第四章 衣食足りて、住を失う⑥

「伊瀬さん、霊感ないんですよね?」

 三人でキャンプをするときのように、火を焚いて湯を沸かし、カップラーメンをすすりながら、小町がそう尋ねる。

「あるわけないでしょ。幽霊が怖いの?」

「怖いですよ、当たり前じゃないですか」

 小町の言葉に、伊瀬は不思議そうに「当たり前じゃないわよ」と素っ気ない。

「幽霊なんて言っても、所詮は元人間。一度死んだぐらいで、偉そうにしないで欲しいわね」

 伊瀬はそういうと、化かされることもないキツネのうどんを啜る。多分これは本音で、伊瀬らしい幽霊へのディスりだ。

「伊瀬さんなら、お化けの方から逃げていきそうですね……」とボクがいうと、伊瀬は「出たわよ」

 赤外線モニターには、確かに反応を示す点滅がある。うっすらと人のような形で、色味が変わっている箇所が見えた。

「あ、動いたッ⁉」

 そこは壁で、すーっと影のようなものが、流れて消えるのが映った。

「間違いないわね。ここは裏世界と近いのよ」

「どういうことですか? 幽霊って、裏世界の住人のことなんですか?」

「そういうケースもあるってこと。二つの世界が近づくと、ここも入り口が開くのでしょうね。その世界を垣間見てしまったり、間違ってそこに入ってしまう人がいたりしたら、もどって来られなかった人もいるでしょう。そうしてここが、お化け屋敷と呼ばれたのよ」


「え~……。幽霊じゃないなら、問題解決ですか?」

「逆、逆。恒常的にここが裏世界に近いなら、それはいつまでも問題が解消されないってこと。ここに新しく建物をつくっても、それはまたお化け屋敷になるってことなのよ」

 伊瀬はそういうと、チェックを始める。

「この建物の、どこでそうした現象が多いのか? それを確認し、どういう建物にすれば、霊障みたいなものが出にくくなるのか? それを検証し、クライアントに報告するのが、今回の仕事」

 なるほど、伊瀬の行うのは怪現象の研究。つまり、霊を祓うといった、除霊じみたことをするわけではない。もし裏世界と近いことでこうした現象が起きているとしたら、それが起きにくくなるような建て方、建築を提案すればいい。それが伊瀬の仕事なのだ。


「じゃあ、霊現象の大半は、裏世界のこと?」

 つまらなそうに、小町は言う。でも、裏世界だって、現象としては大変なことだ。でも、もうそれを知っているから、事象として理解できているからこそ、小町は怖くないのだろう。

「そんなこと知らないわ。でも、この世と、あの世の間、黄泉ともされる裏世界は、どちらにも近い。だからこうして、時おり意図せずに近くなってしまう場所があり、その影響がでてしまうの。他の霊現象がどうか、なんて調べていないし、私に分かるはずもない」

 ぶっきら棒だけれど、伊瀬はこういう性格だ。普段は説明するのが好きで、多弁ではあるものの、自分が知らないことになると、途端に素っ気なくなる。もっとも、だからこそ彼女の言は信用できるのだけど……。

「四階の廊下と、やっぱり大浴場に反応がでるわね」

「あのビルの、エレベーターホールみたいなものですか?」

「そうね……。これで裏世界が近くまでくると、空間の歪みができて、境界を超えられるかもしれないわね」

「近くても、向こうの反応がでても、今は超えられないんですか?」

「影が見えることと、境界を超えることはちがう。水面から池の中を覗けても、池に入るのとはちがうでしょ?」

「その例え、よく分からないです……」

「窓ガラスから家の中を覗いても、中に入ることはないでしょ。覗き魔は」

「何の例えですか? でも、ガラスが透けて見えても、そこを通ることができないという意味では、そうですね」

「境界を超えるって、それぐらい厳密なことなのよ。生と死が、ある意味では厳密であるようにね」


 そうだろうか? 生と死の境界はグレー……。心停止、瞳孔の開き方、呼吸停止が現状では〝死〟を定義する。でも、それを一旦超えても、蘇生することは稀にある。一旦、踏み越えたことが死を意味しない。そう、それは裏世界に行っても、弾かれるボクらのように……。

「裏世界に近いところって、決まっているんですか?」

「決まりはないわね。でも、一度近くなると、しばらく続く。向こうの世界の時間の流れがこちらとは異なるように、両方とも歪な形をしているから、その凸凹が重なると、時間のずれもあって、結構長くつづくのよね」

「そういう場所って偶然? 裏世界と近いところって、恨みがあるところ、とかじゃないんですか?」

「恨みがあるはずの場所でも、そうじゃないところって結構あると思わない? 偶々そういうところが合致すると、余計に伝播力をもって話が伝わるだけよ。逆に、何もないはずなのに、そういえばあのとき……なんて言って、噂話を付加するのは人間の方……」


 そう、この温泉旅館でも恨みだとか、呪いだとかはなかったはずだ。そもそも、そんな場所に旅館など建てない。しかし幽霊の噂が立つと、やっぱりあそこは……と語りだす輩がでてくる。

「偶々、裏世界と近くなったことで、破綻するなんてショックだったでしょうね」

 小町の言葉に、伊瀬は淡々と「それが世の常よ」

 しかし、すぐにふと計測器に目を落とす。それは裏世界が近づいたことを意味するものだった。

「いいタイミングなのか、むしろ地獄へと誘う、最悪のタイミングなのか。ここから入るわよ」

 伊瀬の言葉に、ボクと小町も心の準備をするために、大きく息を呑んだ。


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