第三章 デモノ、ハレモノ、所嫌わず➁
伊瀬と対峙するのは、小町だ。
「赤人はどうなっているんですか?」
最初に裏世界に行ったときも、小町は伊瀬と会っているので、初対面ではない。
「腐朽になったら境界を渡ってこられない……はず。でも、彼はここにいて、腐朽ではない……はず。はず、はず……、とにかく常識からハズれているのよ」
伊瀬も腕をくむ。
「でも約束は守ってもらうわよ」
そう、八馬女を連れだす条件として、ボクも検査をうけることを求められ、髪の毛や血液を抜かれた。
八馬女との接触、絡みが多い以上、疑われても当然だ。それに、ボクも検査してもらった方が安心できる。ただ、その検査で腐朽になったことは分かっても、治療法はないので、確認でしかないのが淋しい点だった。
「赤人をこれから、どうするんですか?」
小町にそう詰め寄られても、伊瀬は憮然と「分からない。今のところ、様子見するしかない」
でも、その本音はもし腐朽になったら、そのときは……ということだ。はっきり言わないのは、その結論が最悪になることを意味し、ボクたちに配慮した……はずだ。
「治せないんですか? その果実を食べさせる、とか……」
「腐朽になると、何も食べないわよ」
ゾンビのように食欲だけはあって、生前に食べなかった人間を食材にする、というナゾ設定はないようだ。
「腐朽を人間にもどせるようなら、裏世界にいる腐朽もそうできるはずでしょ? そんな事例は皆無だし、現状維持でいる方が、奇跡に近いのよ」
「アナタ以外で、詳しい人は?」
小町の言葉は存外、伊瀬の心を深くえぐったようで、ぶすっとして横を向いてしまう。裏世界で会った壬生兄弟のように、追儺師とされる人たちは一定程度、数がいるようだ。
そして他の追儺師を、伊瀬は『敵』と呼ぶ。相談できる相手なんて、その時点でいないことが確実だった。
裏霞堂――。
そう名付けられた会議室は、部屋とするには異様なほど長く、しかも少しずつ階段状に下っており、その一段ごとに数名がすわれるテーブルが用意されていた。
段差ごと、それぞれに集まって会話するけれど、段差を超えた相手とは目も合わせない。会議室はつながっていても、それがこの裏霞堂の数少ないルールであり、階層を強く意識させる。
その最上段に動きがあると、全員が談笑を止め、背筋を伸ばして待つ。
そこに現れたのは、車椅子にすわった品の良さそうな老婆であり、豊かな白髪と、ほっそりとした顔の中の切れ長の目が、目じりも下がって優しく歪む。
ただ、この会議室にいる老若男女、全員が緊張して、彼女が全員を見下ろす位置につくのを待つ。彼女の左右に、二名ずつの着席があって、初めて全員が一斉に頭を下げて、礼を尽くした。
女性はそんな周囲を見下ろし、自らは頭を下げることもなく、膝の上に置いた原稿を、小さいけれど朗々と澄んだ声で読みあげた。
「お集まりの皆さん、これは緊急招集です。努々、それをお忘れなきよう、お願いいたします」
その声を聞き、全員が戸惑ったように、互いに顔を見合わす。三年ぶりの氏長者の出席、そう聞いていたので、何かあるとは思っていたけれど、こんな前置きをすること自体が異例だった。
「外裏にいた神、我らの祖、その一柱が黄泉渡りをしました」
しんと静まり返っていた議場が、俄かにザワつく。
「千有余年に亘る、黄泉監察吏としての任を、危うくするが如き事態だと、我ら執柄家は認識しております。よってここに、非常事態令を発動します」
「じゃあ、このまま何もしないんですか?」
小町に詰め寄られても、伊瀬は憮然とするばかりだったけれど、不意に「次の機会に、彼も裏世界につれていく……」
それを聞いて、ボクも「え? 裏世界に?」
それが〝賭け〟ということぐらい、鈍いボクにも分かる。腐朽は黄泉を渡れない。つまり向こうに行くことができたとしても、こちらに戻ってくることができるかどうか……。
「大丈夫……ですよね?」
「分からない……。でも、このまま手を拱いていても、事態はよくも悪くもならない以上、博打をする条件は整った……と言えるのではないかしら?」
これが永劫の別れになるかもしれない。そう覚悟をして、次の黄泉渡りをすることになる……。
「私も……行くわ」
そのとき、高らかに宣言してみせたのは小町だった。
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