第五章 呪詛と冤罪⑥
元の世界にもどってきた。入ったときと同じ、建物の四階で、一先ずホッとする。そこには小町もいて……。
その小町の首すじには、何者かに引っ搔かれたような、赤い線のようになった傷がついていた。小町もそれに気づき、ハッとして手で隠す。
小町も腐朽に……。ボクは我も忘れて、彼女の首に吸いつくと、そこから必死で血を吸いだす。それは蛇に咬まれたとき、蜂に刺されたときに、毒を吸いだすやり方である。
何度かそうやって血を吸いだした後「伊瀬さん、注射を!」と、辺りを見回そうとして、小町から手を引かれた。
「こ、これは違うから……。その、木登りをして、枝で引っかけて……」
「な、何だ……。良かった……」
ホッとして、力が抜けてしまう。ただそれ以上に、真っ赤な顔でもじもじする小町に、ボクもハッとした。そう、いきなりボクからキスマークをつけられたのだ。小さいころ、小町が手をハチに刺されたことがあり、同じことをした。ただ、大人になってそれを首に……。
「うわ、ゴメン!」
「う、うん……」
こういうときは、口汚く罵るか、武力で制裁を加えてくれた方がまだマシだ。真っ赤になってもじもじされると、余計にダメージを大きくする。しばらくは真綿で首を絞められるような乙女攻撃がつづくのかもしれない……。
そのとき、倒れたままの伊瀬に気づく、
オレンジ色のツナギには、赤い血が点々とする。それは飛沫血痕ではなく、服の下から溢れる血で染められたものだ。
「伊瀬さん⁈」
呼びかけるけれど、返事はないし、反応すらない。呼吸はしているけれど、虫の息だった。
「どうしよう……、病院? これが腐朽にやられたものだと、治せるのか?」
逡巡しているヒマはない。でも、こういうときどうしたらいいか? 伊瀬に聞いておくべきだった。
「ここだったか……」
そのとき現れたのは、先ほど別れた玄利だった。玄利は止血などの応急措置を施すと、筋骨隆々のその体通り、伊瀬を簡単にかつぎ上げると、乗ってきた車まで運んでくれた。
その間に、ボクたちは機材をまとめ、車に乗せると、運転するのは教習所以来、という小町の運転で、その廃旅館を後にした。
「ケガは重要な臓器を避けているし、筋肉や腱もきれいに外している。何だい、この人は? マジックの箱抜けをする人かい? 剣で刺されても大丈夫、という仕事なのかい?」
マジックで、美女を箱に収めて剣を刺して、それが体を貫いていたらもうマジックではなく、ただの我慢比べだ。
「美容のために、風穴を開けたかったらしい」
「若いっていいわねぇ~」
高齢の女医は、そういって笑う。ここは麓の医院、深夜に運びこんだにもかかわらず、すぐ診てもらえたのもあり難かった。玄利の知り合いということで、融通も利くそうだ。自分で注射を打った痕もあり、腐朽になる様子もなく、今は落ち着いているので、一先ず安堵する。
「色々と……ありがとうございます」
「伊瀬くんとは昔馴染みで、同じ追儺師としては当然だよ」
玄利はそういうが、ボクは首を傾げた。
「伊瀬さんは、他の追儺師はみんな敵だと……」
「利害は対立する。カムヅミを得るため、裏世界に行く者にとっては、全員が競争相手でもある」
医院の待合室で、こうして話をする。今は明け方であり、ボクらしかいない。傍らには、久しぶりの運転で、かつ大型のワンボックス。しかもマニュアルという大役を終えて、呆ける小町がいた。
「さっき話していた、式家の話って……?」
「あぁ、伊瀬くんは式家の末裔だよ。だが、式家は早くに没落し、歴史の表舞台から消えた。そんな式家を再興するため、追儺師になった……と聞く。それは一攫千金というばかりでなく、ここには歴史という表舞台では決して語られぬナゾ、それが秘められると信じて……」
「……ナゾ、があるんですか?」
不思議そうに尋ねると、目が見えないはずの玄利は、ボクを真っ直ぐにみた。
「そもそも、どうして裏世界なんてものがあるか? キミたちは知っているかな?」
「何とか京が造られたとき、一緒に……と言っていましたが……」
「創られた時期は、確かにそうだ」
「……え? 裏世界って人為的につくられたの?」
その話を初めて聞いた小町は、ただただ驚いている。
「でも、創られた理由は聞いていないのか?」
玄利もやれやれ……とため息をつく。
「そこには式家もかかわるから、敢えて避けたのかもしれん。だが、キミたちも巻きこまれている以上、知っておくべきだろう」
玄利はそういうと、膝を正してゆっくりと語りだした。
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