第四章 衣食足りて、住を失う④
板張りの床にどっかとすわり、灯明に照らされた男はとても奇怪だった。僧服ではあっても、それは薄汚くてボロボロに破れていて、剃髪もしておらず、髭もふくめて伸び放題。しかもシラミが涌くらしく、所かまわずぼりぼりと掻き毟る様も、とてもみすぼらしかった。
そんな男の前にすわるのは、高貴な身分らしく衣装も立派だし、髪もととのえられて衣冠をかぶる、貴族の装いだ。
それなのにみすぼらしい男に礼を尽くし、深々と頭を下げた。
「その方が、霊験あらたかな行者様でありますか?」
「鬼道だ」
「…………は?」
「霊験あらたか……なんて、こそばゆい言い方をするな。〝魏志〟にも書かれているだろ。鬼道だ」
「そ……その鬼道で、病気平癒から、国家安康まで成し遂げられると……」
「はん! 鬼道は万能薬じゃない」
「……できない?」
「そうは言わん。だが、森羅万象、世の理を捻じ曲げれば、必ずどこかでしっぺ返しに遭う。誰かの願いを叶える、とはそういうことだ」
「例えそうであっても、我が願いはこの国のため、万民のため、是が非でも叶えたいと欲するのです!」
そういって、床に擦りつけんばかりに、高貴な男は深々と頭を下げた……。
電動の車椅子にすわる、白髪の豊かな高齢の女性は、広い屋敷を一人で移動する。これは多少の段差なら、ショックも与えずに乗り越えるし、階段でさえすすむことができる、特別に製造されたものだ。エレベーターもあり、高齢女性の一人暮らしでも困ることがない。
そこに訪問者があった。
高齢だけれど、女性よりは一回り若い。ロマンスグレーの上品な紳士であり、恭しく女性に頭を下げた。
「氏長者。醍醐家から報告がありました。作戦は失敗……だそうです」
氏長者と呼ばれた女性は、失望する様子もなく「そうですか」と、淡々と、小さな声で呟く。
「祗候会議を招集しますか?」
「今さら、彼らに諮ったところで、結論は変わりません」
表情も変えず、そう否定すると「誰か、外裏に詳しい者はおりませんか?」
「仙籍に登録された者も、今では参外する者もほとんどおらず、外裏のことを分かるような者は……」
身形もととのえられた、ロマンスグレーの紳士も戸惑った表情を浮かべる。ただ愁眉を開いて「非官の追儺師なら……」
女性はやや眉根を寄せて「非官……。かつて追放した者たちにたよるほど、我らは落ちぶれましたか……」
落ちぶれた、という言葉に、男性も鋭く反応する。
「鎌倉、江戸と、長く政治の中心は内裏を離れました。その間、堂上家も変わってしまった……。積極的に外裏とかかわってきた氏本流、醍醐家でさえ、最早その潮流を覆すことができなかった。ただ逆に、未だに外裏に夢を見、追いつづけてきたのが没落した彼らだっただけのこと」
氏長者である高齢の女性は、そんな男の反論を黙って聞いた後で、抑揚のない声音で命じた。
「今は緊急事態。堂上家でできないのなら、追儺師に依頼することも吝かではありません。現世に鬼がいたら困るのです。どんな手をつかおうと、どんな手段をとっても構いません」
その命をうけ、ロマンスグレーの西園寺 敦忠は、小さく頭を下げ、彼女の前を辞す。その言質さえとれれば十分だったから。
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