第3夜 「求めよ、されば与えられん」

 帽子を被った奇妙な男が牛丼を食べるカウンター席。その隣に僕が座り、僕らを挟んで左右に、ガラの悪い男たちが数人ずつ。そう広くはない牛丼屋のスペースに隙間なく詰め込まれた緊迫感。


 それぞれ、ここで牛丼を食べている帽子の男・ジェイに用があって来たのは間違いないはずだ。しかし――片やこの街の最大勢力で、周囲のグループに抗争を仕掛け傘下に収めまくっている武闘派集団「ブラストヘッズ」。片や、その武闘派勢力に反発するグループたちの旗手「アークライト」。しかも、「アークライト」はボスであるシモンが自ら出張っているのだ。併せて10人を超える不良たちが足を止め、にらみ合い――その真ん中にいる人間の気持ちって、想像つくだろうか?


 敵対する2つのグループは、まるで先に声を発したら負けだとでも言うように、無言でひたすら、にらみ合っていた。店内の客や店員も、その空気に呑まれて会計を言い出すこともできずにいた。



「し……シモンさん!」



 沈黙を破ったのは、まさかの僕だ。だって仕方ないだろう――視線がぶつかり合って火花を散らすその場所にいてみればいいと思う。



「僕、そこのイリヤの友達で……さっきイリヤは僕を助けようとしてくれて!」


「……ああ」



 曖昧に頷くシモンに、なぜか僕はまくし立てる。



「あ、それで、こいつはジェイ! こいつすごくて! ほら、そっちのブラストヘッズの、オーガってやつを一撃で倒しちゃって……」



 ――そこまで言って、僕は「あっ」となり口を閉じた。振り返って見ると、ブラストヘッズの側の男たちのこめかみがぴくぴくと動いている。




「……仲間が世話になったな」



 シモンが一歩、前に進み出て言った。言われた方のジェイは「ん」とだけ答え、湯呑のお茶を飲んでいる。シモンは無表情にそれを見つめていたが、その引き締まった唇をもう一度、開く。



「話がある。一緒に来てもらえるか」


「……おっと、こっちの話を先にさせてもらおうか」



 反対側から声がかかる。側頭部を剃り上げた半モヒカン頭の男がシモンに向かい、口を開いていた。



ジェイって言ったな。パズス様がお呼びだ。一緒に来い」



 パズス――その名前を聞いた瞬間、シモンたちアークライトのメンバーたちに空気が張り詰めたのがわかった。それはそうだ――その名は僕でも知ってる。このストリートを恐怖と暴力で支配する「ブラストヘッズ」のボス、大悪魔パズス――!



「嫌とは言わせねぇ。わかるだろ?」



 半モヒカン男がジェイに詰め寄った。それはそうだ――パズス直々の命令に、逆らえるわけがない。そういえば、この半モヒカン男の顔にもなんだか、焦りと恐怖の色が浮かんでいるようだ――



「……そうは行かない。こっちの用事もあるんだ」



 シモンが進み出て、半モヒカン男を制する。



「ああん? 雑魚チームのリーダーさんは引っ込んでろよ」



 シモンは半モヒカン男の言葉を無視し、ジェイに語り掛ける。



「……単刀直入に言うぜ、ジェイ。うちのチームに入れ。こいつらをぶっ潰すためにな」


「……!」



 それは突然の宣戦布告だった。ブラストヘッズの側が身構えるのに構わず、シモンは続ける。



「俺はこのストリートから、悪魔パズスを追い出す。そのためには、この街の力を統一しなきゃなんねぇ。お前の力がいる、ジェイ。だから俺と来い」



 シモンは一気にそう言い切った。自身に溢れ、確信に満ちた態度と声。しかし――僕はそれを見ながら、なにか冷たいものが背中を這うのを感じていた。前々から噂にはあったことだ。「アークライト」が中核となり、反「ブラストヘッズ」の連合を作ろうとしている――しかし、そんなことになったらこのストリートは全面戦争だ。まさか、それが現実に――しかも、当のブラストヘッズの目の前で、堂々と――


 半モヒカン男が口を開く。



「雑魚が粋がるのは嫌いじゃねぇぜ、シモン? だがな……」



 半モヒカン男はシモンを睨み返し、不敵に笑う。



「残念ながらこいつは俺と来るんだ。パズス様の元で、お前らバカな雑魚グループ共を潰すのさ」


「……な……ッ!?」



 今度は「アークライト」の側がざわめく。まさか、自分たちのところのオーガを倒した相手に報復するのでなく、仲間に引き入れようっていうのか――


 半モヒカンの男は座ったままのジェイに目線を合わせ、声をかける。



ブラストヘッズうちはいいぜぇ? パズス様の側近になりゃ、女も金も思いのままだ。お前の好きに暴れりゃいい。誰も止めはしねぇし、意志だの秩序だの、ダセェことも押し付けやしねぇぜ?」


