第五章 呪詛と冤罪➁

 岩がごつごつとする河原に立って、伊瀬は腐朽……鬼魅と対していた。

「どうやら、この辺りを仕切っているのは、アナタのようね」

「ほほう? たかが追儺師ごときが、このような辺境で、我をみても恐怖すら感じていない。これも時代というものか……」

「何その、だから若い者は……的な発想? 恐怖して欲しの? その形で?」

 相手は中学生男子。着ているものも、黒の詰襟、学生服であり、ただ、すでに時間経過が激しく、破れてボロボロだ。

 それは、ここに肝試しにきた子供が腐朽とされたものであって、外見は中身とは何の関係もない。

「風体など、どうでもいいこと。修羅場をくぐってきた、その余裕か、それとも鬼魅と等しい力を得た者か……」

「ご明察よ。来い、頼豪ッ‼」

 彼女が腕を突き上げると、地より湧きでてきたのは、巨大なイタチのような獣だ。

 だが、それをみて恐怖するどころか、目を見開いて怒りをさかしまにし、頼豪を見すえたのは相手だ。

「キサマ……式家の裔かッ⁈」

 伊瀬もそう言われると、目が死んだように冷たくなった。「その名前……。捨てたんだけどね」

「式家の裔……。天武朝断絶の恨み、受け止めよッ‼」


 その言葉を聞き、伊瀬も気づく。「アンタ……オサベ?」

「親王と呼べ!」

 その瞬間、オサベは右腕を水平にふり抜く。すると、傷ついていたその指先から、血しぶきが飛ぶ。その血しぶきの丸い弾、その一つ一つが一メートルを超える、巨大な針となった。

 伊瀬をその無数の針が襲ってくる、その針の群れを、頼豪が前面に立ち、硬くなった背中の鱗のようなもので弾き飛ばす。ただ顔や手足までそれで覆われているわけではなく、無防備な個所へと針が刺さり、頼豪も堪らず悲鳴のような、苦悶の雄叫びを上げた。

「頼豪ッ⁈」

 伊瀬も心配そうに声をかけるけれど、いくら巨大な獣といっても、針がさされれば傷つくし、血も流れる。逆にその巨大さが徒となり、素早く動くことが難しい。次々と襲ってくる、一メートル程度の長さの針……槍によって体を貫かれ、徐々に弱っていくのが自明だった。

 ただ、伊瀬の前から頼豪が離れれば、彼女が狙い撃ちされる。ここで盾になりつづけるしかなかった。


 伊瀬も焦っていた。頼豪の最終兵器、雷撃を放つには動き回って、背中の鱗をこすり合わせ、充電をする必要があった。

 伊瀬を庇うため、ここで立ち往生をすると最終兵器もつかえない。

「式家の裔よ。守護獣に隠れるだけで、戦わぬか? それもいいだろう。母を呪詛の罪に墜とし、幽閉して我とともに暗殺した、祖宗の姑息なふるまいに似て、矮佞なるかな。嘆かわしや……」

 オサベは両手に流血するほどの傷をつけ、激しく振る。そのたびに、飛び散った血が針となって、頼豪を襲う。

 そのとき、頼豪が横に向けて走りだす。しかし動きが遅く、オサベによる恰好の的である点は変わりない。それは背後に、伊瀬を隠したままであるため、それ以上に速く動けないのだ。

「遅い、遅いぞ、頼豪! 其方もその身を変えたとはいえ、祟り神であろう。とろい人間なんぞを庇って戦うのは、参内する者の名折れ。そのような佞人を捨てて、我と全力で戦え!」


 その通りだ。頼豪は動きが鈍いけれど、怪力と爪、牙による攻撃で、裏世界では強者として君臨する立場だ。でも、伊瀬がいるために足枷となり、針を避けるために右へ、左へと動くばかり。攻撃する術もなく、徐々に小さな傷が増え、動きがさらに緩慢となっていく……。

 そのとき、頼豪がふらりと右へ、よろけるように動く。それと同時に、その陰から伊瀬が左へと飛びだすのを見てとった。

 腐朽は目がよくない……。それに賭けて、傷だらけの頼豪を囮にして、自分だけが逃げる算段か? 

 卑怯な一族は、末裔まで何も変わらん。オサベはカッと目を見開く。

「滅びよ、式家の裔!」

 そういって両手をふる。立ち止まった伊瀬は、その体を無数の針が貫いていた。


 串刺しにされた伊瀬は、その口から激しく血を吐く。それでも、一命をとりとめていた。

「必死で急所だけは避けたか……。だが、その無用な抗いが、逆に苦しみを長引かせることとなる。おう、おう……、痛かろう、苦しかろう。最早動けぬその体で、放っておいても腐朽として体が蝕まれ、精神が侵され、やがて別の物へと変わってしまうのだろう。

 だが、式家の裔……。キサマはただでは殺さん。より苦痛を、より憂悶を与えつつ時を過ごさせてやる。さぁ、悲鳴を上げよ! 我を楽しませよ! 滅びに絶望する姿を我に見せよ‼」

 針に刺し貫かれ、身動きすらとれない伊瀬は苦悶どころか、ふっと笑う。

「楽しい? 私の方こそ、こうして危機一髪の状況から、一発逆転する状況が楽しくて仕方ないわ」

 伊瀬が「頼豪ッ!」と叫ぶと、背中の鱗をぶるっと震わせ、それと同時に、激しい雷撃が放たれていた。


 伊瀬は青息吐息ながら、自ら全身に突き刺さった針をぬき、這いずって頭陀袋のところへ行くと、近くの木に背中を凭れさせ、体を安定させて、袋からとりだした注射針を体に打った。

 針になっているとはいえ、オサベの血でできたもの。それを無数に浴びたのだ。念には念を入れ、二本目も打つ。

 でも、とりあえず勝った……。式家に恨みをもつ、オサベだからこそ執念深く攻撃してきた。それを撃退できたのだ……。右に、左に動いていたのは、背中に電気を溜めるためだった。

 呼吸すら苦しい……。致命傷にならないように、何とか急所は避けたつもりだけれど、肺は犠牲にするしかなかった。もう一歩どころか、全身を少し動かすことですら億劫だった。

 ふと気配を感じて、そちらに目をやった伊瀬は愕然とした。

「よくもやってくれたな! 式家の裔‼」

 右半身は肩から肋骨、右わき腹まで吹っ飛んで、失っているけれど、怒りのあまり目を爛々と輝かせ、仁王立ちするオサベがこちらを睨んでいた。


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