第六十三話 心遣い
何事もなかったかのように、水面上を歩いて渡ってくる小天狗に駆け寄ろうと、小桜は御池の中に入り、腰の辺りまで水に浸かった。
「ちょっ、小桜さん!」
逆に慌てた小天狗は、水面を滑るように小桜に近づき、気で水から引き上げると、背中と足の下に手をまわして抱きかかえた。
「どうしたんですか、この着物⁉︎」
御池のほとりで下された小桜は、待っている間の不安と、無事とは言い難い小天狗の状態を間近で見て、初めて見せる強い口調で問いかけた。
「ゴメン…借り物なのに、こんなにしちゃって…」
小桜の勢いに、小天狗は深く考えもせずに、そう答えた。
「そんなこと、聞いてません!ケガまでしてるじゃないですか!」
強い口調と相反して、今にも泣き出しそうに瞳を潤ませる小桜の表情を見て、自分が答えの選択を間違えたことに、小天狗はやっと気づいた。
「ゴメンね心配かけて…ケガは着物の破れ方の割には、かすり傷で大したことないから」
腹には強度の打撲による、青あざが出来ていたが、小天狗はそれを内緒にした。
「母さん、小天狗さんはすぐ、小桜山に戻らなきゃいけないんだ!とりあえず、着替えと食べるもの用意してもらえる?」
銀嶺郎が気をきかせて、華鈴に準備を頼んだのを聞き、
「すぐに戻るって、どういうこと?」
と言って小桜は、銀嶺郎と小天狗を交互に見た。
「白露様が闘いで力を使い果たして、三日ほど眠りにつかれたんで、小天狗さんは御神獣代理を頼まれたんだ」
銀嶺郎は普通のことのように、あっさりと説明したが、華鈴と小桜はその内容に、目を丸くして驚いた。
「白露様が力を使い果たすほどの、戦闘があったというのか⁉︎」
「それで、はーちゃんは大丈夫なの⁉︎」
華鈴と小桜は、各々に自分の気になったことを銀嶺郎に投げかけ、銀嶺郎は二人が驚愕するであろう小桜山での出来事の、語り部になれることにワクワクしていた。
「ちゃんと話すからさ、先に小天狗さんの方の準備してよ!捕虜だって置いたまま来てるんだから」
「捕虜っ⁉︎」
華鈴は、この二人がいったい何をしでかしたのか?気になって仕方がなかったが、
「わかりました。二人は井戸で体を拭いてきなさい!小桜、小天狗さんの着物を用意して」
それぞれに指示を出して、自分は小天狗に携帯させる食事を用意しに戻った。
身体を拭き着物を着替え、小天狗は御池のほとりで、小桜と一緒にいた。
「食事を用意しておきますので、朝と夕方には、必ず取りに来てくださいね」
「うん、ありがとう!」
「あと、これを」
そう言って、小桜は傘を渡した。
「小桜山のお社は小さいし、雨宿りする場所も無いので…」
「ああそうか、全然考えてなかったから、助かるよ!ありがとう小桜さん」
小天狗が傘を受け取りながら、小桜に感謝を伝えているところに、華鈴と銀嶺郎がやって来た。
華鈴は、食事の包みと、竹で出来た水筒を小天狗に渡し、
「本来なら小桜山も、我が家の者が行って管理するべきなのだが…」
と、申し訳なさそうな表情を見せた。
「いえ、白露様に頼まれたのは俺ですし、俺も尾上の家の者ですから!」
「そう言ってもらえると助かる。気をつけてな」
「ハイ、当面の敵は排除出来たので、心配なのは、どうやって時間を潰すかですかね?」
「じゃ、僕ももう一度行きます!」
と、手を挙げた銀嶺郎の背後から、
「あなたにはまだ、お説教が残ってるでしょ!」
華鈴はそう言うと、銀嶺郎の耳をつまんで引っ張った。
「鱗王兵の引き渡しが終わるまでは、何が起こるかわからないので、それが済んだら一緒に」
そう言って小天狗は、小桜の方を見た。
(ハイ)
目を合わせた小桜は表情を明るくして、小天狗にだけ聞こえるように、心の声で短く答えた。
「じゃ、行ってきます!」
まるで瞬間移動のように、小天狗の姿は御池のほとりから、小島のお社の傍らに移り、右手を軽く挙げて挨拶した状態のまま、銀色の光の繭に包みこまれ、徐々に沈んで消えていった。
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