第七十一話 陣営で

「小天狗殿、戻られておられたのですね」

 

 小桜の母親、華鈴に急に声をかけられて、小天狗はいろいろな意味で驚き焦った‼︎


 まず、母親の前で、小桜を抱きしめている今の状況!

 更に、この状況の言い訳じみた説明をするべきか否か?

 そして一番問題なのは、自分の胸で泣いている小桜に気を取られ過ぎて、華鈴の接近を全く感知出来なかったこと!

 これが敵であったら、おそらく無事ではいられなかったであろう…。

 

「黒曜丸が戦場で深傷を負ったと、伝令からの報告を受けて、屋敷内が混乱しており、小桜が失礼致しました」

 華鈴は気丈な態度で、この状況を咎めることなく、小天狗に謝意を伝えた。

 

「黒曜丸さんは、辰巳野近くの将軍さんのところで、治療、療養されてると聞きました」

 華鈴は少し驚いた様子で、

「既にご存知でしたか?」

「ハイ、辰巳野でしたら小桜山から、そんなに離れてないので、小桜山まで俺がお連れしましょうか?」

 御池と小桜山との移動を何度も重ね、抜け穴の移動にかかる気の量が、それほど負担にならないことを体感した小天狗は、そう華鈴に提案してみた。

 

「よろしいのですか?」

 移動に三日はかかる辰巳野である。

 華鈴はほんの一瞬、喜びと、黒曜丸の身を案じる不安気な表情を見せたが、すぐに毅然とした態度に戻り、

「よろしくお願いします」

 深々と頭を下げた。

 

 

 翌日の朝。

 

 小天狗は、再び御池の尾上家に来ると、華鈴、小桜、銀嶺郎と、一人ずつ小桜山に送り届けた。

 そして、小天狗が小桜、銀嶺郎が華鈴を背負い、刃王軍が張った陣営の近くまで、宙を飛んで運ぶと、小天狗は小桜山へと戻った。

 

 

 刃王軍の陣営。

 

「華鈴様、小桜さん、銀嶺郎くん⁉︎」

 

 陣営内に姿を現した三人に、驚いて声をかけたのは、御池の尾上家に黒曜丸がよく連れてきていた、六番隊の副長であった。

 

「どうして…⁉︎いや、何故こんなに早くこちらへ?」

 当然の疑問であった。

 黒曜丸の負傷の連絡を、王都に伝書鳩で送ったのは一昨日、尾上家に知らせが届くとしても、早くて昨日のことのはずである…。

 王都から三日以上かかるこの場に、馬にも乗らず、それだけではなく、旅装束でもない尾上家の三人を、どう理解すればいいのか?副長は混乱していた。

 

「理由は後で、まずは蘇童将軍にご挨拶をさせてはもらえませんか?」

 華鈴はそう言って頭を下げ、小桜と銀嶺郎もそれにならい頭を下げた。

 

「少々お待ちください!」

 副長はその優れた身体能力で、脱兎のごとく、蘇童将軍の陣幕に報告に走った。

 

 しばらくという間もなく、副長を引き連れ走ってやって来たのは、蘇童将軍その人であった。

 

「黒曜丸殿の御母堂殿であられますか?私はいつき蘇童、この陣営の責任者をしております」

 

 そう言って蘇童将軍が、深くお辞儀をするより早く、

 華鈴は膝を折り正座をして、流れるように屈体しながら、右手左手の順で地面につくと、

「この度は、愚息、黒曜丸がご迷惑をおかけいたしまして、大変申し訳ございません」

 背筋を伸ばした美しい座礼で、深々と頭を下げた。


 下座し頭を下げた華鈴に、

「御母堂殿、頭を上げお立ちください!」

 蘇童将軍は膝をついて、華鈴に立ち上がるように促した。

 

「黒曜丸君は、何も迷惑などかけてませんよ、それどころか、戦場で誰よりも活躍して、数で劣った我が軍の戦況を、優勢に導いてくれました」

 そう言った後に、蘇童将軍は表情を少し曇らせ、

「戦場で彼に無理をさせ、大怪我をさせてしまったのは、総大将である私の責任です…」

 心底申し訳なさそうに、地面に両手をついて謝った。

 

 蘇童将軍の人となりは、剣士隊の隊長を務めていた頃から、驕ったところがなく実直で誠実だと、王都でも評判であったが、実際にその態度を目の当たりにし、

 この蘇童将軍の元で、治療、療養させてもらっている我が子の幸運を、華鈴は母親として喜んだ。

 

「それで、黒曜丸は?」

「勝手なことをして申し訳ありませんが、この先の『鈴音ヶ原すずねがはら』にある拙宅で、治療を受けてもらってます」

 

 蘇童将軍の屋敷のある鈴音ヶ原は、辰巳野を通る街道沿いの、この近辺では一番大きな町である。

 

「鈴音ヶ原には怪我に特化した医者がおりまして、先ほど受けた報告では、六番隊の者たちの応急処置が早かったこともあり、生命の危険はないとのことでした」

 蘇童将軍の説明を受け、華鈴は蘇童将軍の後ろにいた六番隊の副長に、深々と感謝の礼をした。

 

「あと、身の回りのことは、王都で看護の勉強をして戻った、私の娘に任せております」

 

 黒曜丸に生命の危険はないと知り、張り詰めていた気持ちが緩んだところに、身の回りの世話まで気にかけてくれていた蘇童将軍の心遣いに、

「本当に何から何まで、ありがとうございます…」

 華鈴は蘇童将軍の手を取って、大粒の涙を流し声を殺して泣いた。

 

 華鈴の後ろで黙って話しを聞いていた、小桜と銀嶺郎は、生命の危険はないと知ったところで、すでに涙を流し始めていたが、気丈な母が泣いているのを見て、小桜は顔を両手で押さえ、銀嶺郎は声をあげて号泣した。

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