「…………」



 ジェイは黙って箸を置き、またお茶を飲んだ。丼の中が米粒ひとつなく、きれいになっているのを僕は見た。意外ときっちりしてるんだな――



「……ジェイ。お前がブラストヘッズ

にたかる蠅になるなら、その時は俺たちがお前を潰す。全力でな」



 シモンが言った。ジェイに向けたその目には強い光が宿っている――しかし、半モヒカンの男はそれに構わず、続ける。



「なあジェイ。どっちを敵に回すのが怖ぇか、どっちが得か……言わなくてもわかるだろうなぁ?」



 ブラストヘッズのメンバーが揃って、ジェイとシモンたちに睨みを利かせた。「アークライト」のメンバーも負けじと睨み返し、僕は自分の周りの温度が3℃くらい、にわかに上がったような気がした。


 僕はカウンターの中にいるリイナを見た。リイナは固唾を飲んでこちらを見守っていた。他の店員たちも、おろおろとしながらその場を動けずにいる。そりゃそうだ――喧嘩自慢の不良が10人、店の中で一触即発なのだ。慌てて店を出て行く他の客もいた。僕はその様子を見ながら、(あ、あいつ食い逃げだ)なんて他人事のように思っていたりした――



 ――トン



 火花を散らす2つのグループの真ん中で、軽やかな音がした。


 それは、軽い音だったにも関わず、店中の視線を集め――そしてその場にいた人々は皆、それが湯呑をカウンターに置いた音だと知る。



「……求めよ。そうすれば与えられる」



 ジェイが静かに言ったその声も、その時その場にいた全員がはっきりと聞いた。あとになって聞いた話だけど、その時店の外にいた人までも、ジェイのこの言葉を聞いたと主張している。



「いいぜ。お前らに力を貸してやる。俺は人の頼みは断れない性分だからな」



 その言葉を聞いた僕らは、おそらくまったく同じ感想を同時に抱いたはずだ。すなわち――「どっちだ?」って。でも、ジェイはそんなことに構わず立ち上がった。



「俺たちにつくんだな?」



 先に言ったのは「ブラストヘッズ」の半モヒカンだった。間髪入れず、シモンが口を開く。



「いや、こっちだ。こいつは俺たちと一緒に、お前たちと……」


「両方だ」



 シモンの声をジェイのその言葉が遮った。



「なに……?」



 訝るシモンと半モヒカンの間で、ジェイは帽子の鍔を跳ね上げ、その目を見開いた。



「両方だよ。


「…………ッ!!」



 戦慄が走る、というのはまさにこのことを言うのだろう。「ブラストヘッズ」と「アークライト」、ストリートを仕切る大勢力の間で、両方に向かっての宣戦布告――


 その時、僕らは気がついた。シモンも、半モヒカン男も気がついていただろう。10人に囲まれたこの状況で、既に戦闘態勢に入っているジェイの、身体から放たれる異様な迫力。優雅とさえ言える立ち姿――!



(先に動いたら、やられる!)



 その場にいた全員がそう思ったはずだ。その引き締まった身体に力が漲り、脊髄が戦闘に備える音がまさに聞こえてくるかのような、まさに圧倒的な存在感――オーガを一撃で倒したあの蹴りが今にも放たれ、そしてそこから逃れることは誰にもできはしない。そう確信させる、圧倒的な存在感。この場にいる全員を、本当にひとりで敵に回し、そして圧倒するだろうという、確信めいた確かな予感に背筋が凍る――



「……その辺にしとき、帽子の人?」



 店内を破裂させそうなほど膨れ上がったジェイの殺気が、ふっと散って消えた。



「……!?」



 まるでスポンジのように柔らかい声――その主が、そこにいた。いや、でもまさか――いつの間に、ジェイの隣の席に?


 僕はシモンを見る。半モヒカンを見る。両方とも、驚いた顔のまま固まっている。リイナを見る。僕と目の合ったリイナは、首を左右にぶんぶんと振った。そうだ、確かにさっきまで、この男はここにいなかった――



「……ネビロスさん!」



 半モヒカンの男が放った声に、その男は片手をあげて応じる。華奢な身体に、糸のような目。天を突くように逆立てた金髪に、その柔和な表情が不思議な印象を残す革ジャケットの男。だが、僕の知り限りじゃ、ネビロスと言ったら、それは――



「……どーも、ジェイはん。わてはネビロス……『ブラストヘッズ』じゃあ“栄光の手のネビロス”として通ってる男や」



 そこにいつの間にか現れた――いや、いつの間にか男、ネビロスはそう言って、手につまんだ紅ショウガを長い舌の上に乗せ、笑った。

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