第九十話 丘陵で

王都を目指した小天狗は、一時間ほど飛行を続けたが、少し気の乱れを感じ始めたので、地上に降りて休憩をとることにした。

 

 牧草地なのだろうか?小高い丘に緑の草原が広がって、所々に牛や羊の姿が見える。

 少し傾斜のある草の上で、小天狗は大の字に横たわり、遠くに連なるのどかな景色と、薄い雲がかかった青空とを分ける稜線を、見るともなく眺めていると、

 左手にある茂みから、警戒して見つめる視線を感じ取った。

 

 小天狗は、敢えてそちらを見ることをせずに、視線の主の気を探ってみた。

 それほど大きくも強くもないその気は、人のものではなく、よく知る動物のもののようであった。

 

(牧羊犬か?)

 しかし、人に慣れている牧羊犬にしては、警戒心が強すぎる気がする。

 小天狗は身体を起こすと、茂みの方は見ないまま、優しく穏やかな状態の探索の気を伸ばし、視線の主を包み込むように、視線の主の状態を調べてみた。

 

 視線の主は、一瞬ピクッと反応したが、それ以上過敏な反応はせず、温かい何かに包み込まれ、優しく撫でられているような感覚に、小天狗への警戒を忘れ、徐々に眠りに誘われて、静かな寝息をたて始めた。

 

(大きさからすると、まだ子犬かな?ずいぶんと痩せてるな…左の後ろ脚を怪我してるから、こっちを警戒してたのか)

 小天狗は静かに宙に浮かぶと、茂みに隠れた子犬の側に移動した。

 そして、首に巻いていた九尾の尻尾を、手甲に変化させて身に着けると、子犬を起こさないように優しく触れ、九尾の霊力で強化した治療の気を、ゆっくりと静かに送った。

 

 治療の気を送りながら、改めてその子犬を観察すると、全身は薄いグレーの体毛で、子犬にしてはしっかりと大きな前脚、尖った耳…、

(アレ?こいつもしかして…)

 小天狗は師匠の天狗が、巨大な犬の姿をしていることもあり、犬や犬科の動物が好きになり、それなりに知識もあった。

 

(狼か?)

 当然だが、小天狗は動物園以外で、本物の狼を見たことはない。

 それも大人の狼であり、子供の狼の姿は、写真や動物番組で見ただけで、確証があるわけではないが、そんな気がした。

 

 野性動物なら、必要以上に関わるべきではない。

 小天狗は子狼の治療を終えると、起こさないようにその場を離れ、元いた場所まで戻ると、何事もなかったように、再び草の上に大の字に横たわった。

 

 

 子狼は目を覚まし、警戒を怠ったことに驚いたのか、緊張して辺りを見回した。

 視線の先の人間は、眠ってしまう前と同じ場所で、同じように横たわっている。

 

 しかし、さっきまでのように、その人間に警戒心がわかず、そして気づいた。

 後ろ脚にあった痛みが消え、傷自体も消えている!

 更に、自分自身の身体に、あそこにいる人間の臭いがついていることにも。

 

 何故だろう?この人間の臭いには嫌な感じがなく、親兄弟の臭いのような安心感があり、あの人間の優しさや温かさが、身体の隅々にまで染み渡って感じるのは?

 

 身体が本能的に、小天狗を群れの仲間として認めた子狼は、目上の仲間に接するように、少し身をかがめて小さくなって、敵意のなさを示しながら、小天狗に近づいていった。

 

 

 小天狗は、子狼の接近を感じ取っていたが、気から襲いかかる気配も感じないので、気づかないふりをして横たわったままでいた。

 すると子狼は、小天狗に身を寄せて身体を丸めた。

 

(気で治療したから、気を覚えて仲間だと思われたかな?野性動物なのに困ったな…)

 そう思う反面、犬好きな小天狗は悪い気はしなかった。

 

(近くに群れはいないのかな?)

 小天狗は探索の気を犬に近いものに絞って、かなり遠くまでかけてみた。

 いくつかの群れらしいものは感じ取れたが、この子狼に似たものはなく、多頭飼いされた犬か、野犬の群れのようだった。

 

 かなり痩せて怪我もしていたし、警戒心も強かった…。

 なんらかの理由で、群れもしくは、親からはぐれたというのが、一番妥当な理由な気がする。

 

(かと言って、連れて帰るわけにもいかないし、困ったな…)

 

 とりあえず、今は自分の気の回復を優先させよう、かまってやらなければ、子狼もどこかに行くかもしれない。

 そのまま小天狗は、少し眠ることにした。

 

 一時間以上過ぎたであろうか、小天狗は目を覚まし、大きく伸びをした。

 小天狗の期待は裏切られ、子狼は身を寄せたままそばにいたようで、小天狗が目を覚ましたことに気づいて、嬉しそうに顔を舐めてきた。

 

「オマエが嫌いなわけじゃないけど、連れてっては…」

 やれないと、言おうとした時、

 

(‼︎)

 

 小天狗と子狼は、まだかなり離れていて微かではあるが、こちらに向かって近づいてきている、複数の蹄の音の方に目を向けた。

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