第二話 数多

 七年後、早朝六時。 

 

 青年はいつものように、狗神のお社の前で座禅を組んでいた。

 髪はスポーティに短く端正な顔立ちで、Tシャツの上から見てもわかる、引き締まった均整のとれた体つきをしている。

 よく見ると、青年は地面に座っているわけではなく、わずかに宙に浮いていた。

 

 青年の名は尾上数多おがみあまた、創流高校に通う高校二年生だ。

 

 尾上数多の正面にある、お社が祀られた苔むした岩の上には、巨大な犬が目を閉じて座っているのだが、なんとなく気配を感じる人はいても、数多のようにその犬を見ることが出来る人間は稀であった。

 

 大陸から渡って来たその巨大な犬は、天狗と名乗っていた。

 

 大陸の伝承では、落下した火球(流星)の爆発音を犬の咆哮になぞらえ、そういった流星を、天から駆け降りる犬に見立て『天狗』と呼び、災禍の凶星としておそれた。

 以来、天狗は犬の姿をしたものとして認識され、日食や月食も天狗の起こす凶事とされていた。

 この天狗が、そんな人々の畏れから生まれたのかは定かではないが、その佇まいは神獣のそれであった。

 

(師匠、山の気が乱れてませんか?)

 数多は声を出さず心の中で、師匠である天狗に話しかけた。

(ああ、性懲りも無く、また向こうからの客が、結界を破ろうとしてるのであろう…)

 天狗も声を出さずに答えた。


(今年に入って三回目ですよね⁉︎また客が来るんでしょうか?)

 一度目は髭面の顔から手足が生えた妖怪のような化け物、二度目は赤い毛に覆われた大きな狒々に似た獣で、どちらも凶暴で交戦的な客であった。

(ここの結界を抜けて来た割には、どっちも雑魚だったがな)

(でも二回とも、この抜け穴を使って出て来たわけじゃなかったですよね?)

 

 ここにある苔むした岩とお社は、異なる世界とを結ぶ穴を塞いだ磐座いわくらで、山一帯に張られた平面結界の中心である。

 磐座は物質としての岩ではあるが、異界との境界であるこの場所では、物理的な重さや硬さはあまり意味を持たない。

 それを破る力のない者からすれば分厚く重い鉄の蓋であり、力のある者にしてみればゼリーのような塊ともいえた。

 しかし、強力な結界の中心なため、余程の力を持っていない限り、通り抜けることは不可能なはずであった。

 ただし、異界とを結ぶ穴の周りの土地も、少なからず抜け穴の影響を受けているため、結界で護る必要のあるもろい地盤であることは否めなかった。

 

(例えば、結界の端の方に小さな綻びがあって、そこに雑魚の客くらいなら通れる、小さな抜け穴があるとか?)

 と、数多は自分の推理を天狗に告げた。

(だとしても、出てくればオマエでも気付くだろうし、結界内はワレが護ってる限り、ノミ一匹たりとも逃さん!)

 天狗の言葉も実力も信じてはいたが、なんとなく数多の杞憂は晴れなかった…。

 

      

      

 数多の通う創流高校は、実家が管理する山の麓にあり、天狗が護る結界の端に位置していた。

 校舎から一番離れた位置にあたる校庭斜面の芝生は日当たりも良く、その隅の一角が数多のお気に入りの場所で、そこで一人のんびりするのが、数多のお気に入りの昼休みの過ごし方であった。


「尾上数多ぁぁっ!」

 

 走りながら近づいて来た大声の主は、サッカー部のキャプテンの三年生、飯島だ。

「てか先輩、フルネームで呼ぶのやめてくださいよ。」

「一回戦だけでいいから、助っ人で出てくれよ、尾上数多く〜ん!」

 既に何度も断っているのに、懲りずに地区予選の助っ人を頼みに来るのだ。

「いや、そもそも、部員だって足りてるじゃないですか…」

「オマエだって知ってるだろ、俺も含めてウチの部に、オマエより上手いのがいないってことは!」

 

 数多は、この土地に来る前の小学生の頃、クラブチームのジュニアユースチームに入っていたことがあり、サッカーの基本的な技術は、しっかり身についていた。

 そのせいで、体育でサッカーをした時に目立ってしまい、今こんな目にあっている。

 

「知りませんよ…。俺、放課後は道場掛け持ちしてるんで、どこの部活も見たことないですから…」

 これはウソではなく数多はこの七年間、空手と剣術の道場に通い続けていた。

 天狗との修行で、数多は人間の秘めた能力ちからを解放することが出来るようになり、身体能力も常人の何倍にも高められたが、もちろんその能力を人前で使うことは無い。

 空手と剣術は、天狗からは教えてもらえない、体術を身につけるために始めたものであったが、性に合っていたため続けている。

  

「とにかく、考えてくれよ尾上数多ぁ!」

 昼休み終了のチャイムが鳴り、やっと飯島からも解放され、数多も教室に戻ろうとした時、

 

(で…出口…)

 

 頭の中に少女のように声が、弱々しく響いて消えた。

 おそらく声の主は、普通に声に出してつぶやいたと思われるが、端とはいえ結界の中だったこともあり、強い安堵の気持ちが、数多にも聴こえる心の声になったようだ。

 

 数多は少女のような声が消えた位置を探ることに、全神経を集中させた。

 そうして数多が探り当てた声の主の残存思念の位置は、校庭の裏山の奥に連なる山の中腹、意外と近くであった。

 普通に歩いても五分くらいだが、能力を解放すれば三十秒もかからないだろう。

 

(仕方ない、サボるか!)


 そう腹を決めた時にはもう、数多は校庭の裏山側の2メートルはある塀を飛び越え、常人の何倍もの速さで走り出していた。

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