第2夜 「悪魔」の蠢動

「帽子の男……?」


「は、ハイ!」



 天井が高く派手なライトアップがされた広いフロアの中に、設えられたVIPルームの床に金髪の男が座っていた。その正面には、左右に女を侍らせた髪の短い男が座っている。決して大柄ではないが、引き締まった身体つきと細い目が印象的な美青年だ。レーザー照明がピアスに乱反射し、床に光が散乱していた。



「オーガが一撃でそいつにやられたって、ねぇ……」



 髪の短い男は手にしたグラスを煽り、言った。重低音の効いたEDMが鳴り響くクラブの中なのに、呟くようなその声ははっきりと、金髪の男に聞こえる。



「……で、カネダさあ……お前は一体なにをしてたの? 」


「あ、えっと、オーガを助けて連れて帰って、ソノ……」


「そういうことじゃねぇよ」



 射すくめられるような視線を向けられ、金髪の男――カネダは胃の底に氷の塊を押し付けられたような気がした。



「ど、どういうことですカ……パズスさん……?」


「いやさぁ、知ってんだよねオレ。お前がクスリ売ってんの。バイブス・タブとか言ったっけ?」


「……へ!?」



 「パズス」と呼ばれた髪の短い男は、女の肩を抱いていた腕を離して身を乗り出す。



「『ブラストヘッズ』のシノギじゃねぇだろ、それ? どこから仕入れた?」


「あ、いや、その……」


「言えねぇってわけだな」



 パズスは淡々と言い、カネダに向かって手のひらをかざす――



「……んあ……ぃひゃっ………!?」



 と、カネダの顔がみるみる赤くなり、その表面が乾燥していく――金髪に染めた髪がちりちりと焦げ、カネダは両手で泳ぐように苦しみ出した。



「あ! ぁっイ! ひ……息が……ぐべッ!?」



 熱波に揺らぐ空気の向こう側で、カネダの皮膚に水膨れのようなものが浮き上がり、身につけた服が変色する。吸い込む息ごとに肺が灼け、カネダは激しく咳き込んだ。いくら悶えようとも熱波から逃れることはできず、苦しみに溢れ出た涙も涎も、瞬く間に蒸発していく――



「……くはァ……ッ!?」



 不意に、熱波の戒めは消え去ってカネダは床に突っ伏した。



「命は助けてやるよ。だがお前は追放だ。今度ブラストヘッズうちの連中に会ったらフクロじゃすまねぇと思えよ」


「……ぁ……あざ、す……」



 そう言ってカネダは、這うようにVIPルームを出て行った。



「クスリはダメだよな。女の肌が荒れちまう」



 そう言ってパズスは、隣に座っていた少女の肩に再び腕をまわす。



「オレはお前たち女が輝く街を作るために『ブラストヘッズ』を作った。男は女を守るために戦うものだからな。わかるだろ?」


「……はい、パズス様」



 少女がそう言ってパズスに笑い返す。反対側に座っていた女がパズスのグラスに酒を注ぎ、パズスはそれを口に運んで一気に煽った。



「……あんたはどうする?」



 グラスをテーブルに置いたパズスが、反対側のソファに座った男に声をかけた。黙って飲んでいた男の太い眉がぴくりと動く。



「……どうもしない。そいつに『資格』があるならいずれ相まみえるだろう」



 ウィスキーのグラスを口から離し、太い眉の男は言った。無表情さがその陶器のような肌がさらに無機質に見せ、漆黒の髪は照明の光を呑み込むようでさえあった。



「相変わらずだね、アモン。俺とは相まみえないのかい?」


「……時期というのは俺の知るところではない」


「ああ、そう」



 アモン、と呼ばれた男は、武骨な表情を崩さず、静かに目を閉じた。パズスは肩をすくめ、近くにいた男を呼ぶ。



「その帽子の男、連れて来い。『ブラストヘッズ』が舐められるわけにいかねぇからな」


「はい……」



 革のジャケットを着たその男は一礼してフロアを出て行った。パズスは黒服を呼び、シャンパンを持ってくるように告げる。



「この街はこのオレ、大悪魔パズス様のものだぜ。神でも魔神でも、女たちに手を出せやしねえ」



 そう言ってパズスは、隣に座った女の耳に口づけた。女がくすぐったがって笑う隣で、アモンはウィスキーのグラスを静かに傾けていた。


 * * *


「この人が、あのオーガを倒したって? 一発で?」



 牛丼屋の制服を着たリイナが目を丸くする。しかしそのあと、その目はすぐにジト目に変わって僕に向けられた。



「どうかなー、ユート君の話ってたまに大げさだからなぁ」


「嘘じゃないって! イリヤ君も一緒に見たんだから!」


「ふーん。まあ、イリヤ君が言うなら信じてもいいけど」


「なんだよそれ」



 僕が不貞腐れた顔をして見せると、リイナは一転してコロコロと笑った。明るい茶髪のボブヘアーが揺れ、周囲の空気が華やいだように見えた。この笑顔を武器に、この少女――リイナはこの街のあちこちでバイトをしている。巷では「3人くらいいるらしい」と噂されているある意味での有名人だ。牛丼と聞いてこの店にやってきたのに、リイナが今日シフトに入っているのを期待しなかったと言えば嘘になる。



