたネビロスの顔が、無数の紐となって分解する――紐の束がふわりとキックをいなし、ジェイの蹴り脚はそのまま、虚空を通過して地に落ちた。



「……なんちゅうか、言葉のアヤっちゅうヤツ? “栄光の手”つーても、実は手だけじゃのうてなぁ」



 別の場所から、声がする。散った紐がしゅるしゅるとそこで渦を巻き、ひと塊になって人間の形を作っていき――そしてその中に顔が生まれ、それが笑った。



「……なんてやつだ……打撃じゃ倒せないのか……?」



 シモンが息を呑んだ。そうか――あの時、牛丼屋にいつの間にか姿を現したのも、全身を紐と化して自由に移動できるから――!



「すまんな、ジェイはん……あんたが強いのはよくわかるけん、ただの人間にワイは倒せへんよ」



 人間の姿を取り戻したネビロスが、心底すまなそうな顔で言った。喰えないやつだ――申し訳ないなんて微塵も思っていないクセに。


 しかし、こんな化け物を相手にいったい、ジェイはどうするつもりだろう? 僕は対峙するジェイを見る。ジェイは相変わらずハンドポケットのまま、帽子の鍔の奥から瞳を覗かせた。



「……俺がただの人間だとでも?」


「ほう?」



 眉を動かすネビロス。ジェイはそちらに向き直る。



「残念だが、俺はただの人間じゃねえよ。だ」



 そう言ってジェイは両の手をポケットから出し、ボクシングのようなポーズで目の前に構えた。

 

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