第三章 デモノ、ハレモノ、所嫌わず⑤

「今日は、腐朽に出くわしませんねぇ……」

 ボクがそう呟くと、伊瀬も肩をすくめつつ「そういう日もあるわよ。多くの追儺師が来ているだろうしね」

「腐朽とは遭わない方がいいって……。だって、気持ち悪いじゃない」

 小町は首をすくめつつ、そう言って怖々、辺りを警戒する。

「むしろ、出会った時の反応もみてみたかったけれど……」

 ボクに腕をつかまれ、歩く八馬女は相変わらず心ここにあらず、という感じだ。先ほど、少し見せた反応もすぐに消えた。

「あの……、もう戻りませんか?」

 おずおずとそう言いだしたのは、小町だ。目が潤み、今にも泣きだしそうである。

「自由に出入りはできない。裏と表が離れるとき、その歪みを通るのが確実で、安全な形よ」

「どうしたの? 怖い?」

 伊瀬とボクから交互に諭され、小町も観念して「お花を摘みに……」

「え? 花なんて裏世界に咲いてないよ」

「もう! おにぎりを食べていて。はい、バッグ!」

 小町はそういうと、公園のトイレに走っていく。

「アナタ……モテないでしょ?」伊瀬のボクをみる目が冷たかった。


「トイレ……つかえるんですか?」

「水は流せない、紙もつかえない、形だけそこにある感じね。用は足せないけれど、トイレでしたら気持ちが足りるかもね」

「うまくないですよ。でも、薄暗いですよね。灯りがつかえないから……」

「私は外でするけれどね。犯罪でもなく、外でできるなんて、最高じゃない❤」

「伊瀬さんの性癖はどうでもいいですから……。でも、向こうから裏世界にもちこんだものは、強制的に吐きだされるんですよね? 排泄物はどうなるんですか?」

「それは……」伊瀬が言いかけたとき、トイレから悲鳴が聞こえる。

 小町が飛びだしてくると、一緒にでてきたのは腐朽だ。

 ここは公園の遊歩道、伊瀬の得意とする見通しのよい、広いバトルフィールドではない。小町がこちらに走ってくると、腐朽がその後を追って、向かってくる。伊瀬は動じることもなく、仁王立ちしたままだ。

 小町が伊瀬の横を通り過ぎたとき、伊瀬がさっととりだしたのは霧吹きで、腐朽にむかって霧を吹く。

 それだけで、腐朽は悲鳴を上げ、這う這うの体で逃げていった。


「見ないでよ!」

「見ないよ……」

「音も聞かないで。耳を塞いでいて。歌もうたって」

 理不尽……と思いながら、耳をふさいで、二人の思い出である、小学校の校歌をうたうことにした。もう怖くてトイレに入れない、外で一人も嫌……という小町に、ボクが付き合ってお花摘みをすることになった。小学生だったころ、これと同じことがあった……なんて、懐かしく思いだしつつ、校歌の二番を歌い終えるころ、小町がもどってきた。

 真っ赤になり、ちょっと半泣きなのがかわいい。実際、小町はかわいい子だ。八馬女のことさえ意識していなければ、とっくに誰かと付き合って、ボクたちとは距離を置いているだろう。

 あの頃と同じように、無言のままボクの裾をつかんでくるので、ボクも無言で伊瀬たちのところにもどった。


「外でするって、最高でしょ?」

 サムアップする伊瀬に、小町は「いや~ッ!」と、顔を両手で覆ってしまう。

「ところで、さっきの液体って?」

 ボクも話を変えるつもりで、そう伊瀬に尋ねたが、今は液体の話に敏感である小町は、顔を覆ったままだ。

「この前、あいつから果物の実をもらったでしょ? あれをジュースにして入れておいたの。腐朽が嫌がるからね」

 そう説明した後で「でも、勿体ない……。一個売れば、三十万円は下らないんだからね。でも、一個ずつは売りたくないし……」

 その葛藤を示すように、伊瀬の握った拳がわなわな震えている。

「今回は、彼を連れてくる前提だったから、少しでも備えをもっておきたかったのもあるしね……。役に立ってよかったわ」

「八馬女は……、腐朽をみても、反応しませんでしたね」

「でも、収穫はあったわよ。やっぱり、彼へと腐朽は向かわなかった。つまり、彼を仲間と認識しているのよ」

「八馬女は、腐朽なんでしょうか……?」

「もうそれは確実でしょうね。これで、今回もどれなかったら、もう確定とみて諦めなさい」

 そこであらぬ方向をみつめ、立ち尽くす八馬女は、これまでと何も変わりない姿なのに……。


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