第百話 天狗と小珀
狗神のお社。
異世界に通じる抜け穴を塞いだ、『磐座』と呼ばれる苔むした巨岩の上で、その周りに張られた結界を護る、巨大な犬の姿をした御神獣『天狗』は、目を閉じて伏せ、結界の外と内からの侵入者に気を配っていた。
弟子である『小天狗』こと数多が、磐座の抜け穴を使って、小桜の世界に行ってから、一週間ほどが過ぎていた。
途中、異空間である抜け穴を通じて、小天狗と会話はした。
しかし、小天狗が幼い頃から、よほどの悪天候の日以外は、毎日顔を合わせていたせいか、天狗は小天狗と会えないことに、少し寂しさを感じていた。
(ワレにもまだ、そんな感情が残っておるとはの…)
青々とした若葉も育ち、樹々は僅かな木漏れ日以外の陽光を遮っていたが、狗神の森は意外に明るく、そこに小鳥たちのさえずりだけが、穏やかに心地よく、天狗の耳を通り抜けていた。
(師匠、聴こえますか?)
なんの前触れもなく、磐座の結界の向こうから、小天狗の声が天狗の頭に響いた。
天狗は驚きはしたが、小天狗と話せることに喜びを隠せず、小天狗に見えないのをいいことに、左右に大きく尻尾を振り、
(どうした?相談事でも出来たか?)
と、冷静を装いながら、鷹揚に聞いた。
(いえ、今から一旦そっちに戻るんで、磐座の上にいるんなら、場所をあけてもらえませんか?)
小天狗は、サラッと一時帰還の報告をし、天狗の定位置からの移動を要求した。
(今からか⁉︎わかった)
返事と同時に、天狗は立ち上がり、ふわりと磐座から降りた。
天狗は振り返り、今まで自分がいた磐座の上部を見ていると、結界の微細な振動と共に、苔むした磐座の上部は白く発光し、押し上げられるように、光に包まれた繭のようなものが現れた。
その繭のようなものの光は徐々に薄れ、中から小珀を抱き抱えた小天狗が現れ、天狗を見つけて笑顔を見せた。
(師匠、しばらくぶりです!)
一週間ほどなので、しばらくというほどではないのだが、天狗は『小天狗』こと数多の纏った、気の変貌ぶりに驚いた。
(数多…オマエ、どれだけ無茶をして来た?)
(師匠が言ってたみたいに、なんか引きが強くて、あれこれと…)
(抱えておるのは狼の子か?)
(ハイ、こっちでは飼えませんけど、師匠には紹介しておこうと、連れて来ました)
(狼が姿を消して久しいからの、名はあるのか?)
(ハイ、瞳の色から小珀と名付けました)
『小天狗』こと数多は、小珀を下ろし様子を見てみた。
小珀にも天狗の姿は見えているようで、見上げるように顔を上げ、その大きさに少し腰が引けてはいるものの、徐々に天狗に近づくと、寝転がり腹を見せて、敵意がないことを示した。
天狗は小珀の何倍もある顔を、小珀の鼻先に近づけ、数多と話す時とは違った波長の心の声で、何か話しかけているようだったが、数多には理解出来なかった。
(俺だけ仲間外れですか?)
自分にそれが出来るのなら、既に小珀とコミニュケーションが取れているのは理解しているが、やはり疎外感は否めず、数多は口に出して拗ねた。
(ただの同族同士の挨拶で、会話と呼べるものではないから、聞いてもわからぬ)
少なくとも、それで小珀の緊張は解けたようで、天狗に身体をすり寄せながら、その周りをはしゃぎ回っている。
(だがな、コヤツかなり賢いようでな、群れにいれば長となったであろう!共に過ごしておれば、それなりの意思疎通は出来るようになるはずだ)
(そうなんですよ!賢いんですよ!)
(なんだ?もう親バカか?)
天狗と数多が会話しているのを感じ取ったのか、小珀は走り回る足を止めて、両者の顔を交互に見ながら、首を傾げた。
(バカ…?)
いきなり第三者の声が頭の中に響いて、天狗と数多は、その心の声の主である小珀を見た!
(師匠!今のって⁉︎)
(ああ、コヤツの声だ)
最初に話した言葉が、(バカ)だということに気づいて、後で落ち込むことにはなるのだが、数多は小珀との意思疎通の兆しに、テンションが爆上がりした。
(小珀ぅ〜、おまえホントに賢いなぁ小珀ぅ!)
数多は小珀の顔を両手で挟むと、自分の額を小珀の額にすり寄せて、喜びを表現した。
(コ…ハ…ク)
(そう!小珀、おまえの名前だ、小珀!)
(コハク…)
この時点では、数多の言葉を反復しただけだったが、天狗が再び小珀に顔を近づけ、何かを伝えると、
(コハク)
はっきり自分の名前だと、認識したようだった。
(師匠、ありがとうございます!)
(礼には及ばん)
(それでも、ありがとうございます)
(シショ)
天狗を見て小珀が言った。
(ついでにワレのことも、教えておいた!)
(えっ⁉︎俺のことは?)
(知らん、自分で努力して覚えてもらえ)
(え〜っ⁉︎)
数多は不満顔であるが、実際の所は、天狗は『数多』か『小天狗』かで迷い、小珀を混乱させないために教えなかったのである。
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