第四章 衣食足りて、住を失う⑤

 土曜日――。だからといって、イセ怪現象研究所に、休みはない。むしろ、本業というか、怪現象の調査という仕事が待っていた。

 ボクが研究所で働くのも、八馬女に打ってもらった高額なワクチン、その借金を返済するためだ。裏世界に行っても稼ぎが怪しくて、給料が出るのかどうかさえ不明であり、依頼をうけて怪現象を調査する。こうした仕事があった方が、稼ぎという点では安心できる。

 ボクが事務所へ向かっていると、不意に行く手に立ち塞がってきたのは、中学生ぐらいのとても可愛らしい少女だった。ボクと目を合わすので、用事があるのは間違いないけれど、不穏な空気をただよわすのは、鋭い眼光が怒りを示しており、ボクもたじろいで立ち止まった。

「アナタ、フェフェのツッコミ担当よね?」

 彼女のいう『フェフェ』は、ボクたちのコンビ名の略称であって、大して有名でもないボクらをそう呼ぶのは、ごくコアなお笑いマニアか、同じ芸人をめざす仲間ぐらいだった。


「あッ! 清倉……天使ちゃん?」

 ボクもそう気づく。お笑いの先輩であり、ノンピークというコンビの、清倉 元輔の妹、清倉 天使――。

 名前負けしそうだけれど、彼女はアイドルとして活動するほどの可愛さで、かつ人気もあった。会うのは初めてだけれど、清倉の妹として、テレビで見た顔を憶えていたのだ。

「あ・な・た。この前のライブの後、打ち上げに来なかったでしょ?」

 それはノンピークが看板で開催された、お笑いライブに出演した後のことか? 詰問される理由は不明だけれど、確かに八馬女があの状態なので、飲み会はパスさせてもらった……。

「コンビ、解散するの?」

「いや、あの……解散はしないけれど、事実上の活動停止というか……」

「相方の八馬女さんは? アパートに行ったけれど、いないのよ……」

 八馬女の新しい恋人は、中学生? コンプライアンス的に、色々と問題もありそうだけれど、ふと気づく。八馬女のことを、清倉の妹が気に入っている、との話は漏れ聞いていたけれど、この子だったのか……と。


「それで、どうしたの?」

 小町から、怖い顔でそう問い詰められる。何でボクが、八馬女のことで責められるのか……? 今は伊瀬の事務所のあるビルの、その下で二人きりで立つ。小町は今日も薄い水色のジャージで、本業が休みである小町も、怪現象の調査に参加することになっていた。

「うまく……なかったかもしれないけれど、適当に誤魔化して、逃げたよ。会わせるわけにはいかないし……」

「それもそうだけど、ずっとまとわりつかれるよ」

「やっぱり、彼女は赤人と……」

「知らないけど、赤人って昔から、いつの間にか彼女がいるタイプだし……」

 あれ? 八馬女のことが好きな小町だから、もっと反応するかと思ったけれど、存外さらっとしていることに、驚いていた。


 そんなとき、ボクたちの目の前に動いていることすら不思議な、ぼろぼろのワンボックス車が停まった。

「ほら、出掛けるわよ」

 中から声をかけてきたのは、伊瀬である。今日もオレンジ色のツナギを着るが、髪は染めておらず、オンボロ車には似つかわしくないカラフルさで、運転席にすわっていた。

「こ、これで行くんですか?」

「色々と器材が必要なのよ。さ、乗った、乗った」

 それは後部座席ではなく、運転手と並んで三人座る、ということであり、ボクが真ん中である。それは黄色いツナギを着させられ、オレンジ色のツナギの伊瀬と、水色のジャージの小町と、必然的にそのポジションになった、ということだ。ただ伊瀬と小町、二人の女性にはさまれる形でも、幸せの黄色というより警戒色が本音かもしれなかった。


 到着したのは鄙びた山間にある、古い四階建ての鉄筋造りの建物だった。かつては旅館だったことを示すよう、屋上には大きな『館』の看板だけが残る。今では廃館となり、お決まりのように肝試しの場となった。

「新しく、この土地を買った業者が、つぶす前に調査をしてくれってことよ」

「お祓いをするんですか?」

「神道のお祓い、仏教の祈祷なんて、気分の問題よ。だから、うちに依頼がきた。科学的検証をする方がいい、ということでね」

 その科学的検証……とやらが、後ろに乗った道具らしい。

 如何にも……という雰囲気ただよう洋館で、外壁は蔦に覆われ、その蔦でさえ枯れていた。外に生えていた木々の枝も、窓を突き破って建物の中まで入りこむほど、時が経っていることを示す。入り口のガラスも粉々で、建物の中まで植物が生えるほどにボロボロだった。

 中を覗くと、壁なども破壊され、いたずら書きなども多く、別の意味の恐怖の方が強く感じられる。


「何でこういうところにいたずら書きする奴って、バカの一つ覚えみたいに、同じようなことを書くんですかね?」

「バカだからよ」

 にべもなく、伊瀬はそう言い放った。

「頭のいい奴が、こんなところに来るはずないじゃない。バカも度が過ぎると、ヒマをもて余して、他人の迷惑にすら気づかなくなる。そんな奴らが度胸試しとか言ってはしゃぐのよ。本当に度胸がある人はお化けじゃなく、もっと大きなものに向かっていく。度胸がないから試したくなるのよ。自分がどれだけ度胸がなくて、この程度にビビるのか、を……」


 元々、シニカルな面が強い伊瀬だけれど、毒が利きすぎだ。ただ、腐朽などがいる裏世界にも、平気で足を踏み入れる伊瀬からすると、幽霊ごときで騒ぐ人の気持ちを斟酌するのが難しい。

 もっとも裏世界はともかく、伊瀬ならお化けぐらい、冷静に罵倒して追い返しそうではあるけれど……。

 人影が見えた、人が消えた、という異常な事態が頻発する、という噂がまことしやかに流れる大浴場に乗りこんでも、伊瀬は動じる風もない。

 赤外線モニターや動きを探知して、撮影するカメラを設置するなど、伊瀬がいつにもなく、よく働いている。

 小町とボクは器材を運ぶなど、手伝いをするのに精いっぱいで、怖がっているヒマなどない。

 一通り準備をし終えるころには、日がとっぷりと暮れ、夜の帳が迫っていた。


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