第九章 お花摘み、コアな罪⑥
「ホント、バカッ!」
まだ新入社員で、残業などもない小町が清倉家にもどってきたのだけれど、そこで今朝から起きたことを説明すると、言下にそう罵ってきた。
「凛那ちゃんに謝った?」
「あれ以来、自室にもどってしまって……」
そう、トイレから飛びだすと、泣きながら自分の部屋と思しき場所に入って、二度と凛那とは会えていない。
「ホント、マロって女心が分からないよね……」
「分かっていたら、もう少しモテていたのかな?」
「知らないわよ!」
小町は怒って、横を向いてしまう。やっぱりボクは、女心が分からない男のようだった。
「でも、清倉さんから言われたんだけど、小町も禁裏という、何か特別な力がつかえるかもしれないよ」
「実感ないな……。私、何か使えそうに見える?」
「ゴメン。ボクもそうだけど、境界を超えるだけで凄い……と思っているぐらいで、何か力があると言われても……」
ボクも小町も、首を傾げるばかりだった。
ただ、それを斟酌している時間は、あまり多くなかった。
「てめえ! こら、マロ‼」
収録から帰ってきた清倉が、凛那のことを知って、オレを追いかけ回す。
「わ、悪気はありませんから~ッ!」
「悪気があったら、大問題だ、こらッ!」
トイレを覗く、なんて意図的にしていたら、痴漢以外の何者でもない。ただ意図するところではないけれど、これはボコられないと収まらない、と覚悟して、清倉からボコボコにされた。
「凛那はちょっと引きこもりなんだよ。母親が無理やり、モデルの仕事をさせているが、学校にも中々行こうとしない」
それで制服を着ていたのに、午前中に家にいたのか……。要するにフン切りがつかない、という感じかもしれない。
「トイレは他にないんですか?」
「あるよ。全部で三つある」
それを先に聞いておいたら、二度目の遭遇は避けられたのに……。と悔やんでも時すでに遅し、だ。
「でも、八馬女はトイレをつかわないのか?」
「こうなってから、ずっとそうです。食べたり、飲んだりもしないので……。あ、カムヅミだけは食べます。むしろ積極的に……」
「あんなバカ高い実を食べるのか? マズイって聞いたぞ」
「味覚があるのかどうか……? でも、もしかしたら自分でも腐朽になることを拒否する意識から食べるのでは……? とも考えています」
それ以外、あの実だけ食べる理由は不明だった。
清倉家では、母親も女優をしているので、食事は家政婦がきてつくる。ボクと小町もご相伴にあずかった。
父親と母親に会っていないけれど、あまりここに帰ってこないようだ。母親は撮影に入ると泊まりだし、父親は会社の近くでホテル暮らし、という話を聞いた。
お金持ちの考えはよく分からないけれど、こんな立派な家があるのに、ホテル暮らしをするなんて……。
それは娘も引きこもりになるし、息子はグレるし、末の娘に『天使』なんて名前を臆面もなくつけるのだろう。
でも、ボクもその日で清倉家をでることにした。八馬女をあずかってもらうだけであり難いのに、ボクまでお世話になったら甘え過ぎだ。
「うちでも、部屋に閉じこめておくよ。今のところ、分からないことが多すぎだからな。だが、調査はすすめておく」
清倉は最後に「オマエも、どんな禁裏がつかえるか? よく考えておくんだな」
そんな重い宿題を託してきた。そのとき、玄関を出ようとするボクに駆け寄ってきたのは、凛那だ。ボクの顔をみないようにしつつ、小さな手紙を押し付けてくる。ボクも思わずそれをうけとったが、凛那は小さく頭を下げ、そのまま家の中にもどってしまった。
「何? 殺人予告?」
小町はそういうけれど、その花柄のイラストがついた便せんは、仏花として飾られるには、あまりに可愛らしいものだった。
駅に向かって歩く途中で、伊瀬に連絡を入れる。
「伊瀬さんの禁裏が、頼豪なんですか?」
「ちょっと違う。頼豪は、私に協力してくれているだけ。元は彼も、人間よ」
「え? あの巨大な獣が?」
「裏世界に入りこんだ獣にとり憑いているのよ。体が大きくなったのは謎。でも意思をもって、私に協力する」
だから呼ぶとき、声をだすのか……? 意思をもつ相手なら、自由に使役する、というわけでもなさそうだ。ボクはてっきり、伊瀬がそういう二次元的なノリで、ただ叫んでいる、と思っていた。
「禁裏について知ったのなら、アナタたちも愈々、裏世界に責任をもった」
「どういうことですか?」
「知らなくていいのなら、知らない方がよかった、ということよ。後腐れも持たない方が、すぐ元の生活にもどれるでしょ? 裏世界なんて、知らなくていいし、関わるべきではない。力があると思えば欲がでる。それは、身を滅ぼす元凶よ」
言わんとすることは分かる。
フィクションの世界では、不意に自らがもっている力に目覚め、逆境を跳ね返す、といった展開が好まれるけれど、でもそんな成功体験ばかり、あると思うか? 実際には、それとは逆に何の力ももたずに、無茶をして滅ぼされる。力があるとかいかぶり、すぐに死んで物語にもならず、散るだけだ。
これまでも明らかになったように、裏世界は簡単に足を踏み入れるような場所ではない。
「裏世界など知らず、平穏に過ごせれば、それが一番なのよ。アナタたちが、親友を救いたい……というなら、好きにすればいい。でも力があるから、大丈夫だからそこに行く、はちがう」
伊瀬らしい意見だ。冷静で、どこか斜に構え、大上段にふりかぶることはないけれど、正論だった。
「私たちは、力があるからそこに行く、なんて思いませんよ。だって、マロも赤人も芸人として成り上がる、って夢があるんですから。裏世界なんて、いつまでも関わりませんよ」
小町はシンプルに、正論を上回ってきた。頭がいいのに、こういうところでスパッとしているのが、小町という女性だ。
ただ禁裏にかかわらず、裏世界に行く資格……それがボクらにあるのなら、またちがった理屈になるはずでもあった。
「双極の世界……といっても、それは映し鏡としかならん」
小汚い僧服の男は、そういって胡坐をかく。
「どういうことです?」
「人間に赦されるのは、模倣だけだよ。新しい世界をつくるのは創造。それは神や仏であっても、為し得ていない業だ」
「模倣……それで大丈夫なのですか?」
「キサマの条件には合う……はずだ」
身形も立派な男は天を仰いで「この国に徒なす者を、閉じこめておくための、永遠の牢獄……」
「徒を為そうと、それも国民だろ? 自分たちに都合のいい者ばかり集めても、それは国と言えん」
「見解の相違……ですよ。皆が統一された意思をもち、同じことを考え、理想的に生きる――。その何が問題なのですか?」
「ふん……」小汚い男は、それ以上何も言わずに、自ら洞窟に入ると、中から扉を閉ざそうとする。
「ワシがここから出てきたとき、果たして理想通りになるのかな……?」
ニヤッと笑って、中へと消えた。でも、身形も立派な男は、目を爛々と輝かせるばかりだった。
リバース・サイド・ストーリー Hatred from 上代 まさか☆ @masakasakasama
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