第十八話 開戦

 刃王の国、辰巳野の砦。

 

 砦の物見の兵は緊張を切らすことなく、横長に広がった鱗王軍の陣形を見張っていた。

 

 鱗王軍が辰巳野の砦から目視出来る位置に陣取ってから、何の動きもないまま数時間が経ち、既に近隣の兵たちも砦に集結して開戦の準備も整っていた。

 しかし、太陽が天空に差し掛かった頃、開戦の火蓋はいきなりきられ、砦の兵たちは防衛行動を取るヒマも無く砦は戦場と化した。

 

 いつものように、砦に掲げられた刃王の国の旗が強くはためき、物見の兵は交代の時間が近づいた気の緩みから、大きく伸びをしながら交代の兵の来る方向に身体を向け、鱗王軍から一瞬目をはなした時であった。

 一番手前に布陣していた鱗王軍の兵士二百名ほどが、こちらに向かってかなりのスピードで一斉に走り出していた。

 

 その兵士たちは皆同じ種族であろうか、灰色がかった緑色の細身の身体に鎧を着けず、各々が得手とする武器を腰や背中、手に携えて真っ直ぐ向かって来ると、躊躇することなく次々と渓谷に飛び込んだ。

 飛び込んだ兵士たちが両手を広げると、長く伸びた飛膜のついた肋骨が開き、渓谷に落ちることなく滑空し高く舞い上がった。

 

 辰巳野の渓谷では、太陽が高い位置に登る時間帯、川の流れる渓谷に溜まった、湿った空気が温められて上昇気流が発生、砦に掲げられた旗を大きく揺らす。鱗王軍はそれを利用した。

 

 砦の物見の兵が、鱗王軍の急襲に気付き、慌てて警鐘に手を伸ばそうとしたその瞬間、両手に反り返った短い刀を逆手に持った、細く尖ったトカゲ頭の鱗王軍兵士が、頭上まで舞い上がると斬りかかってきた。

 トカゲ頭の一閃は、物見の兵の首元を切り裂き、物見の兵は物見櫓からもんどり打って落下した。

 それを皮切りに、砦のあちこちでトカゲ頭の兵士の襲撃が始まり、不意をつかれてとり乱した刃王軍兵士たちの叫び声が上がった。

 

 いきなり始まった騒乱に、蘇童将軍は押っ取り刀で執務室から飛び出し、その惨状を目の当たりにして愕然とした。

 うろたえ腰の引けた自軍の兵士たちに、成人男性より頭一つ背は低いが、脚力、俊敏さに勝るトカゲ頭の鱗王軍兵士たちは手当たり次第襲いかかり、虐殺行為を楽しんでいるように見えた。

 

「うおおお〜〜っ‼︎」

 

 蘇童将軍は大声で叫ぶと、手に持った刀を抜き放ち、右手に刀、左手に鞘を握って、好き勝手暴れているトカゲ頭の群れに突っ込んで行った。

 一際ひときわ立派な鎧を着た蘇童将軍の登場に、トカゲ頭の兵士たちはいろめき立ち、われ先にと蘇童将軍をとり囲んだ。


 蘇童将軍は、大きく一つ息を吐くと、怒りを押し殺した静かな声で、

「貴様ら…無事に帰れると思うなよ」

 そう言って、自分をとり囲んだトカゲ頭の兵士たちに対し、青い炎のような怒りに満ちた気を放って睨みつけた。

 トカゲ頭の鱗王軍の兵士たちは、その闘気に気圧けおされ一瞬怯んだが、互いに目配せを交わし一斉に襲いかかった。

 

 蘇童将軍が左手に持った鞘は重い硬い金属製で、前方から攻撃して来た何匹かの刀を弾き飛ばし、鞘の一振りをその身に受けた者は骨を砕かれた。

 そして、右手に持った刀は刃王の国随一の刀匠の手による業物で、元々の切れ味が鋭いのはもちろんだが、蘇童将軍の気を刀身に自然に纏わせるように作られているため、気の込め方や大きさに呼応して、斬れる間合いは最大でその刀身の三倍先まで届く。

 

 ちなみに黒曜丸の大太刀も同じ刀匠の手によるものである。

 

 骨を砕かれのたうちまわる仲間を見て、鱗王軍の兵士たちは、蘇童将軍の鞘での攻撃を警戒し、再び少し離れて蘇童将軍をとり囲んだ。

 その機を逃さず蘇童将軍は、鞘を置き両手で刀を握ると、右肩に担ぐように構えて腰を落とし、細く息を吐きながら刀身に意識を集中、そして目の前の標的に向かって袈裟懸けに刀を振り下ろした。

 目の前にいた鱗王軍の兵士は、一瞬斜めに閃光が走ったことまでは認識したが、自分が斬られたことに気づくまで数秒を要した。

 その間にも蘇童将軍は、距離を置いたまま流れるような動きで周りの鱗王軍の兵士たちを斬り続け、その動きはまるで神楽舞を舞っているかのようだった。

 

 蘇童将軍がその動きを止めた時、蘇童将軍をとり囲んでいたトカゲ頭の鱗王軍兵士で立っている者は一匹もいなかった。

 しかし、砦のあちこちから聞こえる悲鳴は途絶えることがなく、最悪なことに、最も聞くことを恐れていた音が響いた。

 

 国境の渓谷に橋が降ろされる音が…。

 

 蘇童将軍は天を仰いだ…。

 

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