第五章 呪詛と冤罪①
小町は今日もリュックを背負う。前回、失態を演じたことで、今回は準備万端にしてきたのかもしれない。
「裏世界の入り口によっても、印象が異なりますね……」
辺りを見回しつつ、ボクもそう呟く。ホテルの四階にできた歪みから入ったのだけれど、そこは同じホテルでも、ちょっとちがって見える。
辺り一面を覆っていた瓦礫が消え、ビルの壁や床なども、色味が夕景の中でぼやけて、いたずら書きや汚れが見えなくなっているのだ。さすがに壊れた窓や、そこから入りこむ木の枝など、向こうと同じ個所もあるけれど、崩壊した建物という印象はやや和らでいた。
「向こうの影を、こちらは投影しているだけだからね。地に根差していないと、再現できないのよ」
再現……という意味を、このときは意識していなかったけれど、もう少し考えておくべきだったのかもしれない。
「ここでは、あの町とはちがう形で腐朽なども出てくるはずよ。注意しないと……」
伊瀬がそう言うが早いか、四階の通路、その両端にある階段を上がって、腐朽が現れた。挟み撃ちをされる形であり、逃げ場がない。
「伊瀬さん、頼豪を……」
「そう何度も呼べるものじゃないわ」
「カムヅミは……」
「彼が食べちゃったでしょ」
「じゃあ……」
「逃げる!」
腐朽が一斉に走りだして、襲ってきた。伊瀬はそれをみると、真っ先に四階の窓からジャンプし、宙へとその身を躍らせていた。裏世界では、落ちるという概念がないことは理解しているけれど、慣れていないところではやっぱり怖い。
小町から手を引かれて、ボクも飛んだ。
ただ、窓を突き破るほどに接近していた木々の枝に引っかかると、三人ともそのゴムのような弾力によって、バラバラに吹き飛ばされてしまった。
「イタタ……。山中に落ちたか……」
ボクも遠くなってしまった旅館の建物を臨み見て、愕然とする。
裏世界では、モノが壊れることもなく、少し変形しても、すぐに元へもどろうとする。それがゴムのようになり、高いところから落ちても弾性力で勢いを殺してくれるのだけれど、細い枝になると、トランポリンのようにこれだけ大きく弾む、と言うことを思い知らされた。
他の二人に合流しようにも、ここでは携帯電話もつかえない。大声でもだそうものなら、腐朽に居場所を教えるようなものだ。この裏世界からでるとき、入ったところから出る、という法則性を信じて、今はここで、一人で腐朽から逃げつづけるしかなさそうだった。
一人になると、急に寂しさを感じる。こんなところに、以前なら伊瀬は一人で来ていた……そう思うと、その度胸には驚かされる。夕闇のような、色味の少ない世界は否応なく弱気にさせた。
この山は手入れもされていないのか、下草もかなり繁茂し、また登山道なども見当たらない。その下草も、折れることのない細い枝のため、走るたびにぶつかってきて、とても邪魔だ。
他の二人は大丈夫だろうか……? 伊瀬には頼豪がいるとして、もし小町が伊瀬と離れているとしたら、身を守る術はない。ただ、そんな心配をしているボクに、腐朽が迫っているのを、ボクはまだ気づいていなかった。
「イタタ……」
着地に失敗した小町は、腰をさすりながら立ち上がる。木の枝で一旦、跳ね上がったけれど、結局は建物の近くに落ちていた。
そうなると、さっき四階にいた腐朽たちが、また追ってくるかもしれない。
伊瀬から聞いたところによると、腐朽はあまり目がよくない。何より腐朽となっても、心臓が動き、肉体を維持するけれど、視神経に関わる部分には、特殊な栄養素を必要とする。それが供給されず、長い時間を生きるため、徐々に視力が衰えていくのだそうだ。
ただ、鬼魅となると、それを補って余りある力をつかう。でも大勢いる腐朽たちはぼんやりとしか見えていない……。腐朽たちがどこかボーッと、焦点が合っていないように見えるのは、見るという行為で相手を確認するからではない、という事情があるらしい。
そのため、隠れても匂いや、小さな物音でみつけられる。香水をばんばん使うタイプではないけれど、生きた人間の匂いだ。相手を腐朽にするため、彼らが動いているとすれば、大好物の匂いでもある。
みんながどこに落ちたか? 宙を舞いながら目で追ったけれど、マロは山へ、伊瀬は川の方へ飛んで行った。
ここから二人に合流するのは、大変そうだ。それに、追いかけっこには自信がある……といっても、こちらは体力を限界まで削られた上で、そういったものを感じているのかどうかすら分からない相手と、ずっと競争をするのは、明らかにこちらに分が悪かった。
そのとき、小町は慌てて物陰に身をひそめた。何しろ、建物から大挙して腐朽たちが飛びだしてくるのが見えたからだ。でも、彼らはそこに隠れている小町など、眼中にすらない様子で、山へと向かってひたすら走っていく。小町も気づく。そこにいるのは……マロ⁈
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます