第七十四話 師匠と弟子
小桜山のお社。
いつものように、僅かに宙に浮いた状態のあぐら座で、小天狗は気を整えていた。
しかし、黒曜丸の見舞いに行った、小桜たちのことが頭をよぎり、どこか集中出来ずにいた。
正直なところ、黒曜丸が左腕を失うほどの大怪我をしたことは、大変なことで残念だという思いはあるが、いくら遠い親戚だとはいえ、実際に会ったのは一度だけで、さほど良い印象があるわけでもない。
(俺って冷たい人間だな…)
であるのに、小天狗の心が大きく揺らぐのは、黒曜丸が小桜の兄であり、小桜の心配した姿と悲しみの深さを、あまりに強烈に感じ取ってしまったからである。
客観的に見て、自分は人当たりの良い方ではあるが、深く人と付き合うのは面倒なタイプである。
自分が気に入っている、気のおけない数人の好きな人のことだけしか、本気で心配することはない…。
そして、小桜がそんな一人になっていることに、気付かされた。
霊力を回復させるために、白露が眠り込んでいる間の代理として、抜け穴の護りを任されている以上、長時間この場を離れるわけにもいかず、悶々としていたので、
(師匠と話でもしてみるか)
あぐら座のまま、小桜山の抜け穴の上に移動すると、師匠の天狗が護る磐座のお社をイメージして、話しかけてみた。
(師匠、聞こえますか?数多です)
(おお、数多か、どうした?少し声が遠いようだが?)
どうやら異空間をつなぐ抜け穴にも、直結している場所と、離れている場所では、異空間内にも距離があるのか?御池の抜け穴から話した時より、声にも距離感があった。
(こっちの世界の別の抜け穴から、話しかけてみてるんです)
(別の?オマエまた無茶したのか?)
小天狗こと数多は、今いる小桜山が柊の張った、別の抜け穴の結界であることや、ここを護る白露のこと、バレ将軍とダラとの戦闘のことを話し、
(で、今は代理でここの結界を護ってます)
(なんだその、面白そうな出来事は⁉︎ワレはオマエもおらず、退屈しておったというのに…)
(面白くはないですよ、師匠の貸してくれた九尾の尻尾がなかったら、たぶん負けて死んでました)
(そうか、茶化してすまん…)
実のところ、天狗はずっと数多の身を案じていた。
今でこそ、こちらの世界のこの国では、生命のやりとりも無くなったが、あちらに着いて早々に、いきなり斬りかかられたと聞き、刀を持った者たちが己れの欲のためだけに、弱き者たちを虐げていた頃の、この国を思い出して、数多のことが心配であった。
(でも、実戦って凄いです!)
天狗の心配をよそに、
(これまで考えもしなかった、いろんな気の使い方を相手もしてくるし、こっちも臨機応変に対応することで、新しい気の使い方を、その場で生み出せたりしたんですよ!)
と、喉元過ぎれば…なんとやらで、思い出すとテンションが上がるのか?まるでスポーツ競技の思い出のように、数多は楽しそうに語った。
(激しい闘いの記憶に、気分が高揚するのはわかるが…負けたら死んでたかもしれんのだろう?)
天狗は続けた…
(ワレはオマエに、死なれても大怪我されても困る、それだけは覚えておいてくれ)
(すみませんでした、師匠…)
大怪我という言葉に、数多は黒曜丸を思い出し、一気に冷静になった。
(しかしだな、ワレがまだ認めておらぬのに、そこの白露とやらの代理で、結界の護りをするとは…)
そうであった!
状況的に仕方なかったとはいえ、師匠の天狗には、承諾を得るべき事案である。
(いやこれは、代理って言っても三日だけで、白露様も数百年本来の姿にならなかったくらい、静かな場所らしいですし…)
(その白露が眠ってからも、戦闘の続きががあったんであろ?)
やぶへびな言い訳に、数多はそれ以上言い繕うのをやめ、
(本当にすみませんでした!)
宙に浮くのをやめ、結界の上に降りて土下座した。
(いや、責めているわけではない…。そちらに行ってからのオマエは、いわゆる、引きが強い状態になっておるようだから、まだ気を抜くかず用心するように、言いたかっただけだ)
確かにそうであった。
小天狗としてこちらに渡って、まだ一週間も経っていないのに、敵味方含めて何人と出会い、闘ったかをすぐには思い出せない…。
ただ、本当に自分が引きの強い状態にあるのだとしたら…、
(師匠…それ言っちゃうと、フラグが…)
(フラグ?なんだそれは…?)
小天狗の心配をよそに、小桜山の空は青く抜けるように晴れ、柔らかな風に樹々の揺れる音と、鳥たちのさえずりだけが聞こえる、穏やかな空気が流れていた。
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