第三話 小桜

 数多は、声の主を探知した山の中腹近くで一旦足を止めた。

 

 いくら声が少女っぽかったとはいえ、結界の中に突然現れたそれが、人の姿をしているとは限らないし、襲ってくる可能性だってある。気配を消しながら慎重に、五感を強化開放して探知した辺りを凝視した。

 そして、五十メートルほど先の岩場手前の茂みの脇に、うつ伏せに倒れている人らしき姿を発見した。

 

(人…だよな…?)

 

 充分に警戒をしながら近づいていき、五メートルくらいの位置で立ち止まり、やっと人だと確信出来た。

 土が付いて汚れてはいるが、数多にも上質だとわかる着物を着た、十四、五歳くらいの女の子で、気を失って目を閉じていても美しいとわかる、日本人形のように整った顔立ちをしている。

 

 数多は、首の後ろに手を回し頭を支えながら、慎重にその子を抱え起こすと、静かに声をかけてみたが反応はなかった。

 五感を解放しているからか、その子の気が弱まっているのを感じられた。

 

(出来っかな?)

 天狗との修行しかしてきてないため、自分の能力を人に向けたことは無いが、俗に言う癒しヒールっぽいことを試してみようと思った。

 

(弱ってる気に波長を合わせて、少しずつ俺の気を彼女に…) 

 そう意識を集中すると、彼女を支えた両手が熱くなって、自分の気が彼女の経脈を通り、全身に行き渡るのを感じた。 

(上手くいってくれ…)

 そう願いながら、弱っていた彼女の気が自分と同調するまで気を送り続けた。

 気の巡りが徐々にしっかりしてくるのと同時に、数多にも覚醒する感覚が伝わり、彼女は目を覚ました。


「あ!ども…」


 数多は、もう少し気の利いた声のかけ方があるだろうと、自分の不器用さに呆れた。

 それ以上に、彼女を抱えたこの体勢が、かなり顔の距離が近いことに気づいて、今さらだが動揺した。

 

「どうも」

 彼女の方は意外と冷静である。

 そして、彼女が着物姿だったこともあってか、数多は普通に言葉が通じていることに、何の違和感も抱かなかった。


「い、今、手ぇ離しますから…」

「はい、すみません」

 そう言って微笑んだ彼女には、幼さの中にも気品を感じる美しさがあった。

 

 二人は少し離れて、何故か正座で向き合っていた。

「助けてくださったんですよね?」

 口火を切ったのは彼女からだった。

 

「いやぁ、助けたって言えるのかどうか?」

(失敗する可能性もあったし…)

 

「でも貴方の声、聞こえてました」

「俺も、声が聞こえてここに来たんです!」

(あ…言っちゃまずかったかな?)

 

「変なこと聞いても、いいでしょうか?」

 彼女は少し恥ずかしそうに、視線を逸らしてそう尋ねた。

「変なこと…?あ、ハイ…」

 微妙な空気に戸惑いながら返事をした数多に、彼女は言った。

 「勘違いだったらごめんなさい、私が気を失っていた時…、その…触ってました?」

 

(えぇ〜っ!痴漢容疑⁉︎)

 

 いきなりのあらぬ疑いに焦り、否定しようとした瞬間、数多は思いあたってしまった!

(そうだ!気で経脈を…)

 いかがわしい気持ちは全くなかったとはいえ、自分が彼女の全身に気を巡らせたのは、まぎれもない事実である。

 

(これって、内側から彼女の全身を触りまくったってことになるのかぁ〜⁉︎)

 と、人命救助だと思ってしたことが、変態行為と紙一重なことに動揺し…

「いや、手は動かしてなくて…じゃなくて、その…」

 数多はしどろもどろになって、もう自分で何を言っているのかさえわからなくなり

「すみませんでした〜!」

と、土下座してしまっていた。


「違うんです、別に責めるつもりはなくて、なんて言うのか…、優しくて、温かくて、気持ち良かったというか…、って私ったら、何言ってるんだろ⁉︎」

 そう言うと、彼女は真っ赤になって、手で顔を隠した。

 

(かわい〜!)


 思わず声に出しそうになったが、なんとかこらえ、

「ところで、君は誰なの?俺は尾上数多」

「えっ、尾上?私も尾上なんです、尾上小桜こざくらと申します」

「えっ、マジで⁉︎」

 驚きで二人が顔を見合わせたその時、

 

(それくらいで、もういいだろう!)

 

 と、天狗の声が頭の中に響き、次の瞬間、二人はお社の前にいた。

 

(師匠!全部見てたんですか⁉︎)

 

 数多の問いかけに、天狗は(ふっ)と鼻で笑い、

(言ったであろう、この結界内では、ノミ一匹たりとも逃さんと!)

 と、ドヤ顔を見せる天狗を、目を丸くして見ていた小桜が、

「あの…もしかして、そちらの大きな御犬様は、天狗様ですか?」

 これには、天狗も数多も驚き

(見えてる⁉︎)

 と、顔を見合わせハモってしまった。

「ハイ、見えております…」

 そう言うと、小桜は急に青ざめ、

「ま、誠に申し訳ございません!畏れ多くも御神獣の天狗様を、私なんかが見てしまうなんて、どうかお許しください!」

 と、後退りしながら平伏した。

 

(師匠、彼女にも見えてるし、聞こえてるみたいですね)

(おまけに、どこかの誰ぞやと違って、ワレのことを天狗だと知っておるしのぉ)

(普通知らないでしょ、大陸ならともかく、こっちの天狗は、元々は師匠の弟子の噂が広まった、赤い顔の鼻の長い妖怪のことなんですから)

 

 数多は声に出し、恐縮している小桜に話しかけた。

「小桜さん、そんなにかしこまらなくていいよ。師匠のことは、見える人間が珍しいだけで、見えたって罰は当たらないし、とって食われるわけでもないから」

(そうだぞ小桜とやら、ワレはこんな生意気な弟子にも寛大な、優しい天狗なのだ!)

 

 それを聞いた小桜は、恐る恐る顔を上げ、

「では、天狗様のことを、私が見ても…」

(うむ、見たいだけ見るが良い!神々し過ぎて、眩しいかも知れんがの。)

 

 天狗はご機嫌そうに尻尾を振った。

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