第六章 白日と落日と、腹の探り合い①
「盛者もこうなると、形無しだな」
小汚い僧服をまとった男が、鼻くそをほじりながら、そう嘆息する。かつては立派な建物もあったが、すべて燃えたり、打ち壊しに遭ったり、そこは寒々しいばかりの空間が広がる。
貴族として、身形も立派な男がその後ろから「大王が暮らす宮……。宮でしかないから、こうして壊れるのです」
口惜しそうに、そう語る。
「だが、人を多く集め、都とするのなら、そこには社会が生まれ、複雑となった社会からは混沌が生じる。混沌は社会をより疲弊させるだろう。それでも、都を造らんとするのか?」
僧服の男は、胡散臭そうに目を細めて、辺りを見回す。
「しかし、唐に戦争で負けたこの国にとって、早く国家体制を整備し、唐と渡り合えるようにならないといけない。諸国から侮られないためにも、大きな都を築く必要があるのです!」
身形も立派な男はそういって、興奮したように拳を何度も、何度も振り下ろす。
「だから、人生を賭けて街を築くか……」
僧服の男は、今度は耳の穴をほじりながら「ま、手がないこともないが……。それには〝ある決断〟が必要……」
身形の立派な男は、僧服の男にすがりつき、食い気味に「是非!」と哀願する。僧服の男は、ぼさぼさ頭を掻きつつ、うんざりした表情を浮かべていた。
つるつる頭で筋骨隆々、僧服に身をつつんだ玄利は、まるで教師のようにゆっくりと語った。
「この国では、かつて国の中枢は『宮』――。つまり天皇……古代では大王と呼ばれる存在が居住する場所が、そう批准された。
恐らく現代人は、東京や京都といった人が暮らす街を想像するだろうが、一般人は立ち入りすら許されなかったのだよ」
「今の皇居……ですか?」
「それより小さいな。中には板葺き、河原といった名称もあるぐらいだ。
当時でも寺院などは瓦葺きが一般的で、宮でも檜の皮や、草を葺いたはずで、豪華な板を葺いた……などという意見もあるが、板など水に濡れればすぐに腐る。臨時の仮宮ということだろう。今でさえ、河原なんて家も建てん。そういうところに暮らすしかなかった、ということだ」
「仮暮らしの……何だっけ?」
ボクがそう呟くと、小町が「あり得ねってぃ!」とツッコミを入れてくれる。
「その板蓋宮は、歴史上も有名な、乙巳の変の舞台でもある」
「乙巳の変……?」
「大化の改新よ」
ボクより頭のいい小町が、そう応じた。
「正確には、大化の改新は乙巳の変をふくむ政体の転換をさす。要するに、天智天皇体制による、政治制度を刷新するまでが改新だ。乙巳の変で蘇我家を打倒するが、その舞台が板蓋宮だ。仮住まいをしていたら、そこを襲われて蘇我家は滅び、引っ越したという顛末だよ」
玄利はそういうと、豪快に笑った。アパート暮らしをしていたら、そこで事件が起きて出ていく……そんな形でこの国の首都が点々としていたら、当時の国民は堪ったものではなかったろう。
「京と最初につけられたのは、新益京――。
新たに増した、という名が示す通り、宮の周りに条坊制、いわゆる碁盤の目のようにきっちりと、四角く区切られた本格的な町づくりだ。そうした整備をはじめたのは天武6年、西暦676年に飛鳥浄御原宮にて新城、都の選定に入り、694年に遷都した、とある。ただその後、710年に平城京、794年に平安京に遷都されたように、宮が都に代わっても、必ずしも長くつづいた、というわけではない。数代の天皇を経ると、新たな京を建てていたことが明らかだ」
ここまでは歴史上、どう都が移り替わったか、の話だ。
問題はここで、裏世界なるものがどう関わってくるのか? である。
「貴族ばかりでなく、農業の従事者、兵士、手工業者なども整備された街に暮らすようになると、様々な不都合が起こるようになった。それこそ権力闘争も起こり、血の繋がりのある者たちでも、互いに争い、それこそ地位を追い落とし、血で血を洗うようなことも起こった。
しかも、無実の者を罪に墜とし、殺したようなケースでは良心の呵責もあったのだろう。その後に悪いことがつづくと、祟りだと恐れるようになった。そこで、流罪という形で京から遠い地へと送るばかりでなく、死んだ者を自分たちから遠ざけておくよう、囲うことが必要となった」
「それが、裏世界ですか?」
「そう。そしてそれを造ったのは、藤原氏とされる」
「藤原氏が? どうして?」
小町の問に、玄利は首を横にふる。
「それは分からん。ただ、藤原家に関わる者の中では、知る者もあるのかもしれん。伊瀬君も、その藤原家の末裔だ」
確かに、伊瀬、伊瀬と呼んでいるけれど、名字は藤原だ。もっとも〝藤原〟は姓であり、名字ではない。要するに、天皇から与えられた姓を名乗るときは、名前との間に〝の〟を入れ、藤原であれば「ふじわらの」となる。中世、藤原家の末裔は名字を名乗り、藤原とは名乗らなくなった。
伊瀬が「藤原」であっても、それを上代からつづく名乗りであるかどうか、それはまた別の話だった。
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