「でもユート君を助けてくれたのは本当みたいね。ありがとうお兄さん」


「ん、別に」



 帽子の男は僕の隣で、特盛の牛丼に紅ショウガを山ほど乗せている真っ最中だった。どうやら、積み重ねた紅ショウガが崩れないようにバランスを取っているらしい。イリヤは一緒には来ておらず、どこかに行ってしまった。



「で、お兄さん、名前は?」


「あ」



 リイナの問いかけに一瞬、気を取られたその瞬間に紅ショウガのタワーが崩れ、帽子の男の視線はリイナの顔と牛丼とを行き来する。



「……なんかごめん」


「あ、いや……」



 帽子の男は頭をぽりぽりと掻いた。



ジェイだ」


「……え?」


「名前。ジェイって呼んで」


「ジェイ……」



 変なやつだな、と僕は思いながら帽子を被った横顔を見ていた。まあ、あだ名やハンドルネームを名乗るのは夜のストリートじゃよくあることだけど――



「わかった、よろしくねジェイ!」


「なんでいきなり呼び捨てなの?」



 僕が突っ込むと、リイナは困ったような顔になる。



「だって、J君、っていうのも語呂悪いし、Jさんっていうのもなんか……」


「いいよ、呼び捨てで」



 ジェイはそう言って僕らにニカッと笑った。



「……じゃあ俺も。さっきはありがとね、ジェイ


「別に。あいつらがなんか気に入らなかっただけだよ」



 そう言ってジェイは牛丼をかきこみ出した。



「でも大丈夫なの? 『ブラストヘッズ』に喧嘩なんか売って……」


「なんだい、それ」



 リイナが心配そうな顔で言うのに、ジェイは丼から顔を上げて訊き返す。僕は横から、そこに口を挟んだ。



ジェイはこの辺、あんまり詳しくないんだね。『ブラストヘッズ』ってのはこの辺りのグループじゃ最大勢力なんだ。さっきの金髪男と、オーガもそこの幹部メンバーでさ」


「へえ」


「イリヤ君は別のグループ……『アークライト』ってとこのメンバーでさ。それで目をつけられてたんだ。『ブラストヘッズ』のボスは他のグループが存在することを一切許さないっていうキレたやつらしくて……」


「……お前は?」


「え?」



 話の途中で不意に挟まれた質問。牛丼を頬張りながら、ジェイをこちらに問いかける。



「お前はどこかのメンバーなの?」


「……いや、僕はどこのメンバーでもないよ」


「そっか。ならよかった」



 ジェイはまたニカッと笑い、牛丼へと意識を戻した。僕はその横顔に向け、話を続けることにする。



「『ブラストヘッズ』のリーダーが何者かは誰も知らないんだ。だけど噂じゃ、平気で人を殺す悪魔のようなやつで……しかも、超能力まで使うとかって」


「ぶははは! 超能力か。そりゃいいな」



 ジェイは笑い、お茶を口に含んだ。



「この街にはそんな怪しいやつらが他にもいるのかい?」


「いやぁどうだろ。まあ、喧嘩が強いって噂のやつは結構いるけど……そう、それこそ『アークライト』のリーダーなんか……」



 ――と、その時、牛丼屋の自動ドアが開き、何人かの男たちが店に入ってきた。



「いらっしゃいませ……」



 店員の顔に戻ったリイナがそちらに声をかけた瞬間「あっ」と小さく叫ぶ。僕がそちらを見ると、そこに立っていたのは背の高い長髪の男――ロング丈のアウターに身を包んだ細身の美丈夫だった。



「シモンさん……!?」



 その男こそ、『アークライト』のリーダー・シモン――ストリートダンスチームとして集まった仲間を守るために抗争の矢面に立ち、街で一目置かれて他のグループからも警戒される人物だ。その後ろにはさっき一緒だったイリヤを含め、何人かの仲間を引き連れている。シモンは店内に入るとすぐ、こちらに目を止めた。



「いらっしゃいませー!」



 ――その時、反対側でも自動ドアの開く音がした。この店は出入口が二つあるのだ――「いらっしゃいませ」と店員が声をかけたその方向に目をやった僕は、瞬時にヤバい気配を感じ取る。



「ブラストヘッズ……!」



 反対側の出入り口から入って来たのは、革のジャケットに身を包んだ何人か――「ブラストヘッズ」のエンブレムをジャケットに縫い付けたガラの悪い男たちだった。


 ひたすらに牛丼を食べているジェイを挟んで、この街で敵対する2つのグループが対峙する――どうやら僕は、その真ん中に巻き込まれてしまったみたいだ。

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